久津媛神社:常世ニ降ル花 土雲歌譚篇 24

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昔、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)で即位した大足彦天皇(おほたらしひこのすめらみこと/景行帝)は、球磨贈(くまそ)を征伐して、凱旋する時、筑後国の生葉行宮(いくはのかりみや)を発ち、この郡に訪れた時、神というものがいた。名を久津媛という。人の姿を化りて帝を迎へ、この土地のありさまを述べた。
これに因りて当地を久津媛之郡(ひさつひめのこほり)と呼んでいたが、今は日田郡(ひたのこほり)と謂ふは、これが訛ったものなり

- 『豐後國風土記』

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福岡との県境すぐ、大分県日田市の石井町210号線の道路脇に、「ガランドヤ古墳」という変わった名前の古墳があります。

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何と美味しそうな、いや美しく整った円形の古墳なんだと思ったら、

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剥き出しの石室を保護するために最近作られた土盛りでした。

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こちらは1号墳で内部の様子はこんな感じ。

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以前はこんなだったとか。
これは哀れ。

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石室に彩色が施された、装飾古墳だったようです。

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2号墳はこんな感じ。
かつては3基の古墳が連なっていたそうですが、3号墳は見当たりません。

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こちらも石室が剥き出しだったとのこと。

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この場所は日本三大暴れ川のひとつ、「筑紫次郎」こと、筑後川につながる三隅川流域にあります。
度重なる河川氾濫で古墳の土が流されたのか。
しかしそのような場所に古墳が造られていることも不思議です。

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当地の町名の由来について、風土記に次のようなものがあります。
「昔、この村に土蜘蛛の砦があった。石を使わず、土で築いていた。そのために”石なしの砦”といった。後世の人が石井の郷というのは、誤っているのである」

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石なしの砦とはこの連なった古墳のことか、または暴れ川の氾濫を防ぐために築いた堤防のことか。
ちなみに日本三大暴れ川とは「坂東太郎」の利根川、「筑紫次郎」の筑後川、「四国三郎」の吉野川を言います。

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このガランドヤ古墳の埋葬者に関係すると思われる神社が、三隅川を少し上流に遡った日田市日高にあります。

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「会所山神社」(よそやまじんじゃ)です。

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この神社は標高164mの会所山の西麓、車道がぶち抜いているその先の住宅街に鎮座しています。

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小さな神社ですが、小さな石の太鼓橋も設けられています。

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祭神は「應神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」「久津媛神」「大足彦忍代別命」「大己貴命」。

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当地は『豊後国風土記』によると、景行帝が熊襲征伐の帰りに「久津媛」と名乗る神が人に姿を変えて出迎え、郡内の様子を話した場所であると伝えられます。
また、久津媛が訛り「日田」という地名になったとも云われています。

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会所の名称は、神功皇后の三韓征行(200年頃)の時、この場所に将兵が集められ軍議が催されたことから會所宮(ゑそのみや)と称されるようになったとあり、また古くはこの山を「惠曾山」(ゑそのやま)と呼称していたそうです。

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境内の右手には、会所山山頂にある元宮、「久津媛神社」(ひさつひめじんじゃ)へ至る参道があります。

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参道、というか山道です。

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登り切った!と油断した心をへし折る

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二段構え。階段は続きます。

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この久津媛は土雲族と思われるのですが、なぜか「神」として表記され、人の姿をとって景行帝の前に現れたとあります。

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久津媛はなぜ神だったのか。
それは媛がすでに亡くなっている人物を指しており、死後に神として祀られているがゆえに神なのだと解釈されています。

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そして久津媛は「比佐津媛」とも表記されていました。

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それにしてもこの会所山、じっくり巡ってみると面白そうだな。

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さて、比佐津媛と似た響きの人物に「岐比佐都美」(きひさつみ)という名が古事記に記されています。
岐比佐都美とは?

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『古事記』では「岐比佐都美ト称ス。垂仁天皇ノ二十三年甲午冬ノ十一月朔乙未皇子本牟智和気命(ホムヂワケノミコト)出雲大社ニ参来日田維穂命(キヒタイホノミコト) 拝シ、始テ言ヲ発セラレ、還啓ノ後、天皇歓喜シ給ヒ、即チ菟上王ヲ遣シテ出雲神宮ヲ造営セシム」とその名を見ることができます。

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物部イクメ帝(垂仁帝)と大和・彦坐王の娘「狭穂姫」の間に儲けられた皇子「誉津別」(ほむつわけ)は、父帝に大変寵愛されたが、ひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、赤子のように泣いてばかりであったといいます。
ある晩、帝の夢に何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう」と告げました。
そこで帝は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、物言わぬは出雲大神(大国主)の祟りであるということです。

