安乎岩戸信龍神社(”いわんど”だったところ)

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がさ、じゃり、がさ
「あ、神様が戻ってきたのかもしれない」
洞窟の入口で足音がしたので、龍はとびあがって、急いで覗きに行きました。
「へえー、こんなところに洞窟があるんだ」
その足音は、通りすがりの見知らぬ旅人のものでした。
「中は真っ暗で何もなさそうだな」
そういうと旅人は洞窟から離れて、また旅立ってしまいました。

がさ、じゃり、がさ
「あ、神様が戻ってきたのかな」
また龍はとびあがって、洞窟の入口まで急いで覗きに行きました。
「確かこの奥に小さなお社があったのだけど、神様はお引っ越しなされたそうだよ」
それは二人の村人でした。村人たちは洞窟の中を覗いてみましたが、真っ暗で何も見えなかったので、そのまま立ち去ってしまいました。

がさ、じゃり、がさ
時折洞窟の入口では人の足音がして、その度に龍は小さな神様が戻ってこられたのではないかと思って、入口まで急いで覗きに行きました。
しかし小さな神様が戻ってくることはなく、立ち寄った人々は皆、すぐに立ち去ってしまうのでした。

がさ、じゃり、がさ、がさ、じゃり、がさ
いく日もいく日も、そんな時が過ぎました。
龍は空を飛べたので、いつでも洞窟から飛び出して別のところへ行けたのですが、小さな神様がいらっしゃった小さな洞窟の小さな社を、小さな神様がいなくなっても離れることができず、ずっとずっと守り続けていたのです。

ごろ、ごろ、どん
「ありゃぁ、穴が開いてしもうた。そういやここは洞窟じゃったな」
ある時大きな音がして、洞窟の天井に穴が開きました。お山の工事をしていた人が穴を開けてしまったのです。
大きな石が転がり落ちましたが、小さな社は龍が守っていたため無事でした。しかし空いた穴から光が差し込み、そこに浮かび上がった小さな社はずいぶん朽ちていました。
またある時、近くに住む男が洞窟にやってきました。
「ありゃぁ、こんなところにお社が。それにずいぶん朽ちておるの」
男はそれからというもの、毎日毎日、朽ちた小さな社に、水とおそなえ物を届けました。

がさ、じゃり、がさ、がさ、じゃり、がさ
その後もたまに、洞窟の入口に、洞窟の中に、訪ねてくる人はいましたが、やはり小さな神様が戻ってくることはありません。
ざあざあと雨が降るある日のことでした。またひとりのおじいさんが洞窟にやってきました。
「ああ、あと少しでお宮だというのにひどい雨じゃ。龍よ、すまぬが少し雨宿りをさせておくれ」
小さな社のそばでとぐろを巻いてうずくまっていた龍は、とても驚きました。
「おじいさん、わたしが分かるの?」
「おお、おお、龍よ、わしにはそなたの姿がよく見えるぞ。立派なうろこの龍よ、わしは神様じゃからの」
すると、龍の瞳から大つぶの涙がこぼれ落ちました。
「おやおや、洞窟の中も大雨じゃったか。どうした龍よ、わしにその涙のわけを話してごらん」
龍はむかしむかし、小さな神様とこの洞窟で暮らしていたこと、神様のお使いに出かけて帰ってみれば神様の姿がなくなっていたこと、そして今日まで寂しくずっと小さな社を守り続けてきたことを、涙ながらに話し伝えました。
「うむうむ、そうかそれは辛かったの」
神様は龍の頭をやさしく撫でました。
「わしはこの先の八幡宮の神様じゃ。そういえばわしの所にスクナヒコという小さな神様がやってきておるが、その神様のことじゃろう。わしのように大きな神様はな、今日のように出雲の”神はかり”に呼ばれると出かけていけるが、小さな神様はなかなかお社から外に出ることはできんのだ。それにな、おぬしのように自然から生まれたものは自由に生きられるが、わしら人から生まれた神様は人の信仰がなくば消えてしまうのよ。おぬしの小さな神様は、しばらくわしの元におった方が良かろうよ」
「わたしが八幡宮にお伺いすることは叶いますか?」
「もし今、いっときでもおぬしが洞窟を離れれば、朽ちたこのお社はすぐに崩れてしまうだろう。小さな神様が帰るお社が失われれば元も子もない。八幡宮にはわしの声を聞くことができる神主がおるから、一年に一度、小さな神様とおぬしが会えるよう話しておこう」
それから大きな神様は龍に、こう付け加えてお話しされました。
「龍よ、おぬしがこれまでずっとこのお社を守り続けてきたことは誠にもって立派じゃ。これからも小さな神様が戻ってくることを信じて、おぬしがこの小さな社を守り続けるなら、いつかおぬしのことを知り、お社を立派に造り替えてくれる者たちが現れよう。そして人々の信仰がよみがえれば、おぬしの小さな神様はその時こそ戻って来れるのじゃ。その日を信じて、これからもお社を守り続けなさい」
「はい」
龍の顔には、久しぶりの笑顔が浮かんでいました。
「どれどれ、外の雨もおぬしの雨もあがったようじゃ。それではおいとましようかの。雨宿りありがとう、龍よ元気でな」
「大きな神様、ありがとうございます。あの、お名前をお聞きしても良いですか」
「わしの名はタカハセと言う」
大きな神様が洞窟から立ち去ろうとした時、もう一言だけ付け加えてお話になりました。
「おぬしは誠実な龍じゃ。主人を信じる姿をもって『信龍』と名乗りなさい」
「はい、タカハセ様」
そう答えた龍の顔は輝いて、立派なうろこはますます美しく見えたのでした。

