波波伎神社:八雲ニ散ル花 荒覇吐篇 05

投稿日:

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「おお、これか」
空に薄く朝日が差し込む頃、太く天に向かって伸びる大木に、藁で編み込まれた大蛇が数人の男衆によって巻きつけられる。
大彦は目を輝かせ、その祭事の全てを見ていた。
「この祭りを一度見ておきたかった」

大和では紀伊国から上陸した物部勢が、我が物顔で闊歩している。
その物部から大和を取り戻すべく奮戦していた大彦であったが、状況は良くない。
それで出雲まで出向き、王家の富家に協力を要請したが、快い返事はもらえなかった。
出雲もヒボコ勢、吉備勢との戦いに疲弊していたのだった。
急ぎ戦線へと戻る大彦であったが、途中宿をとった伯耆の郷で翌朝、かねてより念願だったアラガミの祭りを見せてくれるという。
「この太い木が斎の木か?」
「はい、これは出雲族の子宝であるサイノカミの宿る神木・ハバキでございます。先祖の御霊はこのハバキをつたって降りてきて、またそのハバキをつたって空に帰っていくのです」
「なぜそのハバキに、このような恐ろしげな大蛇を巻き付かせる」
「この藁の大蛇は出雲の龍神でございます。この龍神を出雲では荒神(あらがみ)と呼びます。荒神は確かに恐ろしゅうございますが、こうして祀ることによって我々を守ってくださるのです。先祖の御霊と子孫を荒神に守っていただくため、ハバキに巻きつけるのです」
なるほど、と大彦は頷いた。
物部の勢力は強大であった。自分たちはおそらく東国へ退避せざるを得ない状況になるだろう、大彦はそう冷静に分析した。
「物部らは執拗な奴らだ。奴らと長い戦に臨むあたって、我々には今後一族を守ってくれる新たな信仰が必要になる。アラガミの宿るハバキか、これは良い。良いものを見せてくれた、礼を言う」
恐ろしげな藁の龍神を大彦は覗き込む。力強い、これが出雲の信仰か。
「大彦様、そろそろ」
「うむ、そうじゃな」
大彦は戦乱の前線へと足を向けた。
未来を見据える彼の顔を、出雲の朝日が優しく照らしていた。

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富氏のいうアラハバキ始まりの神社「波波伎神社」(ははきじんじゃ)を訪ねます。
波波伎神社は、鳥取県倉吉市福庭の細い路地沿いにありました。

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周りは住宅街になっていますが、神社はその山沿いに鎮座しています。

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ゆっくりと参道を上がっていきます。

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緑のトンネルとなった参道は、心地よい木漏れ日が差し込んでいました。

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広い薮地があります。
かつては池だったのではないでしょうか。

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その先に手水舎がありました。

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手水舎は質素で古びていましたが、八角の石の水受けに龍神が設てあります。

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もうひと階段を登ると、

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神門の先に波波伎神社の聖域が広がります。

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当社祭神は「八重事代主命」のほか、「天稚彦神」、「下照姫神」、「少彦名神」、「建御名方神」、「味耜高彦根命」、「市寸島比売命」、「多紀理毘売命」、「多岐都比売命」とさすが出雲系の神の名がずらりと並びます。

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創建時期は明らかではなく、社殿は1877年の再建。1916年、海田神社を合併しています。

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由緒によると、八重事代主命は国土経営の為この地を巡られた時、この社の西方「ワタラガヒ」の地に上陸し、この地方の開拓殖産に務めたとあります。

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また国譲りにおいて、国土を奉献する際に天逆手(あまのさかて)を打って槇垣(青柴垣)に籠ったのがこの波波伎神社であると伝えられているそうです。

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天逆手を打って青柴垣に籠ったという記紀の話は、東出雲王家8代少名彦である八重波津身・事代主にとって忌むべき話なのですが、それはさておき、この福庭の地が東出雲王家と近しい交流を持っていたことを示しています。

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ところで境内を散策してみますが、いくつかの境内社はあるものの

