阿波国に豊玉毘賣神社があるというので行ってみました。
近くに「錦竜水」(きんりゅうすい)という湧き水がありました。
古より愛された名水とのことです。
さて、豊玉毘賣神社を参拝するには、徳島市眉山町に鎮座の「春日神社」を訪ねます。
当社は奈良の春日大社から勧請された分社となるようです。
もとは春日大社の社領があった富田庄(入田町)にあったものが、天正14年(1586年)蜂須賀家政公の徳島城入城にともない今の場所に遷座されたと伝えられます。
祭神は「武甕槌命」「斎主命」(いはいぬしのみこと)「天児屋根命」「比売神」の4柱。いわゆる春日大社の祭神です。
この春日神社の境内社として「豊玉毘賣神社」が鎮座しています。
その由緒書がとても興味深い。
阿波王朝説に則したものと見受けられますが、豊玉姫はかの大女王であったと記されています。
以前、当ブログの『八倉比賣神社』のコメントで、「きつね」さんという方から「そこは天石門別豊玉比売神社ですよ。天石門別矢倉比売神社は現在の上一宮大粟神社です」と教えていただいたことがありました。その時はよく分かりませんでしたが、ようやく謎に迫る準備が整ってきたところです。
社務所で愉快な宮司さんにお話を伺うと、豊玉毘賣神社は徳島城から移されたものなのだそうです。
初代徳島藩主・蜂須賀家政公は築城に際して城山にもともとあった神社仏閣をすべて立ち退かせました。これに抵抗した修験者に「清玄坊」がいますが、家政公は彼を呼び出し、背後から矢を射て射殺してしまいました。
ところがその後、清玄坊の首が城下を飛び回り、藩主が病になるという怪異が続きます。この清玄坊の祟りを鎮めるため、蜂須賀家は城山に「天石門別豊玉龍王宮」を再建し、蜂須賀藩が続く限り、代々の藩主自らが神主となって祀祭を行うこを誓約をしました。
時を経て明治時代になると、蜂須賀家は阿波を離れ、東京暮らしになってしまった為に「天石門別豊玉龍王宮」の神事が止まってしまいました。
以後治初期には全国10位に入るほどだった徳島自体の人口も減ってしまったということです。
この豊玉毘賣神社は、失われてしまった天石門別豊玉龍王宮を、元宮司が再建し、神事を復活させたということのようです。
しかし「きつね」さんの話が本当であれば、あるいは八倉比賣神社も天石門別豊玉龍王宮と関連深い繋がりがあるのかもしれません。
春日神社の境内には、眉山の滝の名物、焼き餅の「よねや」さんがあります。
一皿注文すると、むかし話に出てくるようなおじいさんとおばあさんが、丁寧に餅を焼いてくれました。
焼きたての餅を口に運ぶと、鉄板焼きの独特なおこげと、微笑ましくもあつあつの夫婦愛の味が、口いっぱいに広がりました。
こんなに幸せな気持ちになれるお店は、この先も末長くあり続けてほしいと思ったのでした。
CHIRICOさん、初めまして😊初めてコメントさせていただきます。
先日行った青島神社にはもちろん豊玉姫が御祭神としておりましたが、その他にも鹿児島の知覧市でも豊玉姫神社に参拝してきました。
全国各地に豊玉姫の神社があるのは興味深いですね!大昔は女性の祭司王の方が位が高かったとも聞きます。
全国の神社やご霊山に参られてのお話、興味深いです(^^)いつもありがとうございます。またの投稿を楽しみにしています♪
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まじょさん、こんにちは♪ようこそ『偲フ花』へお越しくださいました。
僕の記事は、出雲王家の直径の御子孫である富先生の話をベースに考察しております。先生によれば、宇佐の豊玉姫がいわゆる邪馬台国の女王卑弥呼にあたるということで、全国各地を訪ね歩けば確かにその痕跡を発見することがあります。
この豊玉姫の息子に妃を出したのが四国の越智家であり、今はこの越智家を調べているところです。
豊家と越智家は一蓮托生の関係であり、その分家として志賀島の安曇族や阿蘇の蒲池姫、水沼氏、日下部氏、そして土蜘蛛族とよばれた一族などの存在が浮かび上がります。
それらの部族らは母系社会を形成しており、おっしゃるように王よりも女性司祭者の方が位が高かったのです。
そのようなことで一般には知られていませんが、豊玉姫の総本宮は宇佐神宮ということになり、彼女の御陵は御許山の大元神社ということになります。仮の葬儀を行なったのが広島の宮島。宇佐神宮の謎の祭神「比売大神」が豊玉姫です。
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お返事ありがとうございます!
出雲族は自然崇拝・女神崇拝(龍神信仰)が強く、歴史上隠された存在、というイメージです。(間違ってたらごめんなさい!)色んな神社に行くと、ひっそりと龍神様を祀っているところも多く、気になっていました。関係あるのかな〜
私は宮崎県に住んでいるのですが、日向族とは敵対関係にあったのでしょうか。。
最近古代日本史に興味を持ち始めたばかりで、まだ全然しっくりきてませんが、CHIRICOさんのブログで勉強させてもらいますね(^^)
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出雲族のイメージはその通りで良いと思います。
日向は豊族の領域ですが、物部のイニエ王(崇神天皇)が筑紫からやってきて、豊玉姫と婚姻し、西都を築いたということです。
物部族は秦の徐福を祖とする道教系の星神信仰ですが、豊族は月神信仰であり、干珠満珠の伝承は月神信仰に由来します。色々調べてみると、豊族は出雲族に近い祭祀形態を持っていたと思う節があります。ちなみに物部族は父系社会ですので、巫女よりも王の方が地位が高いです。日向は両者が混在していますが、根底には豊族の地盤があると思います。
豊族は物部と結託して、出雲系大和王朝を攻め、制圧しますが、その後物部王のイクメ(垂仁天皇)に裏切られて、群馬に追いやられてしまいます。そこでは出雲族に助けられているようです。豊族はおいたはしましたが、基本的には出雲族と近しい一族だと思います。
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ご丁寧に説明してくださり、ありがとうございました!!
我々のご先祖は色んな部族とぶつかり、争いながらも、調和しながらこの日本を築いてくださったんですね。どの部族も滅びることなく、どこかで誰かが語り継いでくれている…すごいですね。感動します。過去の記事や著書も読ませていただきたく思います。
本当にありがとうございました!
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僕のブログはちょっと独特かもしれませんが、どうぞのんびり楽しんでいただければ幸いです。
宮崎・日向方面は近いこともあり、何度も足を運びました。良いところですね、日向夏も大好きです♪
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お餅もこうやって丁寧に焼くとふっくらと香ばしく、香りが漂ってきそうです。
お茶もここのお水なら美味しいでしょうね。
CHIRICOさんの周りにはイケネコが集まってくるのでしょうか?美形です☆
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お茶もおいしかったですね、思わずおかわりしました😊
お餅はモチモチではないのですが、素朴で香ばしい、懐かしい味でした。
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