名石神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 17

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熊本県玉名郡長洲町の「姫ヶ浦」にやってきました。

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ここは、日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)が景行帝のあとを追って、長洲に来たものの既に帝は発った後で、女官と共に海に身を投げて石になってと伝えられていました。

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姫ヶ浦にほど近い場所に「名石神社」(めいしじんじゃ)が鎮座します。

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日本書紀によると景行の九州征伐は、周防国の娑麼に始まり、豊前国京都郡、豊後国の碩田(おおきた)、日向高屋宮、熊県、葦北(芦北郡)とたどり、なぜか急に長崎県諫早市の高来県を訪れ、その後、阿蘇国、的邑(いくはのむら浮羽郡)を巡って帰郷したことになっています。

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では日向から追ってきた御刀媛が間に合わなかったという、この姫ヶ浦から景行が出港した先というのが高来県なのかと思いましたが、日本書紀には高来県からこの姫ヶ浦の裏手にある玉名へ向かったと記してあります。
では景行は姫ヶ浦を中心に行ったり来たりしたのでしょうか。御刀媛はちょっと待ってれば、死なずとも帝に会えたのでは。

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まあ僕は、この姫ヶ浦の話も、長崎・佐賀地方に点在する景行帝の土雲族征伐の話も、史実ではないと思っています。
これは景行の子孫か、別の物部族と土雲族の抗争の話ではないでしょうか。
景行軍が土雲族の本拠地である豊後国碩田を制圧したことにより、地方にいた物部族が便乗して、各地の土雲族集落を攻めた話ではないかと考えます。

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名石神社の祭神は「景行天皇」と「御刀媛」、それと二人の皇子「豊国別王」(とよくにわけのみこ)となります。

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境内には有明海に鎮まる磐座らしき写真が掲げられています。

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御刀媛が有明海に身を投じた時、一緒に来ていた11人の女官も一緒に海底の石となったと云われており、加藤清正の干拓によりその石が陸地に現れるようになったとあります。

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名石神社の本殿の横には

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石になった御刀媛と云われる磐座が鎮座しています。

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しかしこの巨大な磐座、僕には月形の石に見えました。

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これは土雲族の月神信仰の磐座だったのではないでしょうか。

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大きな磐座の手前には、干珠満珠のような丸い石も置かれています。

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僕は豊玉姫の支配域で、やはり三日月状の磐座を祭祀する別の神社を見つけたのでした。

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