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帝は誉津別皇子を曙立王・菟上王とともに出雲に遣わして大神を拝させました。
出雲から帰る際、斐伊川に橋を渡し、仮宮を造営して滞在していると、そこに出雲国造の祖先である岐比佐都美が青葉の木を飾り立てて川下に立て、食事を献上しようとしました。
その時、皇子が「この川下に青葉の山のように見えるものは、山の様で山ではない。もしかすると、出雲の石硐の曽宮に坐す、葦原色許男大神を仕え奉る祭場ではないだろうか」と喋ったといいます。
皇子が話せるようになったことを御供の王たちは喜び、帝に報告。帝はこれを喜び、菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせたのだそうです。

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歴史を改竄するように強要された柿本人麿が、ここに何を訴えようとして記したのか。
もちろん古事記のこの表記を、そのままに受け取るわけにはいきません。

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事実として、物部イクメは豊家と連合して大和を攻めました。
この途上、豊王国の女王・豊玉姫が病のため亡くなり、息子の豊彦と娘の豊姫は葬儀のため厳島に残ることになりました。
その後イクメは、一足先に大和入りを果たすことになります。

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この時激しく争った大和・彦坐王の息子・狭穂彦との和解のため、イクメは妹の狭穂姫を后に迎えます。

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ところが後からやってきた豊彦は、イクメが勝手に狭穂姫を后にしていることに激しく怒り、狭穂姫を大和から追放させました。
古事記には垂仁5年に、彼女は焼死したとされています。

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そのイクメと狭穂姫の間に儲けられた皇子が誉津別です。
彼はどうなったのでしょうか。

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この誉津別はつまり、景行帝の異母兄ということになるのです。

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イクメは大和を攻める時、同時に出雲を攻めて700年続いた出雲王国を終焉させました。
この時の将軍の一人が、宇佐・豊王国家の菟上王です。
その出雲大神が祟り、誉津別は言葉を発せないでいると人麿は暗号を残しています。
彼に言葉を取り戻させたのが岐比佐都美で出雲国造の祖であるとも。

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出雲国造といえば千家家ですが、彼は出雲の系図を捏造しています。
岐比佐都美は野見宿禰の父的存在で別名を「来日田維穂命」という男性神であると伝えられます。
つまり岐比佐都美は国造家の祖ではなく、出雲王家の末裔であると推察できます。
大和を追われた狭穂姫、当然皇子の誉津別も一緒に追われたのでしょう。あるいは狭穂姫が大和を追われたのちに誉津別を産んだのか。
この狭穂姫と誉津別を保護したのが、出雲王家の岐比佐都美だったと、古事記の記事は伝えれいるのかもしれません。

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ようやく頂部に辿り着いたようです。

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石灯籠の先に見えるのが久津媛神社です。
祭神は「久津媛神」と景行帝こと「大足彦忍代別命」。

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死者を神として祀る時、男性でも女神とすることが、あるとかないとか。
日田の「比佐津媛」が「来日田維穂命」である可能性は高いと考えます。

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来日田維穂は野見宿禰の父的存在なのだとしたら、出雲16代大名持の「簸張大科戸箕」(ひばりおおしなどみ)となるのでしょうか。
それは流石に飛躍しすぎでしょうか。

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社殿の前にある、四角い窪みのある石は元は大己貴の石祠が建っていたようです。
下の鳥居の脇にあった、郵便局のマークのようなデザインがあった祠がそれのようです。

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出雲16代大名持を神と祀る一族の姫巫女が「久津媛」と呼ばれ、景行帝を当地で出迎えた、というのが真実かもしれません。

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石なしの砦を築き、筑紫次郎を治めた一族が土雲と呼ばれており、当地に景行帝を迎えたという久津媛がその土雲族であるというのは疑いようがありません。

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その戸畔が大名持を祭祀していたというのなら、僕の想像以上に土雲族と出雲族の繋がりは深いのやもしれません。

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18件のコメント

  1. さいとう よしみ より:

    曖昧な記憶ですが、最初に月面着陸した宇宙飛行士の言葉の中に、『これは小さな一歩だ。だが人類にとっては偉大な最初の一歩だ』と…あったような気がします。

    CHIRICO様の新しい世界航路の一歩かな…とも存知ます。月を見て豊玉姫と富士のお山を偲びつつ…。
    ご多忙とも思いつつ…。

    『備中庭瀬藩板倉家伝来の古文書覚』
    で検索出来ます。
    板倉家は明治維新後、逆賊扱いされたとする話しも、下調べ地域の神社にあるようでした。
    夜分に失礼申しました。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様
      さっそく検索して、PDFをダウンロードさせていただきました。後ほどゆっくり拝見します。
      人生も半世紀を過ぎ、ここで新たな一歩を感じるところではありますが、果たしてこの道はどこへ続いているのか。まあ先が見えないからこそ、旅もまた楽しいのですが。
      いつもありがとうございます♪