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出雲の藁蛇、荒神を見つけることができませんでした。

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大彦がここで見た荒神の祭りを元にアラハバキ信仰を生み出し、後裔の阿部氏が東国のクナト王国で普及させたと聞いています。

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境内は大木に囲まれており、その根はまるで龍神の爪のようですが、藁蛇がないのは残念。

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ネットで情報を探しても、その祭りが当社で行われている痕跡は見当たりませんでした。

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長い時の中で失われてしまったのか。

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波波伎神社は伯耆国の総氏神として、古代より祀られてきました。
かつては当国第一位の神社でしたが、明治の社格では、郷社に列せられます。

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その後、伯耆一宮の倭文神社は県社に、伯耆二宮の大神山神社は国幣小社となりましたが、波波伎神社も氏子たちの働きかけで伯耆二宮と称するようになり、昭和になって県社に列格されました。

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拝殿の右奥に鎮守の杜があります。

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そこも立派な大樹が林立していました。

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波波伎神社の社叢はスダジイの巨木が優先繁茂する照葉樹林で、昭和9年に国天然記念物に指定されています。
高木の約8割がスダジイだそうで、胸高直径1.5m、高さ20mに及ぶ巨木が密集しています。

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杜を歩いているとぽっかりと口を開ける石穴が。

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これは「福庭古墳」(ふくばこふん)と呼ばれる古墳時代後期の円墳です。
7世紀代に築造されたとみられ、横穴式の石室奥壁には赤色顔料を使った彩色装飾がみられるそうです。

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阿部族が統治した東国から東北地方にかけてはアラハバキ信仰が広がり、そのため「アラハバキ王国」とも称していました。

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アラハバキ神とは、先祖が宿る神であると同時に、子宝を与える神でもありました。
それは伐られずに太く高く成長した神木と恐ろしげな龍神が合わさった神でしたが、東方ではやがて先祖の宿る磐座信仰とも結びついた形跡が見受けられます。

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物部王朝が大和に成立して以降、東方のエミシは執拗に攻め続けられました。
しかし大彦のもたらしたアラハバキは彼らを力強く支え続け、そしてその祭祀の痕跡は今も確かに残されていたのでした。

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23件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    はい。アマゾンのヤノマミ(人間)です。
    女性は子供を産んで育てるか育てないかを決めて、育てないと決めた子は殺して葉に包み樹木に吊って蟻に食べさせます。
    そして、その気に吊ってある蟻ごと火で焼いて火葬する習慣を持ってます。彼らには自然との調律を図る風習。
    私らにしてみるとゾッとしますがあちらではそういう世界観。ここでも昔はこれが当たり前の世界観なのでしょう。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      僕らは飢えなど知らない、平和な時代に生きていますので、生きるために選別しなければいけないような環境の人たちを一概に批判はできませんね。

      いいね

      1. Nekonekoneko より:

        じゃあ産むな。なんで無理に産んでから殺戮するのか?猟奇民族😭

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          今の感覚ではそうですね。しかし成人までの生存率が極端に低いとしたら、数多く産んで、より優秀な遺伝子を残そうと考えたのかもしれません。
          命の定義は、時代・環境によってずいぶん違っていますので。

          いいね: 1人

          1. Nekonekoneko より:

            殺す為に産む。殺戮の為に産む。どんなカオスな世界観ですか😨

            いいね: 1人

          2. CHIRICO より:

            世界は人が誕生した時から、もともとカオスですよ😭

            いいね: 1人

  2. 8まん より:

    ここ日本にもヤノマミの風習が・・・(笑)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      アマゾンのヤノマミ族ですか?

