いつぶりかしら、故郷の海を見るのは。
あの人と初めて会った時も、こんな海風の吹く日だった。
大山の祭りの後に立ち寄ったのだと言っていた彼は、肩にかけていた大きな袋を砂の上に下ろし、海を見ていた私の横に座ってきた。
「やあ、ここは風が気持ち良いね」
そう声をかけてきた彼は、少女だった当時の私にはとても大人の人に見えた。
「君は曳田のお嬢さんだろ、私はちょうど君の邑へ行くところだったんだ」
隣で勝手に喋る彼に、私は知らないふりをしていた。
「君一人かい?この海岸は素敵なところだけど、女の子が一人で来るには少し遠すぎないかい」
「ずっと歩いてきたわ。歩くのは平気だもの」
幾重にも重なる波が、絶え間なく押し寄せる。
私と彼はしばらく波の音を聴いていた。
「なぜ君はここに?」
もう黙っていようと思ったけど、自然と口が開いていた。
「私、知らない人のお妃さんになりなさいって言われたの。それがいやだったから、家を出てきたのよ」
「そうか。でもお父さんたち心配しているんじゃないかい」
「知らないわ」
ずっと海だけを見ていた私は、そっと視線を横に座る男に向けた。
改めて彼の顔を見てみれば、綺麗な顔に優しく、そしてどこか困ったような笑みを浮かべていた。
ああこの人なのか、とこの時、私は乙女心に察したのだった。
「そうだ、お腹すいていないかい」
そう言って彼は大きな袋から、栗の実と干した柿を取り出して私に差し出した。
まさかその大きな袋から食べ物が出てくるとは思わなかったわ。
可笑しくなって、笑ってしまいそうだったから、私は彼の大きな手から受け取った柿に齧り付いた。
「私、もう帰るわ。ねえ送ってくださるんでしょ」
後から知ったのだけど、彼は婚礼の品を持って挨拶に来る途中、邑の使いの者から私が家出をしたことを聞いて探しにきてくれたのだった。
邑人から栗と干し柿を買って。
その彼も今は海の泡へと消えてしまった。
「ねえ、もう私を家に送ってはくださらないの」
彼のように穏やかでおおらかな因幡の海は少し困ったように、泡立つ波で優しく私の足を濡らすのだった。
白兎再訪です( ̄+ー ̄)
鳥取に来たらやっぱり立ち寄りたい「白兎神社」(はくとじんじゃ)。
ここは大国主と八上姫のラブなストーリーのきっかけとなった、「因幡の素兎」(いなばのしろうさぎ)伝承の地です。
因幡の白兎とはなんぞや。
では『イナうさ』伝承ダイジェスト~!
「因幡の八上姫、めっちゃ美人らしいで~」
「ほな会いにいこか~」
兄たちごぞって婚活です。
ここで末弟の大国主、「ちょまてよ」
荷物持たされ遅れてついていく大国主。
そこへ泣きじゃくる一匹のうさが。
「おま、どしたん、ずるむけやん」
「え~んえ~ん、かくかくしかじか」
「ワニ(サメ)騙して背中に乗って海を渡ったらズルムケにされたん」
「それお前悪いやん」
「そんで兄神様たちの言う通り潮水浸かって体干したら、ひりひりひどくなってん」
「神ひでぇな」
「とりま、そこの池で体洗って、ガマでもふもふしとき」
「もふもふやん」
するとあら不思議、うさは元通り。
「ありがとう、お礼に姫に会わしたる」
「いやぁ、うさ助けはしとくもんやわ」
ということで大国主は兄たちに恨まれつつ、美姫ゲットだぜイエイ!以上!
ということで、ここはうさの聖地。
うさ
うさ
うさ~で溢れており、
参道両脇で神社まで道案内をするうさ達。
しかし、う、重い。。
この白い小石は縁起物の「結び石」。社務所で購入できます。
「縁」と書かれた小石が5つ入って500円。
鳥居やうさ像に乗っけて良縁子宝、健康祈願するもよし、身に着けてお守りにするもよし。
二の鳥居の先には
手水舎とうさが体を洗った真水の「御身洗池」(みたらしのいけ)があります。
手水にもご立派なうさ様が居ました。
御身洗池は旱天・豪雨のときでも水位の増減がないとされ「不増不減の池」とも呼ばれています。
またこの鎮座地は身干山と呼ばれる丘で、因幡の白兎が身を乾かした山と伝えられていました。
御身洗池を背にするように左手に折れると、狭い敷地に社殿が建っています。
こじんまりとしつつも堂々たる拝殿。
祭神は「白兔神」(はくとのかみ)で、「保食神」(うけもちのかみ)を配祀します。
この白兔神(兎神)は因幡の白兎のこと。その伝承から、皮膚病と縁結びご利益があるとされます。
創建の由緒は不詳とされますが、かつては兎の宮、大兎大明神、白兔大明神とも呼ばれた当社。
これに対し、東出雲王家・富家では第二次物部東征で連合した菟上王率いる宇佐・豊国軍は、山陰海岸を通って東へ進み、稲葉国の伏野にしばらく滞在したと伝えています。
豊国軍の一部は占領軍として稲葉国の伏野に残り、月神の信仰を広めようと考えて宇佐社を建て、そこに兎神が祀られました。
白兎神社の本殿を支える土台六ヶ所に二十八弁の菊の紋章が彫刻してあります。
この「菊座石」は全国的にも珍しいもので、 神社創設が皇室と何らかの関係があったものと云われていますが、応神帝が宇佐家(菟狭家)の豊玉姫の末であることを考えれば、それも納得なのです。
ところで「因幡の白兎」神話は、菟狭族をうさぎに、龍神信仰があった出雲族をワニとして物語に残したという事だというのですが、これについて面白い発見がありました。
実はワニを騙して、小動物がその背を渡るという話は、日本のこの話に限ったことではなかったのです。
古代インド説話「ジャータカ物語」にはブッダが弟子に語った話としてサルがワニを騙して頭にジャンプして川岸にたどり着くというものがあります。
またマレーシア・インドネシアの昔話では「カンチル」という小さな豆鹿が川を渡り切ることができるように、ワニたちに繋がって並ぶように命令するものも。
カンチルはじょうずに川を渡り終えるまで、ワニたちの背をピョンピョンと跳び、川の反対側に着くと自分がワニをだましたことをからかいました。
ワニたちは腹を立て、今でも悔しがっているということです。
これなどはまったく因幡の白兎と同じ内容であり、この話は日本からインドネシアに伝わったというよりも、インドネシアから日本に伝わってきたと考える方が納得がいきます。
これまでも九州には、出雲族よりも古い時代からインドネシア系の原住民が住んでおり、彼らが宇佐族の大元であると考えてきましたが、これもその根拠の一つになり得るのではないでしょうか。
白兎神社の正面に広がる海があります。
「白兎海岸」です。
この白兎海岸は鳥取砂丘の一部になります。
そこにぽっかりと浮かぶ小さな島が白兎が渡ろうとした「淤岐ノ島」(おきのしま)です。
淤岐ノ島は島自体がうさぎに見えると云われていますが、以前訪ねた時は、島の上にもうさ影を見ることができました。
が今回見てみれば、うさ影は消え、代わりに鳥居が建っています。
うさ影は樹木の影のようでしたので、枯れてしまったのか残念。
淤岐ノ島は見る角度を変えると、大国様の横顔になるというトランスフォームギミック仕込み。
海岸の西端は気多之前という白兎神が負傷して上陸した岬があり、
そこに「川下神社」(かわしもじんじゃ)が鎮座します。
この祭神はなんと「豊玉比売」であり、宇佐家と当地を結びつける重要な社であることが窺えます。
祭神は「綿津見神の娘で、神ヶ岩に於て庵を結び鵜の羽を敷き、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を生み給ひ、竜神となって海に入り給ふ、依って此処に祀った」と伝えられています。
そして白兎海岸にポツンと石燈籠が立つ岩場、これは「恋島」と呼ばれ、大国主がこの島で八上姫にプロポーズをしたのだと伝えられていました。
石燈籠は安政5年(1858年)6月に建てられ、うさぎの島と共に、二人の恋をそっと見守っていたのでした。
Wow! So beautifully written with excellent pictures. Loved to read it ☺️😊🌷
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Thank you ♪
Rabbits are enshrined here as the god of marriage.
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O really! Here is butterfly .My pleasure .☺️❤️🌷💐🌹❣️🤗😊
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こんにちは。面白い記事をありがとうございます。
カンチル、マレーシアにいたときによく見た軽自動車の名前がカンチルでした。
ダイハツのミラのエンブレムだけ変えたものでした。
カンチルがシカだったとは知りませんでした。
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Yopioidさんはマレーシアにいたことがあるんですね!
僕はミニのパクリのダイハツミラジーノに乗っていました。
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モーリスミニ(旧車)は壊れやすいそうですから賢明な選択だと思います!排気音はかっこいいですけれど。
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合理的ではないですけど、やっぱり本物はかっこいい。
でもジーノ以来ダイハツファンで、ココア、ブーンと乗り継いでいます。
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