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  2. さいとう よしみ より:

    こんばんは。
    お役立出来ましたか?。ありがとうございました。
    由井正雪の幼少期からの理解者とされる板倉重昌。当時の(千葉県の)複数の地域の重要人物でした。僕の方でも別件の下調べ地域と重なっておりましたが、詳しくは知りませでした。
    その子孫は、人麿流刑地『高滝』に居所を構えた領主である資料もありました。
    いろいろ想うところもありますが、確証高い推定事実のみご連絡させて下さい。
    CHIRICO様の洞察に幸(さ)いの神様の導きがありますように。

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    1. CHIRICO より:

      ありがとうございます♪
      正雪紺屋さんでお話を聞いてきました。
      特別な伝承でも聞けるかと期待しましたが、一般的なことしか伝わってないようでした。それでも正雪が生まれ育った空気を感じてこれたのは収穫です。
      高滝にも繋がりが出てくるんですね。高滝は不思議な魅力のあるところでした。
      さて、こんなことで本が書けるものかどうか、でも前に進まなくてはなりませんね。

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  3. さいとう よしみ より:

    こんばんは。
    参考になりますか、どうか?……。
    ネット上に『155新宿区 天神町・榎町』と言うpdf資料があります。
    主観色の薄い中立的な資料に近いかな……と想います。全体像把握にお役立てれば幸いです。

    相模国風土記関連にも記載あるようですが、すいませんが、千葉の僕には難儀でした。
     
    福岡、佐賀。
    ブログ上でしかCHIRICO様を存知上げませんが、CHIRICO様の根っこのルーツに関わるんじゃないのかな?……とそんな感覚も調べるにつれ増えて来ました。
     
    不愉快でありましたらごめんなさい。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様、助かりました!
      明日、正雪の生家に伺う予定で、少しご子孫にお話を伺いたいと考えていました。
      pdfはとてもよくまとまっていて、概略を知るにぴったりでした。
      中立的な資料、それこそが重要です。まずはニュートラルで始めなければ、真実に近づくことはできません。
      僕のルーツは本当のところはよく分かりませんが、それはさておき、僕はどうにも敗者の歴史を語る運命にあるような気がしてきました。無念に散り、消された彼らの言葉を語り継ぐ、現代の語り部を担うことが使命なのかもしれません。

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  4. さいとう よしみ より:

    こんばんは。
    お詫びとささやかな感謝代わりの取り急ぎの下調べです。公開情報の調査根拠未確定も一部あり申し訳ないのです。僕の空想も入り就寝前の連絡は控えようと反省も今はあります。

    出来る範囲でお調べして、失礼なきようお伝えします次第です。

    でも多分、CHIRICO様ならばもっと深く正確に辿り着ける予感があります。
    悩んで調べて発見する、再確認できるその喜びは、その人だけの最初に味わえる特権で同時にプレゼントです。伝承の伝播永続も大切ですが、同時にその喜びもCHIRICO様に味わっていただきたいからかな…斎木様は……ともふと一瞬考えました。プレッシャーになりましたらごめんなさい。

    僕の方でも『高海親王』『第六天』『七里法華』等を調べる新しい思考のアプローチのきっかけになりました。感謝申します。

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    1. CHIRICO より:

      はい、何故だかわかりませんが、斎木氏はこんな僕を可愛がってくれているのだと身に染みて感じております。それは斎木氏のたくさんのファンの方にも申し訳なく、身に余る光栄です。
      2作目は書くのが厳しいと、実際に本業も佳境にあるので斎木氏に申し伝えたのですが、五条さんは書くべきだ、と強く推し勧めららました。
      とりあえず、静岡の正雪の生家に行ってみるつもりです。

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  5. さいとう よしみ より:

    こんばんは。夜分失礼申します。
    由井正雪。先祖ルーツが気になり、ネット上の公開情報で調査根拠未確定で申し訳ありませんが、念の為、徳川頼宣公をいささか調べました。母親は養珠院(お万の方。千葉勝浦)。周辺を調べると北条氏や紀州雑賀、妙見山関連まで辿れました。

