「ねえねえ倉みっちゃん、この新規のご予約だけどさ、僕指名なんだけどなんか聞いてる?」
「さあ」
「だよね。ホムペのスタイル写真かなんか見て、指名してくれたんかな」
「あ、いしゃっしゃいませ。ご指名ありがとうございます。」
「カットですね」
「こんな感じで切っていきますね」
「今日は仕事帰りに寄ってくれたんですか?」
「本?本を見て来てくれたんですか?本て何の本ですか、えっ、あ、ああ、僕の本っ!?」
「こ、こわっ!」と思わず言っちゃいました。一応、特定されないようにしていたつもりだったんで。されちゃいましたけどね、さっくりと。
そして今日、何故か僕は、その謎の人妻と一緒に、吉野ヶ里遺跡の前に立っているのでした。
謎の人妻ちゃんは、美容室から帰った後、自分のスマホに見慣れぬ写真があることに気がついたそうです。
それがこの吉野ヶ里の王の家の写真、以前僕が撮ってブログに載せていたものでした、何故~!!。
彼女は宇佐で徐福に触れ、そして何故か自分は「徐福のことを知っている」と感じ、それで調べていると『偲フ花』に行きつき、さらに僕に行き着いた、と。
いや、よくわからん。全くわからん。彼女もよくわかりません、とおっしゃる。よくわかんないよね~、ってことで、とりあえず王の家のある吉野ヶ里に向かうことにしたのです。
ところがそう決めた数日後、吉野ヶ里遺跡で謎のエリアとされていた場所の発掘がはじまるという突然のニュースが!まーじーかー。。
「例の神社、徐福が眠ってないかなと思っています」
矢先、そんな声が先輩から聞こえてきました。先輩と言っても僕より年下の先輩ですが。
例の神社とは、この謎のエリアに鎮座していた日吉神社のことです。
そこだけ神社があるが故に、発掘されずに空白だったのです。
この度、神社が移設したことで発掘作業が始まったのだと。
その謎のエリアのすぐ隣で、
貴重な女性の墓が出土しています。
それは36個の貝の腕輪と、絹の衣装を身につけた女性で、
甕棺には銅鏡が副葬されていたとのこと。
貝の腕輪は奄美大島産のイモガイの貝殻で作られており、
右腕に25個の縦型のものと、
左腕に11個の横型のものを装着していたそうです。
また、銅鏡は前漢期のもので
背面には「久不相見長毋相忘」(長く会わなくても、お互い忘れないようにしましょう)と彫られていました。
パイセンはこれは市杵島姫ではないかと考えておられるようです。ムネアツ!
発掘現場では、土色の違う部分を線でマーキングしていました。
そして出土した甕棺。
断層部分に見える陶器片は江戸時代のものだそうで。
残念ながら、現在出土している棺は、決して位の高い人のものではないそうです。
しかし謎の人妻ちゃんは、「徐福が眠っているなら、あの向こうよね」とおっしゃる。同感です。
更なる発掘作業が待たれるところです。
徐福にゆかりある場所なら、ということで金立山の磐座に、僕は謎の人妻ちゃんをご案内しようと思い立ちました。
が、どうにも道がスムーズにいかない。あげく、いざ金立山登山口まで来てみれば通行止めとは。
「来る順番が違うと言われている気がする」
とのことなので、磐座は諦めました。
それでやってきたのは「新北神社」です。
ここも徐福終焉の地と云われており、お手植のビャクシンが聳えています。
改めて訪問させていただくと、ビャクシンもさることながらクスノキの御神木も気になりました。
そう、クスノキです。
数ある境内社のうち、特別立派な社は「淀姫神社」でした。
淀姫、そう豊玉姫です。
クスノキと淀姫、豊族も関係があるのでしょうか、ここには。
人妻ちゃんは「せつない気持ちがした」とぽつり、後にした車の中で話してくれました。
一通りミッションを終え、人妻ちゃんを車の止めてある吉野ヶ里の駐車場に送っている時、ふと神埼の櫛田宮が目に留まりました。
「行ってみます?」
博多の櫛田神社も人妻ちゃんは気になる場所の一つだそうで、その元宮でもある当社に関心を持たれたようでした。
しかし僕はここで、意外なものを目にしてしまいます。
えっ、ええ~っ!!!