そうして大きな神様が洞窟を去ってしばらく日が過ぎた頃、葛城の方角から太陽が昇る春の日、信龍が小さな社でとぐろを巻いてまどろんでいると
「よいさっよいさっ、よいさっよいさっ」
どこからともなく威勢の良い声が聞こえてきます。
「よいさっよいさっ、よいさっよいさっ」
それは神輿を担ぐ、男衆らの掛け声でした。
今日は年に一度の八幡宮のお祭りの日。神輿はどんどん洞窟に近づき、
「よーしここだ。さあ神輿を止めてご挨拶だ」
そう言って男衆らは洞窟の前で神輿を止め、深々と頭を下げました。
信龍は何事だろうかと洞窟の入口まで顔を伸ばしてみると
「おーい、おーい」
小さな声の、でもとても懐かしい声が聴こえてきます。
「おーい龍や、私じゃ、龍よ。私を覚えておるかの」
なんと男衆らが担いできた神輿の上に、とてもとても懐かしい、小さな神様が立っておられました。
「神様、神様、はい、もちろん忘れたりしておりません、神様。私はちゃんと神様のお社を守っております」
「そうかそうか、ありがとうよ龍よ。そなたは信龍と名前をもらったそうじゃな。ありがとう信龍、ありがとう信龍」
「はいっ、神様」
信龍の瞳からは、また大つぶの涙がこぼれ落ちました。しかし信龍の顔は嬉しそうに笑って、そして大つぶの涙はあたたかな雨粒だったのです。

こうして信龍は、またいつか大好きな小さな神様と一緒に暮らす日を夢見て、
この国で最初にできた小さな島の海岸の、小さな洞窟の小さな社でとぐろをまいて、今もまどろんでいるのです。

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Aさん「今、淡路島です。この後”おのころ島神社”と”沼島”に行きますー(*’-‘*)」
G氏 「淡路島に”いわんど”という洞窟があってですね、取り残された龍の話が伝わっていますよ。以前は朽ちた社がありましたが、最近新しくなったそうです☆」
G氏 (そういえば”いわんど”新しくなったんだよなぁ。紹介した手前、一応僕も画像検索してみるか。ふむふむ確かに綺麗になってるな。岩戸神社、龍の伝説、ほう、なるほど。。。ん?んんっ!?)

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日本最初の島、AWAJIにやってきましたYO。

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兵庫県洲本市安乎町に鎮座の「安乎八幡神社」(あいがはちまんじんじゃ)に来てみました。

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立派な神門に

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荘厳な社殿の神社です。

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春の祭りのだんじりは勇壮なのだそうです。みてみたい!

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狛さんはなぜか

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左右で雰囲気が違いますね。

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創立年月は不詳。祭神は八幡神社なので「応神天皇」と「仲哀天皇」「神功皇后」です。

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ちょっと気になるのが社殿裏の磐座。

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白い磐座ですね。八幡系なので、豊か越智が関わっている可能性はあるのでは。
付近の腐葉土からは土器も見つかっているそうですから、月神祭祀が行われていたと思います、僕は。

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ところで当社を訪ねたのは、「いわんど」の神様がこちらの移られたと聞いたからです。

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その神様はどちらにいらっしゃるのでしょうか。
そしてその神様とは、どなたなのでしょうか。

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さて、御目当ての「いわんど」にやってきました。
いえ、今は名前が変わって「安乎岩戸信龍神社」(あいがいわんどしんりゅうじんじゃ)となりました。

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広い駐車場ができて、参道が横に伸びています。
参道は白砂利が敷き詰められ、飛び石が置かれています。

