長らく気になっていた「御塩浜」(みしおはま)を訪ねてきました。
御塩浜は御塩殿神社(みしおでんじんじゃ)に付属する塩田です。
黒木の鳥居が、ここが神聖な施設であることを物語ります。
御塩殿ができた当初は、日本にはまだ塩田による製塩の技術がなく、汲み込んだ海水を煮詰めて塩を得ていました。
塩田の技術が確立してから御塩殿近くの砂浜に揚浜式塩田が作られますが、海蝕と地盤沈下による海岸線が後退により、現在のこの場所、五十鈴川河口近くの右岸に入浜式塩田として移築されました。
明治維新後、新政府の上知令により御塩浜は没収されましたが、神宮は明治10年(1877年)に御塩浜の土地を購入、明治30年(1897年)から再び製塩を行うようになります。
現在は、毎年7月下旬の土用のころの満潮時に五十鈴川の堤防に設けられた水門を開き、御塩浜を塩分濃度2%程度の五十鈴川の汽水で満たします。
これを炎暑の天日で水を蒸発させ、塩分濃度20%前後の鹹水(かんすい)を得ます。
この作業を1週間ほど行なったのち、鹹水は樽に詰められ、御塩殿神社にある御塩汲入所へ搬入され、製塩されていきます。
こうしてできた塩は三角錐に焼き固められ、堅塩という伊勢神宮の神饌となります。
御塩殿神社及び、絹布を調進する神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)と麻布を調進する神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の両機殿がは、神宮の神事に用いる神饌などを調進する施設を御料地と呼ばれます。
しかしこうして御料地の製塩方法を見ると、島根の静之窟で塩爺にお話を伺った、藻塩造りに似ているなと思いました。
二見浦が内宮と外宮の両宮に納める御塩が生産される契機となった神社だという「堅田神社」(かただじんじゃ)に立ち寄りました。
夫婦岩近くにあり、内宮の摂社27社のうち第15位となります。
入口どこ~ぉ、と探しているとありました。
鬱蒼とした杜。
祭神は佐見都日女命(さみつひめのみこと)で土地の神とされます。
大和姫が二見の地を訪れた時、土地の神である佐見都日女はが堅塩を奉った。大和姫はこれを喜び、堅田神社を定めたとあります。
ただこれは美談ではなく、大和姫の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示したということのようです。
今も二見ヶ浦の二見興玉神社は、神宮の125社には含まれておりませんが、古代から密やかな確執があったということでしょうか。
堅田神社は、「榎村神社」・「大国玉比売神社」双方の論社となっていますが、佐見都日女は伊勢国の大国玉である伊勢津彦の娘となるようで、「佐見」とは当鎮座地の古い地名なのだそうです。
当社は佐見都日女の屋敷跡なのかもしれません。
帰り際、なんかちょっと掘られた溝のようなものが気になりました。
🐥伊勢神宮の内宮には所管社として興玉神というものが祀られているが、その御祭神は猿田彦大神。二見興玉神社と一緒ですね御祭神🐣
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サルタ彦とは本来、出雲に移住したドラヴィダ族が持ち込んだ、インドの鼻の長い神のことです。
伊勢の伝承では、猿田彦は阿邪訶(あざか / 現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死んだとあります。
この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神が生まれたと云います。
この泡の三柱の神は阿射加神社に祀られています。
また古くからサルタ彦を祀る椿大神社の社伝によると、伊勢の阿邪訶にて溺死した猿田彦は、後に同神社の高山土公神御陵に葬られたとされており、これを御陵としています。
「興玉神石」は猿田彦の暮石かと思いましたが、由緒では天孫降臨の際に猿田彦が降り立った神跡であると伝えられていました。
この二見興玉神社と内宮前に鎮座する猿田彦神社はなぜか神宮の直轄から外されており、おっしゃるように内宮には別に所管社として興玉神・猿田彦を祀っています。
現在、伊勢神宮とは「内宮」「外宮」を含め125社の別宮・摂社・末社等の総称として扱われていますが、これら伊勢神宮を管理包括しているのは神社本庁という宗教法人になります。神社本庁は、庁とは付きますが、官公庁ではなく、民間の宗教法人で、伊勢神宮を本宗とし、日本で約8万社あるとされる日本の神社のうち、7万9千社以上が加盟している超巨大な宗教法人であると言えます。
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所管社とは、正宮、別宮、末社と関連が深い神社。宮域警護や祭祀などの分野で深く関係を持つ神々が祀られている神社です。興玉神は内宮所管社30社のうち第2位です。滝祭神に次ぐ高位だと説明されています。また、祭神である興玉神は正宮の守護神。神名秘書によれば、興玉神とは猿田彦大神またはその子孫である大田命の別名だそうです。ちなみに、二見興玉神社の相殿神である宇迦御魂大神は、豊受大神の別名とされています。
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大田命は三輪家の祖、大田田根子のことでしょうね。彼は出雲系の人なので、サルタ彦を信仰はしていたでしょうが、サルタ彦そのものではありません。
豊受大神はとある神社で伊勢稲荷と伝えられます。ウカノミタマと同神であるというのは間違い無いでしょう。内宮の側にサルタ彦があるのは、アマテラスが元は出雲の太陽の女神であるからです。
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豊受大神とは御饌都神であり、もとは元伊勢籠神社の奥宮である真名井神社に祀られていた神。籠神社のある京都府の丹後地方では、最高神であり総氏神とされています。伊勢神道によると、豊受大神とは天之御中主神と同一だという。
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豊受大神は宇佐の豊玉姫の娘、豊姫です。彼女は旧丹波地方で匿われたので、のちに豊受大神として祀らわれました。
つまりヒミコの娘であり、後継者台与ですので、最高神という位置づけなのでしょう。
しかし最高神、天之御中主神と同一神であるといいながら、アマテラスの召使のような位置づけで祀られている神宮は違和感を感じますね。
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内宮と外宮の関係については、通常、外宮を先にお参りする事を鑑みると、外宮の方が格が上だという事実が浮かび上がる🐥豊・ペットタクシーのトヨさんは何かとスゴいトヨ(豊)さん🐣
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