防府市付近をうろうろしていると、田園脇に「玉祖神社御殿跡地」なるものを見つけました。 おや? 石碑には貞享2年(1685年)2月に現御旅所に移設とあります。 またふらふらっと移動していると、奉献台に御旅所と彫られた場所を…
カテゴリー: 山口
玉祖神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 02
景行12年7月、熊襲が叛いて朝貢をやめたのをきっかけに、8月15日、物部大足彦・忍代別(景行)は自ら筑紫征伐に乗り出した。 「南の方に煙が多く昇っている。必ずや賊がいるに違いない」 9月5日、周芳の娑婆(さば)に至った忍…
国津姫神社:八雲ニ散ル花 土雲歌譚篇 01
「東から嵐が来る」 豊王国の北限、周防娑婆に多くの郷を治める女王がいた。 名を神夏磯姫と云う。 彼女は潮干玉・潮満玉の神器をもって月神を奉じ、先行きを読んだ。 「抗うことができない大きな力、荒々しく多くの者が殺され、残っ…
功山寺・平家の一杯水
山口県長府の、やや奥まった所に歴史ファンに愛される「功山寺」(こうざんじ)があります。 元々は長福寺と呼ばれており、功山寺となったのは長府藩祖毛利秀元(ひでもと)の菩提寺となってからのことだと云います。 幾度となく激動の…
住吉荒魂本宮〜神功皇后紀 35
忍熊王は明石海峡を眼下に望む、小高い岬の上に立っていた。 「うむ、壮観だ。」 陸地には兵士が隊列を為し、海上には勇壮な軍船が所狭しと浮かんでいた。 「父上の主だった群臣はあちらに付いたようだが、兵士の数では我らが圧倒的だ…
櫻井八幡宮〜神功皇后紀 8
武内宿禰は、暗闇の山道を歩いていた。 人知れず「橿日宮」を抜け出し、ひたすらに穴門を目指して、海を渡った。懐かしい、「豊浦宮」が見えた時は思わず目頭が熱くなる。しかし懐古に浸る時間はない。一時も早く皇后の元へ戻らなくては…