妻山神社:八雲ニ散ル花 木ノ国篇 筑紫番外編06

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杵島郡白石町馬洗に鎮座の「妻山神社」(つまやまじんじゃ)に来ました。

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階段を登ったところにも肥前鳥居。慶長13年(1608年)の建立と伝わります。

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真っ直ぐに伸びた参道では、10月18,19日の秋季例祭で流鏑馬神事が行われるようです。

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しばらく歩くと

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楼門が見えてきました。

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稲佐神社に負けず劣らずの立派な門。

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その先にある階段を登って、ようやく社殿に至ります。

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厳かな雰囲気の拝殿。

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稲佐神社にあった案内では、スサノオを祀る「八坂神社」と五十猛と大屋津姫を祀る「稲佐神社」、そして抓津姫を祀る当社をして三社詣としています。

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五十猛と大屋津姫、そして抓津姫は兄妹という設定ですが、なぜ抓津姫だけが別に祀られているのか。

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創祀年代は不明。社伝によれば、五十猛命が辛国から樹木の種を持って来て杵島山に播種し、杉、樟などの発芽を見てから紀伊の熊野に行った。 やがて全山が緑に覆われて木の島と呼ぶようになった。そこで五十猛命の徳を称えるため神社を創建し、妹の抓津姫命を合祀したと記されています。

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抓津姫命、抓津彦命を主祭神とする当社、ここはかつての神仏習合期は「豊前坊」と称したとあります。
これらの名称から気になるのは豊王国の存在です。

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抓津姫に抓津彦と並ぶということは、この神の名称は、当時の国の王と妃(巫女)の関係を示していると考えられます。
ツマツヒメとツマツヒコ、そう投馬国の王と巫女です。

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『三国志』「魏書」東夷伝の中で、邪馬台国に至る道の中で記される投馬国。
富氏はそれを宮崎西都の都萬であると言います。

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都萬は物部イニエ(崇神帝)がやってくるまでは豊王国領でした。
豊王国は出雲的文化を濃く反映していましたので、母系社会で、王よりも姫巫女の方がより強い権力を有しています。

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つまり五十猛伝承に抓津姫が加わるのは、豊王国の都萬と関係があるのかもしれません。

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妻山神社の近辺は古墳時代の遺跡が多く残る地域。

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豊前坊の名が付けられたのも、ここに豊王国領の投馬国から、巫女が派遣されていた可能性を感じ取るのです。

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ところでとても落ち着いた雰囲気の良い神社ですが、奥の一角だけ異様な空気が。

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洞窟のようなところにひっそりと祀られる石祠。

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五穀神を祀るもののようですが、その隣にも暗い穴。

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僕は洞窟がちょっと苦手なので、深追いは避けておくのでした。

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