      いいね

  3. mame58 より:

    この間、おっしゃってみえた龍神さまですね😊

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      はい、残念ながら今は龍神の祭りはおこなわれていないみたいでしたが。
      出雲の神社を訪ねて回ると、藁の龍神様を今でもみることができます。例えば下の揖屋神社などがそうです。

      https://omouhana.com/2017/09/22/黄泉比良坂-揖夜神社:八雲ニ散ル花%E3%80%8010/

      出雲族はインドのドラヴィダ族の一部が日本に移住してきた民族だそうです。その時の王がクナトで、お后さまが幸姫(さいひめ)です。夫婦の道祖神などはこのお二人がモデルであり、イザナギ・イザナミも元はお二人のことであった場合が多いそうです。
      夫婦の神には後に子神がもうけられました。それはサルタ彦といいますが、サルタとはドラヴィダ語で長い鼻を意味します。つまりサルタ彦は猿顔の神様ではなく、インドのガネーシャ神のことです。
      そしてインドにはコブラとワニがいましたが、この二つの動物を畏れ多きものとして合わせた神を生み出しました。それはインドではナーガと呼ばれますが、これが出雲の龍神信仰のはじまりです。
      神在月の頃になりますと、出雲の稲佐の浜にセグロウミヘビという蛇が打ち上げられるそうです。出雲人はこれをトグロを巻いた状態でミイラにして、龍神の御神体として祀る習慣があります。僕が旅した時も、とある甘味屋さんでそのミイラの実物を見ました。
      龍神の御神体が打ち上がる浜ですので、神在月には稲佐の浜から神様達がやってくるという話になりました。
      セグロウミヘビは夜の海で目が光るのだそうで、大国主が海から得たという「幸魂」(サキミタマ)・「奇魂」(クシミタマ)の正体はこれだという話です。
      ちなみに神在月とは、各地に散った出雲族が幸姫の命日に出雲に戻って墓参りをするという意味なのだそうです。

      いいね: 2人

      1. mame58 より:

        そうなのですか、イザナギもイザナミも日本を生み出したもともとの最初の神様だと思っていたので、モデルが別にあったとは驚きです。
        サルタヒコがガネーシャだったとは、、、つまり象ってことですよねぇ、、、
        ちょっとイメージが全く違っていました😓

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          私も最初は戸惑いましたが、各地の神社を訪ねて、由緒などを調べてみると納得することが多々あります。
          祭りの行列などで先導役がサルタ彦の面を掲げて進むことがありますが、その面はたいてい天狗のように長い鼻をしています。

          いいね: 2人

      2. mame58 より:

        ありがとうございます😊

        いいね: 1人

  4. Nekonekoneko より:

    なんかトータルで小汚い社ですね。板切って張って組み立てた安普請にしか見えないけど、これは何かの冗談ですか?しかもほとんど手入れ無し。景色も荒々しい小汚い何かの荒れた林や森林なのかハゲ林なのかよく分かりません。祠とかデザイン汚い。そこら辺の洞穴だか穴だか墓だかは、何か誰かの死体を投げ込むだけの死体遺棄の穴場にしか見えません怖い😭

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      Nekonekonekoさんのおっしゃる通りですね。僕は金ピカ絢爛豪華な神社よりも侘びた風情の神社の方が好きなのですが、これは侘びているというより荒れている、という感想です。
      全国の神社を訪ねてみると、こういった神社は少なくなく、それが実は重大な問題となっています。
      神社の社殿や境内施設を維持するのは、たとえ小社であっても莫大な費用がかかります。宮大工も減ってきて、費用も鰻登り。しかし逆に神社は氏子や神主も減っており、費用の工面がかなり厳しいことになっているのだそうです。大きな神社であれば、国や神社本庁から多少の補助が出るのかもしれませんが、小社ではそうもいきません。あの下鴨神社でさえ、境内の糺の森の一部にマンションを建て、その費用を式年遷宮の費用に充てているほどです。
      数年のうちに何百という神社が消失し、20年程のうちに4分の1の神社が失われると言われています。
      神社は日本人の魂ともいえ、歴史の証人でもあるのです。このような小社にも歴史の痕跡が刻まれており、簡単に失って良いものではありません。戦後の自虐史を押し付けられて散々な今の日本ではありますが、誇り高い往年の歴史を失えば、我々は本当に惨めな未来を子孫に残すことになりかねないのです。
      波波伎神社は鳥取の奥まった古い住宅が密集する場所にありました。おそらく住人の氏子さん達は高齢の方が中心であろうと思われます。参道や境内、手水といった場所はきれいに掃き清められていましたが、脇の雑草までは手が及ばず、壊れた社殿などは素人ながら修復しているところも見受けられます。
      大切にされているのだとは思いますが、力及ばないのでしょう。
      あと古墳はどこもあんな感じです😅
      それと、やたら商売っ気のある神社は大嫌いですが、そんなところにせよ、細々とがんばってあるところにせよ、放置されているところにせよ、そこが聖地であることには何ら変わりはありません。神社の大元は自然崇拝と先祖崇拝です。なので仮に社殿が失われようとも、そこにある神聖さは失われないのです。