もちろん祭神はガッツリスサノオで、ヤマタノオロチ伝承もある櫛田宮です。
おそらく物部族と出雲系豪族との争いがあったということなのでしょう。
なのになぜ、この紋が。
何と世界は謎に満ちているのでしょうか。
謎の人妻ちゃん、今日はありがとうございました。エスコートに終始するつもりが、すっかり僕自身が楽しんでしまっていたのです。
弾丸工程最終の15日、吉野ヶ里遺跡にいってきました。
正直、中身はゼロ感でナーンにも私には感じられませんでしたw
謎の人妻さんの様には行きませんね
しかし、行くのとホームページで見るのとでは全く違います。
こんなに内陸にあったんですね。
それも、背振山系と関連が言われている遺跡ということで更に驚きました。
今回の無茶登山は収穫アリでしたよ本当に。
実は、背振に行く前の蛤山の直前はどう見ても磐座や、ナビキの痕跡があるんです。
そして小さな社の台座まで。
修験道には物部(穂積?)熊野系と出雲系(役行者)がありますよね。
今まで物部の修験道は出雲のパクリかなにかと思っていましたがあそこに行くと、物部、もしくは豊家や越知が修験道の起源と思う様になります。
大峰奥駆道の玉置神社は千木が建て削ぎで、神宝伝承があるので単純に物部に上書きされたのだと思っていました。
基山から背振を通って十坊山までの山系は、修験道の起源かもしれません。
よく考えたら、銅剣も物部の影響とも書いてありますし、何しろ面白いのは蛤山は大規模な開発が途中で停められている様で、地図には載ってない国道連絡線と、蛤岳横断線という舗装路が通され、不自然な開発と放棄の痕跡があります。
ああ言った手合いは昔から地盤にしてる旧家が関係している事があるのではと踏んでいます。
アブの数は南アルプス深南部並みに猛烈ですが、雰囲気は本当に熊野古道です。
あそこ、15キロ位ずつに避難小屋作れば相当に良さそうなコースです。
石畳まで整備してある場所もあるんですよ
そして大彦のエリア、新潟には本当に目を引く様な磐座はほとんど無いんですよ
群馬や栃木の、豊彦のエリアの方が圧倒的に多い
五十猛神社も行きましたが、あそこの社家、H家はおそらく市長も出してるし、五十猛漁協の理事もやっているんじゃないかと思われます
ちなみに五十猛神社は御朱印やってないらしいです(T ^ T)
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脊振は行けば行くほどスルメなところです。
かなり大規模な修験の場所だったとも思われます。
豊にもサンカはいたようですね。そしておっしゃるように、巨大な磐座信仰を行ったのは彼らじゃないかと思います。
出雲系の磐座信仰は、どちらかといえば自然そのもの岩を利用したように感じます。対し豊系の磐座信仰は積み上げたり、加工したと思われます。その根源には越智があるのではないかと思うようになりました。越智こそが呪術的集団で、物部にも影響を与えたのではないかと。
ただ、越智も元はドラヴィダ族で、出雲に定住せずに南下し、四国に渡ったのではないかと考えています。
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豊家のサンカ
そういえば百名山の四阿山の神社、真田家の本当の神社は山家神社で、四阿山の神様は、白山権現と山家神に半年ずついれかわります
まさに豊家のサンカですね
おお〜
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おお〜😄
というか、豊家のサンカではなく、越智家のサンカかもしれませんね。白山は越智だと思いますので。
豊と越智はまあ、一蓮托生のような感じですけど。
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テヘペロ間違えました。越智ですね。
上州との境の真田のゆかりの地は軽井沢の熊野皇大神宮でした。
あそこにも山の中に真田の社があります
私、何となく思うのですが、宇佐と越智は、やっぱり親戚で、海部と物部氏みたいに、近いからこそ争ったのではと考えています。
宇佐の元宮近くに三嶋の社ですものね。
なんとなくイメージが重なる一族なんです。
これは佐賀側の、菜畑遺跡に見られる様な渡来前からの水稲文化、そして、背振山系と吉野ヶ里遺跡の配置からも訪問してみて思いを強くしている所なのです
正直、吉野ヶ里遺跡は福岡とか、本当の北九州エリアだと思っていたんです。めっちゃ驚きました
物部氏は、お米を作るのがうまい豪族と結びついたから、内陸に砦を作ったのではないかと
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豊の動いた場所に、越智も一緒に動いた痕跡がありますね。争ったりくっついたりしたのでしょう。
あとヒボコ家にも越智は入っていたのではないでしょうか。息長足姫は越智の血筋(母系)だったから竹葉瀬ノ君を養子にできたのではないでしょうか。
安曇磯良に受け入れられたのも、そこが大きいのでは。
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うーふーふーふw
謎のエリア日吉神社
よく考えたら、磯城登美家の子孫は、日吉神社社家にもなっていませんでしたっけ?
