大阪府茨木市に鎮座する「溝咋神社」(みぞくいじんじゃ)を訪ねました。 淀川と並走する小川・安威川沿いに鎮座します。 住宅に挟まれるように参道は伸びていますが、とても心地よい空気に満たされていました。 祭神は「玉櫛媛命」 …
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三島鴨神社:八雲ニ散ル花 愛瀰詩ノ王篇 05
伊予の大三島神社(大山祇神社)、伊豆の三嶋大社と共に「三三島」と称される、摂津の「三島鴨神社」(みしまかもじんじゃ)を訪ねました。 大阪府高槻市にある小さな神社は、大和の風雲児「大彦」に深い関わりのある神社でした。 三島…
伝 阿弖利爲・母礼之塚:八雲ニ散ル花 蝦夷ノ王篇 外伝
大阪府枚方市に蝦夷の王「アテルイ」の墓があるというので訪ねてみました。 アテルイは、朝廷の蝦夷討伐の大軍に対して、数の劣った蝦夷軍を率い、幾度もこれを撃退した蝦夷の英雄です。 東北地方の英雄の墓がなぜ関西にあるのか? そ…
叡福寺:八雲ニ散ル花 85
尾治大王の皇女「伊那部姫」は、上宮法王の元に嫁いだ。 大王は法王と血縁で結び、和睦したいと考えていた。 斑鳩宮の東方には、法王の母君「穴穂部間人姫」の住む中宮がある。 間人姫は、用明大王の没後、多米王と再婚したが、彼とと…
玉造稲荷神社:八雲ニ散ル花 番外
森之宮から南に数百メートル、そこにある「玉造稲荷神社」も、上宮太子とゆかりある神社であると云われています。 当社の創始は古く、社伝によれば、垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していたとされます。 …
鵲森宮 (森之宮神社):八雲ニ散ル花 81
「鵲森宮」(かささぎもりのみや)は、大阪市中央区の一角に、こぢんまりとある神社です。 通称「森之宮神社」(もりのみやじんじゃ)といい、この辺りの地名「森之宮」の由来となっているそうです。 御祭神は聖徳太子の両親である「用…
四天王寺:八雲ニ散ル花 79
ついに守屋を追い詰めるところまできたが、その戦は、泥沼の戦いとなっていた。 上宮太子16歳の夏であった。 … 「朕は三宝に帰依する」 上宮太子の父、「用明大王」は仏教採用を宣言した最初の大王だった。 大王は、仏教を推し進…
枚岡神社:八雲ニ散ル花 番外
大阪と奈良の境に連なる生駒山麓、その木々に囲まれた幽玄な杜に「枚岡神社」(ひらおかじんじゃ)があります。 枚岡神社は河内の国の一の宮で、「かおり風景100選」に選ばれる梅の名所でもあります。 参道を進むと狛犬ならぬ狛鹿が…
河内大塚古墳・島ノ山古墳・比売久波神社:八雲ニ散ル花 62
大阪府羽曳野市・松原市にある「河内大塚古墳」は、埋葬者が誰なのか分かっていないという事ですが、明治時代に古墳の上にあった数十軒の民家を移し、宮内庁が「陵墓参考地」としました。 つまり当墓は、皇族の墓らしいと認められたので…
磐船神社:八雲ニ散ル花 51
「田道間守はまだ来ないのか」 イクメ王は苛立っていた。 東征の中心、イクメ王の軍勢は瀬戸内を通って、淀川河口に到着した。 当時は入り江が深く、河内国まで海から船で行けた。 イクメ軍は河内国に上陸したのち、日下に進軍したが…