上一宮大粟神社:白姫 16

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徳島県名西郡神山町に鎮座の「上一宮大粟神社」(かみいちのみやおおあわじんじゃ)を訪ねました。

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当社は、式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つとされ、大宜都比売(おおげつひめ)を主祭神とすることから、古くから先人たちはこの地で粟などの穀物を生産し、阿波の語源とされる「粟生の里」として栄えていたと云います。

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大宜都比売は『古事記』の神話にその名を見ることができます。
高天原から追われたスサノオがオオゲツヒメの元に訪れ、何か食べさせて欲しいと乞いました。するとヒメは鼻と口と尻からさまざまな美味な食材を出し、それを調理して奉りました。その様をのぞき見ていたスサノオは、「私に汚物を差し出すつもりか」と怒って、この女神を殺してしまいました。
するとオオゲツヒメの死体の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が育ち、大地に五穀豊穣をもたらしたと云うことです。

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この大宜都比売とよく似た話が『日本書紀』にもあります。
アマテラスは弟のツクヨミに、葦原中国にいる保食神(うけもちのかみ)という神を見てくるよう命じました。ツクヨミが保食神の所を訪ねると、保食神は陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで調理した食事でツクヨミをもてなしました。それを見たツクヨミは「吐き出したものを食べさせるとは穢らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまいました。

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死んだ保食神の頭からは牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。
このことを聞いたアマテラスは怒り、ツクヨミと決別し、それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったと云うことです。

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記紀によるこの話の類似性は、オオゲツヒメと保食神が同一神であることを物語っています。両者に共通する食物起源神話はインドネシア由来のハイヌウェレ神話が元になっていると思われますが、穀物神を殺した神を、柿本人麿はスサノオと、太安万侶はツクヨミとしたところが興味深いです。

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長く美しい苔の参道の先には、重めかしい拝殿がありました。

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見事な彫刻に

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粟の神紋。

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祭神の大宜都比売命は、またの名を「天石門別八倉比売命」(あまのいわとわけやくらひめのみこと)とされ、『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つとなっています。

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社伝によれば、大宜都比売神は伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたとされています。
オオゲツヒメは穀物神として宇迦之御魂神とも同一視され、稲荷神社に祀られていることもありますが、「伊勢の稲荷」といえば外宮の「豊受大神」(トヨウケノオオカミ)が思い浮かびます。
実際に、オオゲツヒメを豊受大神と同一神であるとする考えもあるようです。

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豊受大神の正体は、豊玉姫の娘「豊姫」(豊鍬入姫/天鈿女/台与)ですが、彼女は物部イクメ大君(垂仁帝)に裏切られ、彼の差し向けた刺客によって鈴鹿の椿大神社で暗殺されています。
稗田系の伝承を受け継ぐ柿本人麿はこの事実を知っていて、古事記にオオゲツヒメは物部祖のスサノオに殺されたと事実を暗に隠し書いたのかもしれません。

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大粟神社の全体を俯瞰して、驚きました。
拝殿からは普通の神社に見せておいて、本殿は稲荷社さながらの真っ赤な社殿にしつらえてあったからです。

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オオゲツヒメが稲荷神であると言う話も納得です。やはり彼女は伊勢稲荷なのでしょうか。
大粟神社には「オオゲツヒメは黄金の狐を遣わして国の危機を救う」と伝えられており、上一宮大粟神社は全国の稲荷神社の元社とする説もあるようです。
オオゲツヒメを主祭神として祀る神社は徳島県にしかなく、当社が本家となり、他に一宮神社と鳴門市の阿波井神社だけだということです。

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この徳島に、豊姫をオオゲツヒメとして祭祀したのは誰だったのか。
それは四国を拠点とした隠された一族、豊家と一蓮托生の深い絆を持った一族、越智家ではなかったでしょうか。

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社務所のそばにある小さな社は粟神社では、大物主神を祀っていました。大物主は事代主ことです。

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また拝殿の右奥の小高い丘に祀られるのは豊玉姫。母神が娘神を見守るような位置関係です。

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以前書いた、徳島県国府町の八倉比賣神社の記事で、「きつね」さんと言う方から、そこは天石門別豊玉比売神社で、天石門別矢倉比売神社は現在の上一宮大粟神社だというコメントをいただきました。
オオゲツヒメ=八倉比賣ということでしょうが、「八」という出雲の聖数が名前に使われ、そしてわざわざ「天石門別」(あまのいわとわけ)と冠しているのが気になります。
天石門を天岩戸のこととするなら、天岩戸神話で祭祀を司った思金神(おもいかねのかみ)の存在が彷彿とされます。
彼は別名を常世思金神と言い、また八意思兼神、天八意命とも呼ばれ、越智と出雲のキーワードを繋ぐ存在なのです。

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上一宮大粟神社の境内は少し変わっており、すぐ隣の神宮寺と敷地がつながっています。

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その間にある鐘楼は大粟神社のものであり、赤い鳥居の瑜伽大権現社は神宮寺が管理しているそうです。

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天石門別神を調べてみますと、紀国造や大伴連の祖神とされ、また阿波忌部の祖神にも同名の神が見られるとのことで、後者は当祭神のことであろうと思われます。
天石門別神の名は『古事記』の天孫降臨の段に見え、邇邇芸が天降る際、三種の神器に常世思金神・天手力男神・天石門別神を添えたと記されます。
思うにこの三神は越智に由来する神なのではないでしょうか。

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古事記の同段で天石戸別神は、又の名を「櫛石窓神」(くしいわまどのかみ)、「豊石窓神」(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されます。一方が豊だとすると、もう一方の「櫛」の名は越智族由来なのか。「櫛御食野命」(くしみけぬのみこと)はスサノオを指すとする説が一般的ですが、僕はこれにずっと違和感を感じていました。クシミケは越智ではないのでしょうか。摂津三島の溝杙姫が越智の血筋であるなら、彼女の息子がクシヒカタと名乗ったのも頷けると言うものです。

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瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)は阿弥陀如来・薬師如来を本地仏とする修験の神ですが、

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社の中にあるのはそれとは全く関係のないものが鎮座していました。
それは木彫りの、白い狐の像なのです。

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