    駿府北条。出雲忍。
    底の浅い僕では、これ以上の接点を見つけられませんでした。既にご存知でしたらごめんなさい。

    養珠院お万の方。名前くらいしか知らず、詳しくは存知ませんでした。僕のライフワーク調査にも関連する方のようです。気づきの機会もいただきありがとうございました。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様
      僕は古代に関してはそれなりの知識を有しておりますが、江戸などは高校の授業で習った以上のものは持ち合わせておらず、しかもその頃の社会は苦手項目でした😅
      一から勉強しているところですので、些細なことでも教えていただけると嬉しいです。
      そして出雲忍も関わってくるとなるとますます興味が湧きますね。貴重な情報をありがとうございます😊

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  6. さいとう よしみ より:

    こんにちは。
    本日三菱UFJ銀行にお振込しました。
    僕のわがままの為に個人情報リスクを負担させてしまい申し訳ありませんでした。あとすいません、目も悪く計算が苦手で普通にお振込してしました。
    感謝しつつお詫び申します。

    出雲伝承系図。凄いの一言で、他の言葉が浮かびません。
    佐賀に妙見信仰の千葉氏の城の存在は知りませでした。ありがとうございました。御神体や瀧、不動明王。アンテナが張り詰めそうです。

    由井正雪。なかなか難しそうですね。
    何か分かりましたら、多分、幼稚な情報ですがお伝えさせて下さいね。
    これくらいのことしか僕には出来ません。
    ただふと想いました。なんらかの組織の奉公衆ではないかな?……と。由井正雪の乱ではなく、本質は由井正雪の江戸抗議デモかな…と。斎木様の書籍の中の「西南の役は反乱ではなく、抗議デモだった」とあったように。不適切でありましたらお許し下さい。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様、ありがとうございました☆
      系図は見にくい、と評判の悪さに定評があります(笑)
      僕も近くに住んでいながら、改めて千葉氏の存在に驚いたところです。
      斎木氏曰く、由井正雪の出生に秘密があるのだそうです。人麿古事記は持ちネタで書かせていただいた部分もあり、短期間で仕上げることができたのですが、今回は一から勉強しなくてはならず、ちょっと苦しい行程になりそうです。しかし彼の人となりに興味が湧いてきているところです。
      系図は右の一番下がキモです(笑)

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  7. さいとう よしみ より:

    こんばんは。
    本日届き早速に読み解きしている途中です。人麿の想いや人生航路を通して時系列的に出雲伝承の事柄を無理なく分かりやすく関連づけつつ説明し、五条様の想いも自然に乗せて寄り添ってるな…と感じました。ちょうど再調査している地域神社と重なり、だいぶ謎が解けました。ありがとうございました。本の内容と再調査地域の重複。連続する偶然の積み重ねにも、いささか慄いております。
    貴重なサイン入りの書籍と龍の縁起飴。驚き仰天し暫く、本当にどうしようと沈黙しました。

    あと申し訳ありません。
    書籍の購入代金を納めたいのですが、振込先口座等教えていただけませんでしょうか?。上手く説明出来ないのですが気持ちが鎮まりませんのです。

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  8. さいとう よしみ より:

    こんばんは。
    お心づかい、感謝申します。ありがとうございます。
    よろしくお願い申し上げます。

    住所、ちょっとドキドキでした🤗。

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  9. さいとう よしみ より:

    おはようございます。
    御講演おめでとうございます。
    五条様の新書、皆々様以外に1冊残ってらっしゃる感じでありましたら購入する事は叶いますでしょうか?。
    難しそうでありましたら諦めます。

    立冬ですね。
    もろもろオープンになる時代の流れのようです。
    ブログ内容とは異なる相談の非礼、お許し下さい。ますますのご活躍を祈り申します次第です。

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    1. CHIRICO より:

      さいとう様、おはようございます☀
      ありがとうございます♪
      本日の講演会に際し、本を10冊ほど預かってくる予定です。
      詳細は改めて告知させていただきますので、少々お待ちください😊

      つまびらかになる時代ですね。
      良くも悪くも♪

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    2. CHIRICO より:

      さいとう様、この度10冊ほど本を持ち帰ることができました。
      さいとう様用に1冊取りおかせていただきますので、ご購入の意思が変わっておられなければ、下記メールに送付先を教えていただけないでしょうか?
      本題は税込の2200円となります。
      メールをいただきましたら、明日以降にお振込先を返信いたしますので、本の到着後、振り込み手数料を差し引いてご入金くださいませ。

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    3. CHIRICO より:

      さいとう様、ありがとうございます😊
個人情報が載っていましたので非承認としましたが、承りました。
メールアドレスを添付するつもりが失念しており、大変失礼しました。
発送までは今しばらくお待ちください♪

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