『つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒礒にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす なびき寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は 幾だもあらず 這ふ蔓の 別れし来れば 肝向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の 黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる我れも 敷妙(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡れぬ』(135)
「石見の辛の崎の海深く、岩礁に海松が生えている。磯には玉藻が生えている。
その荒磯に玉藻が茂ってなびくように、共寝した彼女。
深海松(みるまつ)が海深く生えるように、深く思って寝た夜はいくらもなく、蔓(つた)が二手に分かれていくように別れてきてしまった。
切なさゆえに振り返ってみるが、渡の山のもみじ葉が散り乱れ、彼女が振っている袖もはっきりとは見えない。
屋上山の雲の間に月が名残惜しく浮かび、その月の姿も見えなくなってきて夕陽が射してきたときには、一人前の男と思っていた私の袖も悲しみで濡れてしまった」
島根県石見の大崎鼻が、柿本人麿が詠った135番の万葉歌に出てくる「辛の崎」(からのさき)であるというので訪ねてみました。
駐車場から登ること10分、
まあまあな勾配に汗が噴き出す頃、白い灯台が見えてきました。
石見海浜公園の大崎鼻の先端にある灯台。
ここは高角山でお会いした「田中 俊睎」(たなかとしき)さんから、ぜひ行きなさいと勧められた場所でした。
その絶景たるや
ああ何と美しいことか。
人麿の詠う「辛の崎」比定地は3説あり、浜田市唐鐘の畳ヶ浦と仁摩町の韓島がその候補地として名乗りを挙げますが、歌を読めば読むほどこの景色がしっくりと染み込んできます。
荒磯に玉藻が茂ってなびくように、共寝した渡津の彼女、
深海松が海深く生えるように、這う蔓のように抱き合い、からみ合った熱愛の生活は2ヶ月足らずで終わりを告げました。
人麿は次なる流刑地である東国へ向かう途上、一旦大和に立ち寄ることになります。
そこで彼は大和の妻・依羅姫にひと目会いたいと歌を送りますが、それは叶いませんでした。
そう、依羅姫は激おこだったのです\(^o^)/デショウネ