      いいね: 2人

      1. Nekonekoneko より:

        疲れ切った場合、誰か若い人達に管理を任せる、あるいは費用を募って業者に任せる事をお勧めします。老いた体が今にも死にそうなら、誰かに頼んで下さい😭老いた人々は社と共に滅び去るつもりですか?やはり墓だったんですね…

        いいね: 1人

        1. CHIRICO より:

          まあ、神社も地方も、深刻な後継者不足ですからね、若い人たちに任せるわけにもいかない。そしてその費用が工面できないので老いた人々が苦労してあるのでしょうね。
          神社が墓であるという一面はありますよ。磐座というのは、元は王家の遺骨がその下に埋められていたそうですから。昔は風葬で、遺体をカゴに入れて大きな木の上に吊るしたそうです。三年後遺体を降ろしたその木にはしめ縄が張られ、神聖な木としてヒモロ木と呼ばれたそうです。御神木の始まりですね。太宰府天満宮や日光東照宮などもまんま墓ですね。

          いいね: 2人

          1. Nekonekoneko より:

            😨遺体はすぐ腐るのでカゴに入れて木に吊るさないで下さい。腐敗臭が辺りに漂うだけの迷惑行為です。樹木に呪いをかけたいのかと疑いますが、さらにその死体の呪いの腐臭が付いた樹木にしめ縄を張るとかさらに呪詛を増したいとしか思えません。これは何の呪いの儀式ですか?ただ臭そうです😭

            いいね: 1人

          2. CHIRICO より:

            遺体には朱を流し込み防腐処理がなされたそうです。藤と竹で編んだ篭に、膝を曲げた状態で死体を収め、高い山の常緑樹に吊されました。遺体を埋める磐座も山頂付近の大岩になります。里には拝み墓として別の岩を用意しました。
            火葬が常識となった現代において、風葬は野蛮に感じますが、沖縄のヤジャーガマに行った時、最近まで風葬がなされていたというその場所の清廉さに驚きました。風葬は魂を綺麗に浄化する、理想的な葬儀方法なのかもしれません。

            いいね: 2人

          3. Nekonekoneko より:

            樹木に吊るされた死体は見たくない。死体は見たくないです。死体を安置したい場合、山のてっぺんなどのなるべく人目につかない場所に置いて下さい。それはただリアルに恐怖のモニュメントです。しかも防腐処理を施したらそれは虫も食べない変死体でしかありません。それは存在自体無理すぎる😨

            いいね: 1人

          4. CHIRICO より:

            おそらく死体置き場は厳密に場所が決められていたでしょうね。辺鄙なところに鎮座している古い神社が多いのは、そういうことではないでしょうか。
            古代にそこら中の木から遺体がぶら下がっていたわけではないと思いますよ😁

            いいね: 2人

          5. Nekonekoneko より:

            そんな恐ろしい物体を例え一箇所でも吊るしたらそれは確実に食人族を連想しそうな最悪なシチュエーションです。誰か1人でも2人でもそれをモロに見たら心臓発作を起こして死ぬかも。単なる殺意の象徴にしか見えん😨

            いいね: 1人

          6. CHIRICO より:

            Nekonekonekoさん、おはようございます♪
            おそらくそこは禁足地とされたでしょうね。
            平安時代でさえ、死体は道端にゴロゴロ転がっていた時代です。古代に死は、もっと身近であったことが想像できます。現代に生まれてよかったですね😄
            日本人にはカリバリズムの遺伝子もないので、幸せですね😊

            いいね: 2人

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