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社務所もできていました。

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横にはなぜか「淡路島オートバイ神社」。

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社務所の中は無人でしたが、

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お守り販売機が置いてありました。せっかくなので、記念に一ついただきます。

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他には人生訓や

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おみくじ機も。

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記帳させていただきました。

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いわんどには、行基が天照大神の御神体の神鏡を祀ったという伝承もありましたが、神様はスクナヒコになっていますね。
一文字多いですが、まあそれは一般的にそうなので仕方がないです。

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そうそうこれ。

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記念撮影がしたかったんです、テヘペロ。

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変なおっさんが自撮りで看板と記念撮影をしている間にも、駐車場に車が入ってきて、4人組の女子が参拝していかれました。
龍の伝説の案内板も読んでくれていました。

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「いわんど」は安乎八幡神社の方や氏子さん、地元の方の熱意でこうして整備されたのでしょうか。

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タツノオトシゴの手水などは特注じゃないですかね。

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さて、龍さんは元気でいらっしゃるでしょうか。

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前回来た時は2019年でした。

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2021年4月に「安乎岩戸信龍神社」として再興され、こんなにも綺麗な神社になりました。

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ははっ、ほんとに綺麗になったね。それに可愛い♪

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これまでは地元の造園業の方が手入れや掃除をなさって、朽ちた社殿もなんとか形を保っていたと聞いています。
その方のおかげで、「いわんど」はなんとか生きながらえ、立派な「安乎岩戸信龍神社」になれたのですね。

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常時、LEDのライトアップまでされています。

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こうしている間にも参拝客がたびたび訪れていました。

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道向かいのショップのお姉さんにドリンクを注文しましたが、話を聞いてみると、本当に多くの人が来てくれるようになったのだと。

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寂しくは無くなっただろうけど、やっぱり小さな神様に逢いたいのかな。
少彦名命って書いてあるから、小さな神様は戻ってきたのだろうか。

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前回見送ってくれた部分にやさしく触れると、龍が喜んでくれているような、そんな感じがしたのでした。
君の寂しさが少しでも和らいだのなら、僕は本当に嬉しいよ。
そしてどうかいつの日か、小さな神様と龍が再び幸せな日々を送られますよう、心から願うのです。

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6件のコメント 追加

  1. 匿名 より:

    初めてコメントさせていただきます。
    私は葛城地方に住んでいる者です。

    昨年6月に、地元の友人が淡路島に行った時、ふと気になった神社に参拝した際、その看板に「葛城」の文字があり、偶然の奇跡に驚いた・・と教えてくれました。私自身も興味がありましたので、当時調べてその看板の画像を見つけ、内容を読みました。「小さい神様」と「龍」のお話はとても心に沁みました。私にも、ずっと守ってくれている「龍」のような存在がおりますので、そのことも重なりました。また、ふるさと「葛城」にあるという『忘れ物』とは、一体なんなのだろう?と考え、調べてみましたが答えは見つかりませんでした。『忘れ物』については、ずっと心に引っかかったままでした。

    今回、調べ物の中で「安乎岩戸信龍神社」を再び検索し、このサイトに辿り着き、看板にあったお話の続きとも言える内容に出会い、大泣きしました。私にも龍の立派な鱗が見え、その鱗を撫ぜた時のリアルな感触が、自分の中にありました。大きな神様からいただいた「信龍」という名前・・・本当に素敵な物語をありがとうございました。(神社の看板の物語も、CHIRICOさん作であったと初めて知りました。)

    大泣き(笑)のその後、『忘れ物』について浮かんで来た答えがありました。それは、『信じる心』を取り戻す(忘れ物を持ち帰る)事だと。この神社の言い伝えと物語そのものが「信頼・信じる心」でありますし、この物語の中では『忘れ物』は『信じる心』を象徴していて、龍が持ち帰って確かに「体現」している・・・と。
    混沌としたこのご時世において、疑心暗鬼に生きることが当たり前になっております。私自身は、「人間は神様(神性)・仏様(仏性)の現れ」という考えを持っておりますが、なかなかそういう風に思い切れていない(信じき切れていない)側面があり、大変苦慮しております。「神様」を信じる、「自分自身」や「相手」を信じる、「人間の神性・仏性」を信じるなど、『信じる心』『信心』を取り戻す(思い出すこと)、その復活は非常に大切だと思います。そのためにも「頭(肉体的な理性や精神)」ではなく、「心(魂)」で見て聞いて感じて行動することが重要だと、つくづく思いました。(信龍の鱗と肌触りを見て感じられたのは「心(魂)」の働きのおかげだと思いました。)