編集長が、徐福は吉野ヶ里に葬られたとするのであればもう期待しかありませんね
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何が出るのか、楽しみにしています。
しかし神社社殿があった真下は、今回の発掘エリアに入っていないようでしたが。
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なん‥ですとぉwww
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おはようございます。朝のお忙しい時間帯に丁寧なお返事誠にありがとうございましたm(_ _)m
茨城県在住なもので、佐賀県の方には土地勘もなく背振山の情報もネットのみなのですが、偲ぶ花さんのブログ情報に助けられ、色々とお勉強させていただいてます!
今回いただいた情報を元に友人と登山準備して行ってみますね(^-^)
小さなゴミ袋持って下山時にはゴミも拾ってきます。月曜日ならば案内もして下さるお申し出、大変有り難い限りです。とりあえず明後日、チャレンジしてきます。
またご報告させていただきますね。本当にありがとうございましたm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
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ありんこさんは茨城の方でしたか!
茨城といえば東国三社を含め、印象的な神社がたくさんございましたが、偶然訪ねた御岩神社で出雲の痕跡を見た時は興奮したものです。岩戸を見ることができなかったのは残念でしたが、守られる聖域というのももっと増やしていくべきなのかもしれません。
ところで茨城がらはるばる九州へお越しになり、敢えてあの磐座というチョイスは、相当の磐座マニアか、または僕の写真に何か思うところがあってのことでしょうか。無事辿り着けることを願っております。
付け加えるなら、旧坂本峠は当然入口が二つございます。佐賀県吉野ヶ里側からの入口スタートが良いと思います。目的地まで近く、また行きが上りになるため、帰り道に気持ちの余裕が持てます。新道の脊振トンネルを抜けたあたりに「道の駅吉野ヶ里 さざんか千坊館」があります。ここに車を止めるのが一番安心なのですが、ここから坂本峠入り口まではかなり降ることになります。途中の車道脇にも僅かに車が止めれそうな場所はありますが、カーブの多い山道ですので、駐車が少々躊躇われるところです。
また石上坊跡までは一応道があるので心配ないと思いますが、そこからは手探りで登る道となります。小川が流れていますのでそれに沿って、足場を確認しながら登られると目的地に到達できたと思います。
一応Googleマップにマーキングしておきましたので、ご参考ください。
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&mid=1clL9wnCga1jGEudPG1g6_fIIkb8wJr4&ll=33.377032329527275%2C130.38059394615092&z=14
グリーンのラインは間違いのない道です。ブルーは霊仙寺跡に至る道ですが、マップに道がなかったので概ねで記しています。
オレンジのルートが石神坊跡に向かうルートですが、これはかなりアバウトです。現地でコースを確認しながら進んでください。
道の駅吉野ヶ里 さざんか千坊館さんでは脊振の清水を無料で汲めるスポットもありますので、水分補給されても良いかと思います。
また食事スペースもあり、山口の名産ではありますが、瓦そばを先日食べました所、ちゃんと瓦そばをしており、なかなか美味しかったです。
他の磐座でしたら、先日見つけた脊振山頂の磐座や、少し離れておりますが、宗像福津市の楯崎神社もお勧めです。楯崎神社は個人的には、禁足地である宗像沖ノ島の祭祀跡と似た空気を感じました。霊仙寺のものと合わせて一応ブログのリンクを貼っておきますが、もし行かれるならまた詳細をお尋ねください。
この磐座含め、地元の方々が公開を好まれていない場所については詳細を控えさせていただいておりますが、僕の知り得た場所や情報は僕だけのものとは考えておらず、求める人が辿り着ければそれが良いと思っています。
しかしながら、神に対する人の在り方、守るべき聖域のマナーなど、僕個人の考えは『偲フ花』でも匂わせている所であり、ありんこさんがそこを考慮くださっていることに、深く感謝申し上げます。ありがとう。
明後日水曜日は天候も良さそうですね、無事磐座に辿り着き、素敵な旅となることを心よりお祈りいたします♪
また、僕も茨城も再訪したいと願っておりますので、おすすめの場所などございましたら、アドバイスいただけると幸いです。
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貴重な情報&アドバイス本当にありがとうございます(^-^)非常に助かります。明後日、謙虚に慎重に登拝させていただきますね。
ところで、茨城県の御岩神社にお参りされたんですね!一昔前は地元民のみぞ知る聖地でしたが、今は全国から参拝客が訪れて宮司さんもビックリ(゚o゚)/状態みたいです。そのほか、常陸の国でどこか興味がある場所がありましたらお知らせ下さい。私で分かる範囲のローカル情報をお知らせ致します(^^)
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初めまして。思い切ってお尋ねしたいのですが、背振山山中の祭祀跡の磐座への行き方(車で行く予定)を教えていただけませんか?きちんとマナーを守って、神聖な場所だという認識を持ちお詣りさせていただきますので。よろしくお願い致します
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あんりこさん、コメントありがとうございます♪
脊振山山中の磐座とは石上の某磐座のことでしょうか?
