正月の参拝には相応しくないのかもしれませんが、どうしても訪ねたくなり、白鹿権現(ししごんげん)まで車を走らせました。
次作を書いていく上で、「命」と向き合う必要があったからです。
前回、白鹿権現を訪ねたのは2013年の夏のことでした。実に9年半前。
その時は当地の情報も少なく、存在もあまり知られていませんでした。
白鹿権現は大分県臼杵市西神野の山中にあります。
あ、ここA地点は右行ってください。
左も行けますが、かなり厳しいです。
今ではこのようにGoogleマップにも記載されています。安全に行くには、白鹿権現の先の熊野神社の鳥居を目指します。
前回は川沿いの下の道を行ってひどい目に遭いました。軽だったから良かったようなものの、かなりの酷道です。
B地点にこの看板がありますが、これトラップです。
この先を降るとA地点左の道に合流します。
この道もなかなかエグいです。
B地点も直進してしばらく行くと、鳥居に着きます。
鳥居の前に2台ほどの駐車スペースがありますが、この直前の道がわりと狭い。
つまり白鹿権現に行きたければ、大きい車は避けた方が無難です。
前回は熊野神社のそばに白鹿権現があるらしいという情報しかなく、間違えてもう一つ奥の熊野神社を訪ねてしまいました。
当時そこは電波も届かず、廃校があって、背筋がひんやりする場所でした。
下の道は酷道ですが、辿り着ければ川の先に目的地があり、楽々参拝できます。
この鳥居の先は急激な下り坂となっており、着いてからの方がやや大変です。
ともあれ、白鹿権現の情報はこの10年間でだいぶ拡散されており、十分な下調べがあれば迷うことなく到達できるでしょう。
今は秘匿されているというよりはむしろ、少しWelcome感が増しているような気がしました。
ただ、ここが「命」を考えさせる場所であるというは、10年前も今も変わりません。
僕は目の前に、このような料理を見た時に、いつも思います。
いったいこの一膳に、どれほどの命が盛られているのだろうかと。
なんとも罪深い食事であり、そして残酷なまでに美味しいのです。
以前、やはり10年ほど前のこと、「うさぎ かわいい」で検索をして引っかかったあるサイトが炎上していました。
それはとある狩猟系女子さんのブログでしたが、うさぎをハントして、自ら捌き、調理をする様を生々しく紹介したものでした。
その時のタイトルが「うさぎはかわいい味がした」というものでした。
炎上の内容としては「命を軽んじている」と主張する人たちと、「生きていくために必要なこと」と主張する人たちの、永遠に交わることのない果てなき闘争でした。
僕はヴィーガン的な前者の発想はもとより、後者の人たちも思慮が足りていないのではないかと、当時思ったものです。
野菜とて育てるために、害虫・害獣の命を奪っているわけです。
では、生きていくために他者の命を奪うことは仕方のないことだという主張、これは自分が狩る側でしか見ていないと思われます。人間が狩られる側になった時、仮に熊が人を襲った場合、熊は生きていくために仕方なく人の命を奪ったのだと、そういう考えにはならないと思うのです。
そもそも、命をいただくことの大切さを訴えるという趣旨のブログで、「うさぎはかわいい味がした」という表現に、僕は違和感というか、正直なところ嫌悪感さえ感じました。
人を襲った熊が同じことを言ったとしたら、僕は吐き気がします。
「一人の命は地球よりも重い」という言葉がありますが、本当にそうなのでしょうか。
目の前の一膳に、5つの命が載っているとします。一日3膳ならば15の命、それが365日ならば、1年で5,475の命をいただくこととなり、80年生きたとしたら、僕一人の命を生きながらえさせるのに438,000の命が必要になるのです。
人ひとりの命は地球より重いが、僕らの犠牲になる命は紙より軽いとでも言うのでしょうか。命の重さに優劣があるのか、そもそも命を重さで量れるのかどうか。
命というのは、いったい何なのでしょうか。
日の当たらない谷間の聖地は、異様な空気に包まれています。
所々、洞窟がぽっかり口をあけています。これなどはまるで太子ヶ窟のようです。
この辺りは1976年に調査がなされていて、別府大学考古学研究室から「シシ権現洞穴遺跡調査報告」という報告書が出されているようです。
10年前と変わらぬ社殿、
その本殿は洞穴に食い込んで建てられています。
奥にある岩は加工してあるのか?!
