帝踏石:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 03

投稿日:

1040472-2021-09-15-08-11.jpg

「景行帝はついに筑紫に至り、豊前国の長峡県に着いて行宮を立てた。 その場所を名づけて京(みやこ)という」

c1d-2021-09-15-08-11.jpg

1040491-2021-09-15-08-11.jpg

福岡県北九州市小倉南区朽網西、そこの住宅街の中に不思議な光景があります。

1040469-2021-09-15-08-11.jpg

「帝踏石」(たいとうせき)、何じゃこの磐座は⁉︎

1040474-2021-09-15-08-11.jpg

パンツァードラグーンに出てくる敵キャラのような、有機的な曲線を描く巨石群が忽然と鎮座しています。

1040476-2021-09-15-08-11.jpg

これは割れてずり落ちているのかな。

1040473-2021-09-15-08-11.jpg

当地名の朽網(くさみ)は景行帝が土雲討伐の際、葛の網を敷いたが、それが朽ちたことにより付いた地名なのだと云います。

1040477-2021-09-15-08-11.jpg

網で小動物を捕らえるように土雲族を捕縛しようとしたのか?
そして結局その網は使用されず腐るままにされたのか?

1040494-2021-09-15-08-11.jpg

由緒によれば、この石は景行帝が土雲族を討つ時に、石占いをしたものであると記されています。

1040481-2021-09-15-08-11.jpg

景行帝はこの岩の上に登り、「賊に勝つことができるならばこの大石よ、大空高く舞い上がれ」と祈って蹴り上げたのだとか。
すると巨大な岩は天に舞い上がり、見事に賊を討つことができた。そのことから、この大石を帝踏岩と言うようになった。
え~どんだけ~。。

1040478-2021-09-15-08-11.jpg

これらの伝承は日本書紀に記されているということですが、書記を調べても、この帝踏石のことは出てきません。
風土記かなんかの記述でしょうか。

1040489-2021-09-15-08-11.jpg

思うのですが、この磐座群はちょっと甲殻類の雰囲気がありますので、龍宮・豊族の磐座ではないでしょうかね。

1040492-2021-09-15-08-11.jpg

つまり土雲側の聖域だと思うわけです。

1040496-2021-09-15-08-11.jpg

c1d-2021-09-15-08-11.jpg

1040501-2021-09-15-08-11.jpg

帝踏石の近くに宗像神社があったので、ちょっと立ち寄りました。

1040499-2021-09-15-08-11.jpg

美しい堀に囲まれた小社。

1040506-2021-09-15-08-11.jpg

ほのぼのとしています。

1040505-2021-09-15-08-11.jpg

祭神は「多岐都比売命」(たきつひめのみこと)、「多紀理毘売命」(たきりひめのみこと)、「市寸嶋比売命」(いちきしまひめのみこと)の宗像三女神に加えて
「事代主神」が祀られています。

1040508-2021-09-15-08-11.jpg

大治3年(1128年)8月14日に、筑前国宗像神社(現宗像大社)より直接御分霊を勧請した、全国にも数社しかない一社とのこと。
時の城主「細川忠興」公の崇敬も厚かったようです。

1040510-2021-09-15-08-11.jpg

c1d-2021-09-15-08-11.jpg

1040532-2021-09-15-08-11.jpg

さらに少し離れて朽網東に貴船神社を見つけました。

1040512-2021-09-15-08-11.jpg

小高い山に続く参道。

1040513-2021-09-15-08-11.jpg

その横の池には巨石が転がっています。

1040525-2021-09-15-08-11.jpg

ひいこら言いながら階段を登ります。

1040524-2021-09-15-08-11.jpg

上り詰めるとこじんまりとした境内が。

1040515-2021-09-15-08-11.jpg

祭神は「大山祇神」「高龗神」「闇龗神」。

1040518-2021-09-15-08-11.jpg

由緒によればここに行幸したのはヤマトタケルとなっています。
景行帝の御宇、数多の土雲が京都郡の厳窟に籠居し、度々出ては人を害す。
そこでヤマトタケルはここに仮の御宮所を定めて祈願、そして見事土雲を討ち取ったのだと云うことです。

1040520-2021-09-15-08-11.jpg

ヤマトタケルのモデルとされる小碓・播磨タケルは九州に来ておりませんので、景行帝の事績となるのでしょうが、

1040517-2021-09-15-08-11.jpg

この感じ、土雲族の山城だったのではないでしょうか。

1040521-2021-09-15-08-11.jpg

当地は宇佐にも比較的近いので、有力な土雲の戸畔(とべ)がいた可能性が濃厚です。

1040523-2021-09-15-08-11.jpg

階段を降りて、二の鳥居を左手に折れたところに

1040527-2021-09-15-08-11.jpg

「船石」という磐座がありました。

1040528-2021-09-15-08-11.jpg

不思議な造形の岩ですが、先程の帝踏石と似ています。

1040529-2021-09-15-08-11.jpg

当地は神夏磯媛(かむなつそひめ)に誘い出されて殺されたという土折(つちおり)・猪折(いおり)の支配域に近い場所です。

1040530-2021-09-15-08-11.jpg

彼らの報われぬ魂を、知ってか知らずか、どこか寂しげな磐座なのでした。

1040531-2021-09-15-08-11.jpg

2809e5ae97e5838fe7a59ee7a4be-2021-09-15-08-11.jpg

2件のコメント 追加

  1. Nekonekoneko より:

    そして景行帝は骨折…😨

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      足の骨、バッキバキでしょうね😁

      いいね: 1人

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください