「景行帝はついに筑紫に至り、豊前国の長峡県に着いて行宮を立てた。 その場所を名づけて京(みやこ)という」
福岡県北九州市小倉南区朽網西、そこの住宅街の中に不思議な光景があります。
「帝踏石」(たいとうせき)、何じゃこの磐座は⁉︎
パンツァードラグーンに出てくる敵キャラのような、有機的な曲線を描く巨石群が忽然と鎮座しています。
これは割れてずり落ちているのかな。
当地名の朽網(くさみ)は景行帝が土雲討伐の際、葛の網を敷いたが、それが朽ちたことにより付いた地名なのだと云います。
網で小動物を捕らえるように土雲族を捕縛しようとしたのか?
そして結局その網は使用されず腐るままにされたのか?
由緒によれば、この石は景行帝が土雲族を討つ時に、石占いをしたものであると記されています。
景行帝はこの岩の上に登り、「賊に勝つことができるならばこの大石よ、大空高く舞い上がれ」と祈って蹴り上げたのだとか。
すると巨大な岩は天に舞い上がり、見事に賊を討つことができた。そのことから、この大石を帝踏岩と言うようになった。
え~どんだけ~。。
これらの伝承は日本書紀に記されているということですが、書記を調べても、この帝踏石のことは出てきません。
風土記かなんかの記述でしょうか。
思うのですが、この磐座群はちょっと甲殻類の雰囲気がありますので、龍宮・豊族の磐座ではないでしょうかね。
つまり土雲側の聖域だと思うわけです。
帝踏石の近くに宗像神社があったので、ちょっと立ち寄りました。
美しい堀に囲まれた小社。
ほのぼのとしています。
祭神は「多岐都比売命」(たきつひめのみこと)、「多紀理毘売命」(たきりひめのみこと)、「市寸嶋比売命」(いちきしまひめのみこと)の宗像三女神に加えて
「事代主神」が祀られています。
大治3年(1128年)8月14日に、筑前国宗像神社(現宗像大社)より直接御分霊を勧請した、全国にも数社しかない一社とのこと。
時の城主「細川忠興」公の崇敬も厚かったようです。
さらに少し離れて朽網東に貴船神社を見つけました。
小高い山に続く参道。
その横の池には巨石が転がっています。
ひいこら言いながら階段を登ります。
上り詰めるとこじんまりとした境内が。
祭神は「大山祇神」「高龗神」「闇龗神」。
由緒によればここに行幸したのはヤマトタケルとなっています。
景行帝の御宇、数多の土雲が京都郡の厳窟に籠居し、度々出ては人を害す。
そこでヤマトタケルはここに仮の御宮所を定めて祈願、そして見事土雲を討ち取ったのだと云うことです。
ヤマトタケルのモデルとされる小碓・播磨タケルは九州に来ておりませんので、景行帝の事績となるのでしょうが、
この感じ、土雲族の山城だったのではないでしょうか。
当地は宇佐にも比較的近いので、有力な土雲の戸畔(とべ)がいた可能性が濃厚です。
階段を降りて、二の鳥居を左手に折れたところに
「船石」という磐座がありました。
不思議な造形の岩ですが、先程の帝踏石と似ています。
当地は神夏磯媛(かむなつそひめ)に誘い出されて殺されたという土折(つちおり)・猪折(いおり)の支配域に近い場所です。
彼らの報われぬ魂を、知ってか知らずか、どこか寂しげな磐座なのでした。
そして景行帝は骨折…😨
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足の骨、バッキバキでしょうね😁
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