勇気を持ってお尋ねのことと察しますが、残念なことに、ここは今はなかなか訪問が物理的に難しい場所になります。
脊振トンネルの有料道路ではなく、旧道の坂本峠途中に、霊仙寺という茶畑の遺跡があります。そこへ向かうのですが、まずこの坂本峠が現在道路崩落のため通行止めです。僕が行った時は坂本峠入口付近に駐車スペースがあったのですが、今はそれも侵入禁止になっていました。なのでずいぶん離れたどこかの場所に車を止め、坂道を歩き、さらに坂本峠に入って霊仙寺参道入口まで15分くらいは歩き登っていくことになります。途中、道路の崩落場所があったと思います。
霊仙寺入口に到着したら、そこからまた山を登ります。通常でしたら歩きやすく整備された道なのですが、道路崩落後は放置され、折れた樹木が横たわり、枯葉などで道は荒れています。
枝木を避けつつ歩き進んでいくと、霊仙寺遺跡の手前に石上坊と書かれた案内版があるので、そちらの方へ歩いて行きます。この道は通常でもあまり多くの人が進む道ではなく、細い斜面をしばらく歩くことになります。15分くらい歩けば石上坊跡地にたどり着きます。
石上坊跡地からは石垣を乗り越え、道のないところを、いわゆる藪こぎしながら登っていきます。さほど時間はかかりませんが、岩場や渓流のそばを登りますので、細心の注意が必要です。
このような行程を経て、念願の磐座に辿り着けます。
現在はアクセスが非常に難しく、ひと気もない山中であり、荒廃激しい行程となりますので、坂本峠が再開通され、霊仙寺遺跡が整備されてから行かれることを強くお勧めしますが、坂本峠がいつ再開通するかも見通しが立たないところです。
山中で遭難する危険性も低いとは思われますが、ゼロではないことをご理解ください。道程は晴天昼間でも薄暗いような鬱蒼とした所です。天候が良好な日でそれなりの準備を整え、ある程度の山歩きの体力を備えて臨むことをお勧めします。行き道で1時間弱くらいの登山を想定してもらえれば良いと思います。僕は前回訪ねて以降再訪しておりませんが、ブログにある磐座女子さんは1、2回ほど再訪していると聞いています。
どうしても行きたい、それで道案内が必要とあらば僕が請け負っても良いです。が、仕事上月曜しか休みがありませんので、合わせていただけるのであれば考慮いたします。ただ僕でも再訪は少々緊張する、そんなところです。
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ストーリーの構成と
ワード選び、やはり秀逸です。
ただ、「謎の人妻」にセレブ感が
漂っている気がするのですが、
そこは違いますね。
もうすこし、
若々しく、元気な感じ!!で
よろしくお願い致します。
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左手薬指にきらりと光る指輪をした女性と一緒に、吉野ヶ里に立っているシチュエーションがなぜか面白かったです(笑)失礼しました!