それにしても、なんだか鬱蒼としていて、あまり長居したくない気持ちになります。ちょっぴり怖い。
ここから更に降ります。
あれが下からの参道です。
本来はこの川で禊いで参拝するのでしょうか。
川の水は清らかです。
下の参道からこの橋を渡って、熊野神社と反対の方向に白鹿権現はあります。
この案内板も以前はありませんでした。
案内板が無ければ、ここに道があることはなかなか気付き難いものです。
そして少し先にこの鎖場があります。
これまで数々の鎖場をこなしてきた僕には、もはや恐れるものではありませんが、それなりに危険な場所ではあります。
鎖は3本ほど連なっており、崖の高さは全体で50m弱くらいはあるのでしょうか。
ようやく鎖を登り切ると、
そこから先は、岩をよじ登ることになります。
足場に注意しながら進むと、その場所が見えてきました。
ひっそりと佇む聖域。
この宝塔の塔身からは、貞和4年(1348年)の紀年銘のある経筒が見付かっており、鎌倉時代頃からここがあったことを物語っています。
この洞窟に所狭しと並べられているのは
主に猪や鹿の獣の頭骨です。
この白鹿権現は熊野神社の奥の院で、かつては女人禁制であったと云われています。
この無数の骨は、当地の猟師(マタギ)がその年初めて仕留めた獲物を神に捧げ置いたもので、豊猟を祈願するとともに供養の意味合いもあるようです。
社伝では「平安時代の末ころ、猟師の兄弟が見事な白いシカを見付け、この神野の山中にまで迫ってきたが、この付近でこのシカを見失ってしまった。兄弟がシカを探していると、光る岩があり、近付いたところ神が現れ、我は国土を守護する熊野の神である。篤く信仰すべしと言った」のだと伝えています。
白い鹿の姿で国土を守護する熊野の神、これはひょっとすると、などと思ってしまいますが、今回それは置いておきましょう。
洞窟の奥には2つの祠があり、これが白鹿権現を祀ったものになるのでしょうか。
ここに祀られる神は熊野系の神なのか、
あるいは保食神になるのでしょうか。
前回、心の準備が出来ていなかった僕は、これらの骸を凝視することができず、あまり写真に収めませんでした。
今回の僕は、もふもふの相棒も失って、少し命に向き合う覚悟ができています。
「命」とは何か。
魂が肉体である有機物に宿る(付着)すると命が生まれ、そのの躯体を育成させ始めます。
その育成には他者の命を捕食する必要があり、私たちが生物を食す時は、それは魂が肉体から剥離した死の状態であり、肉体は消費され、魂はリサイクルされてまた新たな命を生みます。
より強いものを生かすための、魂の循環システム、そこに命がある。
つまり命とは神が気まぐれに作り出した食物連鎖のシステムに他ならないのではないでしょうか。
438,000もの命を消費する人類が増え続ければ、いずれシステムに深刻なエラーが生じるかもしれない。
なんてことを、人類削減計画などを思い浮かべる人は考えているのかもしれません。人を狩るのは、熊ではなく人だったと言うオチです。
命はシステム、僕も理論的にはそこへ辿り着き、確かにそうかもしれないと思うのですが、
創造主たる神は、まだ僕たちに生きていても良いと言ってくれています。まあ、放置されているとも言えますが。
これ以上はダメだよとなれば、神はいとも簡単に我々を滅ぼすでしょう。でもそれは今ではない。
わりと限界に近いところまで来ている気もしますが、それでも地球はまだ僕らを生かしてくれています。
地球から生まれた僕らの命が、地球より重いなどというのは傲慢です。
それでも僕らは自分の命を軽んじてはいけない。
他者の命も軽んじてはいけない。
命は紡ぐために生まれるのであって、そのようにデザインされています。
438,000の命に紡がれて生きる僕は、その感謝を時折にでも思い出し、僕の命も次代に紡がなくてはいけないのだと考えます。
ここに並ぶのは命が失われた骸の数々ですが、なんと清らかで尊く、美しいのでしょうか。
命はあまねく尊厳に値するものです。
白鹿権現の洞窟は最初こそ怖いという気持ちになりますが、しばし時を過ごしていると、心地よいとまでは言わないけども、いつしか果てる僕の骸もこのようにありたいという気持ちが湧いてきます。
それは、あのヤジャーガマで感じた気持ちと同じです。
骸には何も残さず清らかで、魂は風に乗って常世の國へ。
白鹿権現は帰りの方が危ないです。
鎖場は特に気をつけて、
降りてきた道を登って帰ります。
光が指す方を目指して、今日も生きて帰ります。
臼杵と杵築を勘違いしてました。そのおかげで邪馬台国のお話を知り、記事も読ませて頂きました。
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杵築・国東も興味深い土地ですね。
今は白川稲荷が気になっています。
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昨年2日間かけて国東半島の代表場所と少しマニアックな場所を観てまわりました。まだまだ入口しか見て無かったみたいです。特別な場所だと感じます。
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宇佐から国東半島にかけては、邪馬台国だったっと僕は考えています。深く探ると、謎めいた場所がちらほらありますね。
白鹿権現はさらに宮崎寄りの佐伯方面の山中にあります。
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罪深く残酷までに美味しい食事をこの年末年始しました。。。
命あるものに感謝です。
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coccocanさんほど食材を丁寧に扱われているブログはまことに稀有です。
命を紡ぐことが大切なのだと、あらためて思いました。
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