    長々と自分の感想を書かせていただき、大変失礼いたしました。
    でも、思いのままそのままを、そして感謝を、CHIRICOさんにお伝えしたいと思いました。ありがとうございます。

    SATO

    いいね

    1. CHIRICO より:

      SATO様、ようこそ偲フ花へお越しくださいました。
      また、素敵なご感想、ありがとうございます♪

      私が最初に安乎岩戸信龍神社に訪れたのは、まだ朽ちた社殿があるばかりの、いわんどと呼ばれていた場所でした。そこで思い至ったのは、出雲の洞窟で亡くなられた出雲の王と副王、大国主と事代主のことでした。
      奇跡的にお声をかけていただいた私の先生ですが、その方が古代出雲王国8代目少名彦(副王)の事代主・八重波津身の直系の御子孫で、代々正しい歴史を語り継いで来られた家、富家の方になります。
      富家では事代主が亡くなったあと、息子のクシヒカタが葛城に至り、国を築いたと伝えられています。そして出雲族は龍蛇神信仰と太陽神信仰を持っています。
      後年、海岸に面した朝日を拝することのできる洞窟・いわんどに神と龍を祀った一族がいたとしたら、それは出雲族であろうと思われました。そして春分・秋分の日に太陽が登る方向に線を引くと広義の葛城(正確には御所あたりになるでしょうか)に至るので、神様は事代主であろうと考えました。
      事代主はスクナヒコでもありますので、神話で小さな神様と表現されており、しぜんと今回の物語が思い浮かんだという経緯があります。
      ちなみに三輪山に祀られる大物主も事代主だそうです。(一般には大国主とされていますが)

      安乎岩戸信龍神社の案内板に私の物語が書かれていたのは、私も驚いたところですが、それによって多くの人にあの場所が大切な聖域であるということを知っていただけたのは嬉しい限りです。いつか小さな神さまも戻って来れると素敵だなという願いも込めて、今回の続きも書かせていただいております。
      先の出雲の云々はまた難しい、長い話になりますが、それはさておき安乎岩戸信龍神社に訪れた方々が、時には私の物語を読んでもらったりして、それぞれの胸の思いを膨らませて何かを感じ取っていただければ幸いです。
      この国には消えつつあるたくさんの素敵な場所があり、大切な場所があります。それらを少しでも知ってもらえたなら、嬉しいことですね。

      いいね

  2. pikao より:

    こんにちは^^
    「いわんど」と読みますか
    こちらは洞窟の独特な感じのパワースポットのようですね☆
    タツノオトシゴの手水もなかなかいいわぁ~
    洞窟の中ら見える鳥居や海?かな空かな?・・・こんなの好きです
    全国から参拝者も多く来てますねぇ こういう神秘感がいいのかなぁ~(*^0^*)~♪

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      pikaoさん、こんにちは♪
      いわんどは神社が新しくなる前の呼び名で、朽ちかけた社殿があった頃の方が神秘的だったのですが、新しくなってひとりぼっちだった龍も嬉しそうだったので良かったなと思いました。
      由緒書きの文章は、以前の記事で僕が書いた物語がほぼそのまま載せられていたので、今回の神社リニューアルに知らず一役買っていたのかもしれません😅

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  3. KYO より:

    随分な変わり様にびっくりですね。
    「いわんど」と添えて頂けなかったら、分からなかった気がします。謂れ看板の文章ですが、どこかで読んだことがあるような気がするのは私だけでしょうか?😅
    でも、それだけ地元の方々の尽力があったのですね。この時代、それはそれでとても凄いことではないかと思います😊

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    1. CHIRICO より:

      KYOさん、こんにちは♪
      今回の記事はKYOさんに一番にお知らせしたかった事なので、読んでいただけて嬉しいです😊KYOさんにいわんどの事を教えていただき、そこで書いたブログが少しでも今日のきっかけになったのであれば光栄ですし、謹んで小さな神様と龍の物語は御奉納させて頂く思いです。
      小さな集落で、これだけ立派な神社にするには大変なご苦労があったのではないかと思います。神秘感はやや薄れ少々こってり感もありますが、あのままではいずれ消滅しかねませんでしたし、訪ねてみて龍も寂しさが和らいでいる感じがしましたので、これで良かったのだと思います。
      平日なのに他県ナンバーの参拝者もちらほら見かけ、まだこの先も訪れる人が増えるのではないかと思われます。願わくば、誰もが自分の願い事を押し付けるのではなく、龍が幸せになってくれるよう、見守って欲しいといったところでしょうか。

      いいね: 1人

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