岐阜県下呂市の金山町山中にある「金山巨石群」(かなやまきょせきぐん)、そこは古代の天体観測地だったのです。
金山巨石群は「岩屋岩蔭遺跡巨石群」「線刻石のある巨石群」「東山巨石群」の3つの巨石群を合わせた総称です。
このうち岩屋岩蔭遺跡と線刻石のある巨石群は隣接しており、東山巨石群だけは登山道もない山の中にあるようです。
さて、岩屋岩陰遺跡(いわやいわかげいせき)の参道を登ってみましょう。
石段を登りつめると、狛犬のような大きな石が左右にあり、奥に岩屋のような巨石が置かれています。
岩屋岩陰遺跡の磐座は「妙見神社」として祀られており、周囲にも小さな社がいくつかありました。
この妙見神社鎮座の由来には次のような話が語られています。
鎌倉時代、当地より馬瀬川を下った場所にある祖師野八幡宮の祭りでは、毎年美しい娘を神に供えるしきたりがありました。
この神というのは名ばかりの怪物でしたが、供えを怠ると村に祟るので村人は仕方なく祭りを続けたのです。
ある時、この村にやってきた男がいます。平治の乱(1159年)で平清盛に敗れた源義朝の長男・善平(悪源太善平)です。
村人から祭りの話を聞いた善平は、自分が娘に扮して怪物を退治することを決めました。
善平が娘の衣装を纏って社殿の中に身を置いていると、やがて大きな足音が近づいてきました。
怪物は闇の中でぎらりと目を光らせ、腐臭を放ち、耳まで裂けた大きな口を開いて娘に扮した善平に喰らいつこうとします。
その刹那、善平は腰の名刀「藤捲の太刀」(祖師野丸)を引き抜き一閃、怪物に向けて抜き斬りつけたのです。
怪物は驚き、血を吹き上げ、うめきながら山の方へと逃げて行きました。
善平は怪物の残した血の痕を追って馬瀬川を渡り、たどり着いた場所がこの岩屋岩蔭遺跡でした。
善平が岩屋の中へと踏み込み、怪物を討ち殺してみれば、それは数百年を経た真白い狒々(ヒヒ)だったのです。
長く村人を苦しめた怪物は退治され、村には平穏な日々がやってきました。
善平は狒々を退治した太刀を、神宝とするよう村へ寄進しました。
この太刀は祖師野八幡宮の神宝として納められ、祭典の神輿渡御に随伴させました。
岩屋には妙見神社を祀りましたが、この妙見とは名剣に通ずると云うことです。
岩屋岩蔭遺跡の巨石群は、太陽の位置によって春分・秋分の頃、そして冬至の頃の太陽を観測できると案内にあります。
また発掘調査によって、当地には縄文時代早期から江戸時代の遺物が出土しており、これは山深い場所にある磐座遺跡に古代から人が住んでいたことを示しています。
岩屋岩蔭遺跡をぐるり半周して上部に向かっていると、そこにも太陽観測所がありましたが、
二つの岩の接合部がきれいに弧を描いて削られており、人が加工したであろう痕跡が見て取れます。
遺跡の上部でも
北極星や北斗七星を観測できるようです。
お隣の「線刻石のある巨石群」です。
こちらは回廊状に巨石が置かれています。
やはり人の手によって配置されたものでしょうか。
この巨石群の目玉とも言えるのが、名称にある線刻のある巨石です。
これは太陽観測の痕跡だそうです。
この巨石群が天体観測に使用された遺跡であるという主張は地元市民団体によるもので、考古学的に実証されたものではなく、否定的な意見もあるのだとか。
この線刻も「柱状節理」によるものという意見があるそうですが、高千穂などの柱状節理とは全く違っているのでそれはないと思います。
僕も専門家ではないので確証はありませんが、古代遺物であると思った方がロマンがあって良いです。
面白いのがこの線刻のある巨石下の空洞で、
太陽光の道筋を示す矢印が設けられていました。
ここでは夏至の太陽を観測できるそうです。
当地にはもう一つ興味深い伝承があります。
仁徳帝時代(400年頃)、飛騨の地のまつろわぬものがいました。
その名も「両面宿儺」(すくな)、そう呪術廻戦のあの人です。
両面宿儺は 2つの顔と4本の手を持つ怪人で、大和朝廷はこれを誅するため、和珥(わに)臣の祖「難波根子武振熊」(なにわのねこたけふるくま)を遣わしました。
