福岡県みやま市瀬高町太神に伝わる「宇津良姫」(うずらひめ)の痕跡を訪ねてきました。 この辺りは田園が広がっており、小川や水路が網の目のように流れています。 車を走らせていると、ぽつんと森を発見。 田んぼの中を参道が伸び、…
月: 2021年10月
千田聖母八幡宮:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 20
景行帝が肥後国山鹿に陣を敷いた時、南の方の茂賀の浦に、八つの光が夜となく昼となく見えたので、大臣を遣わして確かめさせた。 「寒・言・神・尊・利・根・陀・見」と八つの言葉を発するそれは、躰一つにして八頭を持つ大亀であった。…
大宮神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 19
景行帝が玉名から阿蘇に向う途中、山鹿の杉山に行宮を造り、茂賀の浦・震岳にいた土雲を征伐した。 後に帝の神霊を行宮の地に祀り、大宮と呼んだ。 熊本県山鹿市山鹿の「大宮神社」(おおみやじんじゃ)を訪ねました。 景行天皇を主祭…
玉名大神宮・疋野神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 18
6月3日、高来県から玉杵名邑に至る時、土蜘蛛の津頰という朝敵あり。 当地を押領して王化に服せず、帝は之を誅せんとして東方遥かに天照大神を拝し、怨敵の降服を祈り給ふ。 しかして空中雷鳴の如く轟き、玉座の側に落つるものあり。…
名石神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 17
熊本県玉名郡長洲町の「姫ヶ浦」にやってきました。 ここは、日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)が景行帝のあとを追って、長洲に来たものの既に帝は発った後で、女官と共に海に身を投げて石になってと伝えられていました。 姫ヶ浦にほ…
健軍神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 番外
熊本市内で最古の神社と云われる「健軍神社」(けんぐんじんじゃ)は、景行帝の時代に、朝来山(あさこやま)の土雲を征伐した、健緒組命(タケオクミノミコト)を祀ったと伝えられていました。 社前には電車通りの大鳥居から神社まで続…
熊襲の穴(一名嬢着の穴):八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 番外
「ヲウスよ、頼んでおいた兄への説得はやってくれたのか、オオウスはまだ姿を見せないが」 ある時、オオタラシ大君は、美姫と名高いエヒメとオトヒメを妃にするため、長男のオオウスに迎えに行かせた。 しかし姫のあまりの美しさに惚れ…
日向国惣社 三宅神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 16
春三月、景行帝は子湯県に出かけ、丹裳小野に差し掛かった時、東方を見て周りの供に言った。 「この国は真直に日の出づる方を向いておる」 それでこの国を名づけて日向という。 この日、野中の大石に登り、都を偲び歌を詠んだ。 「…
高屋神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 15
景行12年7月、熊襲が背いて貢ぎ物を差し出さなかったので、帝は筑紫に下り、その年の11月、日向に入り、高屋に行宮を建て、住まいとした。 宮崎県宮崎市村角町に鎮座の「高屋神社」を訪ねました。 参道の入口には、一ノ鳥居の代わ…