コメントありがとうございます♪
発見もあり、宿題ももらいな道行きでしたね。思ったのですが、kirinさん(と呼んでおきましょうか)は徐福系ではなく市杵島姫系の導きを受けているのかもしれません。あの銅鏡の年代が市杵島姫の時代と合わないので、貝の腕輪の女性は後の人であり、それであると謎のエリアに眠っているのは市杵島姫の方である可能性もあると先輩の助言でした。宇佐から始まっているというのもどちらかといえばそうなのかと。
楽しかったですね、また機会があればよろしくお願いします♪
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追伸。「謎の人妻」にセレブ感が漂っているとのことでしたので、「謎の人妻ちゃん」に変えてみました。
これで「若々しく、元気な感じ!!」になったのではないでしょうか🤗
いやなかなか謎の人妻ワード、好評ですよ、にひひ♪
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ウホッ♪
いつこの話題を上げてくださるのかとまっておりましたが、まさかの身バレ事件とのコンボとはwww
精密誘導爆撃の正確さに驚きを隠せませんw
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謎のエリア、胸熱ですねぇ。何が飛び出すんですかねぇ。
新潟はまだ涼しいですか?福岡はもうアッチくてたまらんです。二田物部さん行きたいな〜、バスセンターのカレー食べたいな〜。
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お導きと言いますか、縁のあるときは不思議な感覚があり、断っても応じても結果は一緒というか
疑問と答えが同時に存在し、順序に関係なく普通に違和感なく目の前に横たわっているとか
感覚的なものですが、そういう時は私は素直に従う様にしています。
後になってみると、自分が望んでいた、知りたかった事の答えであったのかもと思う様な事があります。
先生も強く念じると、吉野ヶ里からオチが出るwのではないかとw
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オチだけに!w
でも別に徐福さん推しではないんですよねー、まああまり深く考えず、流れに身を任せておきますが。
オチといえば宇佐家伝承で豊彦と思われる宇佐押人に嫁入りした越智宿禰の娘「常世織姫」(とこよおりひめ)、彼女が白山に祀られたとして、菊理姫は瀬織津姫と同神である説がありますが、常世織姫=世織津姫って事にはならないですかね。
みんな大好き瀬織津ちゃんは越智の姫だったってオチです。
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白山の菊姫のお話は、相当に真実性というか、宇佐による壮大なネタバレがある気がしますね。
元々宇佐氏古伝の前半部分からしてヤバイです
「宇佐家の古伝によると、大神比義の心眼に童子の姿で幻じて、「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗って出現した心霊は、応神天皇の神霊ではなく、神功皇后と武内宿禰との不義密通によって生まれ、四歳にして早世した誉田天皇と僭称する男児の亡霊で・・・」
その後に豊彦らしき人と越知のくだりになりますが
微妙に隠してる様でその実とんでも無いことを言ってるのが宇佐古伝だと思います
出雲伝承を知る人は、村雲、磐余彦(ウマシマデ)、崇神が神武になり、伝承の内容が記紀服属の形態をとっているのか否かが分かります
つまり、宇佐氏は、崇神が神武であるという記紀服属のフリをしながら、竹葉瀬君が本来の皇族の系譜だよと言ってるわけです。
更に、男系で言えば正当なはずのイクメ以降の血筋を偽として、物部政権の皇后の息子をニセモノとして扱っています。
普通の人なら、よくある自分の家系を大きく見せるためのホラにしか写りませんが、コレ絶対ヤバい奴ですよねw
異母兄弟の家系を認めませんと宣言しているわけです。
さらには、仲哀とは死別しているので、普通なら不義密通にはなりません。
何を持ってして不義密通かという事が本当にスルーされています。
これは富士林先生の、政務は生きていたのお話と全く繋がるわけです。
宇佐古伝と出雲伝承は、よくよく理解すると恐ろしいほどの合致点があるわけです。
そう考えると菊姫と瀬織津姫。
ヤバイ気がしてきませんか?ww
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古代の真実を紐解くというのは、本当に危険を伴うことだと思われます。実際に命を落とされた方もいますよね。そんなギリギリの中で伝承者は苦悩と工夫で真実を伝えようとしているのでしょう。そういうリスクを僕らも、そろそろ認識しないといけないのかもしれません。
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追伸w
バスセンターと二田物部神社は範囲が広すぎるかとww
二田物部の宮司さんは是非アポ取りの上行った方がいいです。
越知の事、おそらく聞きたがっていると思いますよ
私は中央区在住ですが、密かに柏崎の米山インターあたりに秘密の前進基地があり鍵も預かっています
近くには米山という非常に珍しい明治の原三角点がある山があり、神社もありますが、祭祀としてはあまり規模が大きくはありません
前進基地はちょっとお掃除が要りますが、水道も電気も通っています
日帰り強行だと神社オンリーになろうかと思われます
日本海の夏は湿気ジメジメで超暑いです
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本当ですか、二田さんでは越智談義で長丁場になりそうですね♪ワクワク。
おお、narisawaさんも秘密基地ゲットですか、ロマンですね〜♪新潟行く時はご一緒したいですね!
夏頃新潟に行ったことありますが、涼しいかと思い込んでいたら強烈なパンチを喰らいました。
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追伸
宮司さんの名刺貰ってあります\(^o^)/
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うぃ、会いにいくっす💕
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chiricoさん、導かれてらっしゃいますね。😊
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いったい僕は、どこへ導かれていくのでしょうね、ドナドナドナ。。
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