『金山町誌』によれば、武振熊命が討伐に来ることを知った両面宿儺は、八賀郷日面出羽ヶ平を出て金山の鎮守山に37日間留まり、津保の高沢山に進んで立てこもったが、敗れて討死したと云います。これには異伝があり、出波平から金山の小山に飛来した両面宿儺は37日間大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの山を鎮守山と呼び村人が観音堂を建てて祭ったともいうとのことです。
両面宿儺に似た異形の者に信州の「魏石鬼八面大王」 (ぎしき はちめんだいおう)がいます。
魏石鬼は出雲族であったと考えられますが、両面宿儺もそうだったのでしょうか。
などと、古代に想いを寄せ、いくらでも佇んでいられる巨石群が金山の山中にありました。
写真も溢れるほど撮りましたが、キリがないのでこの辺で。
岐阜県郡上市和良町野尻に「蛇穴」という洞穴があったので寄ってみました。
ぞわりとくる洞穴。
この湿気た暗い穴ぐらは、永い間の諸々のものが降り積もって澱んでいるようで、佐賀の縄文人遺跡とされる橋川内洞窟を訪ねたあたりから、僕は洞窟が苦手なんだと認識しています。
ここにはむかし大蛇が棲んでおり、乙姫様と呼ばれていました。
村人が行事や祭りごとで膳や椀が必要になると、この穴の前に希望の人数を書いた札を置いてお願いしていました。すると翌朝には人数分の膳や椀が揃えてあったのです。
ある時、村人が鼓を5つ貸して欲しいと願い出ると、すぐに5つの鼓を用意してもらえました。しかしその鼓があまりに珍しいものなので、村人は1つを隠して4つだけを返したのです。
するとその年はひどい日照りとなり、田畑の水は涸れ、土地はひび割れてしまいました。
これは乙姫様を怒らせてしまったからだと、村人は早速雨乞いをおこないました。
やがて黒雲が湧き、大粒の激しい雷雨が村中に降り注ぎました。辺り一帯に落雷があり、それはたちまち火の手となって燃え上がりました。
蛇穴からは大蛇がぞろりと這い出して、そのまま黒雲の中に消えていったのです。
以来、蛇穴でいくらお願いをしても椀も膳も出てこなくなったということです。
この話は「椀貸伝説」などと呼ばれる全国各地に見られる民話・伝承の類型のひとつです。
が、白山のお膝元で、龍蛇神が乙姫と語られているのが興味深いです。
太古の時代から涸れることなく湧出する清水は銘酒「福和良泉」(ふくわらい)や天然のわさびを育んでいました。
これぞ不老長寿「変若(おち)の霊水」なのかもしれません。
こうしてお話を読みながら写真を観ていると、本当に血の跡に見えてきます。
下呂とのこと、温泉♨️には入られましたか?
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すみません、いただいたコメントが迷子になっていて今気がつきました。
返信が遅れて大変失礼しました。
はい、温泉にも入ってきました。下呂は観光するところはあまりありませんでしたが、お湯が本当に良い。
入った瞬間に肌がツルッとなりますね。
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>>福和良泉(ふくわらい)や天然のわさび
→神秘的な自然の恵みなのですね。ご相伴にあずかれる日が来ますように!
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旅をしていると、清らかな水が豊富な場所は作物も豊かであることが分かります。そうした場所をいかに守るかが、この小さな島国での生き残り方かもしれません。
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岩が生きている感じですね。また岩と樹木との共生している環境ですね
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すみません、いただいたコメントが迷子になっていて今気がつきました。
返信が遅れて大変失礼しました。
はい、おっしゃる通り、生命力を持った岩々でしたね。自然のエネルギーを感じる場所でした。
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