前回の海童神社群巡りの際、もう一社訪ねた海童社がありました。 佐賀県武雄市北方町志久焼米に鎮座の同名社です。 34号線沿いに建つ一の鳥居から北に向かって参道を登ります。 右手には滔々と水を湛えた焼米溜池(やきごめためいけ…
カテゴリー: 筑秦ノ饒速日
海童神社群:筑秦ノ饒速日 番外
以前、古代史大好き出雲の高校生さんとやりとりした中で「海童神社」について盛り上がり、その際に有明海沿岸に海童神社が集中して鎮座していることに気がつきました。 そこでぼちぼち参拝してみることにしてみました。 最初に訪れたの…
高良山(後篇):筑秦ノ饒速日 番外
高良大社本坂、三ノ鳥居前です。 今は三ノ鳥居と呼ばれていますが、昭和44年(1969年)に麓の参道と車道の境目に鳥居が出来るまではニノ鳥居と呼ばれていました。 長く急な階段の横には、スロープカーも設けられており、足の悪い…
高良山(中篇):筑秦ノ饒速日 番外
悠久の昔、高牟礼山に神在り。 ある時、海からやってきたという玉垂の神が高牟礼の神に願い申す。 「どうか一夜、山を貸していだだきたい」 そういうと玉垂の神は、山の麓にある大石を馬に激しく足蹴らせ、蹄の跡を打ち付け、これを清…
高良山(前篇):筑秦ノ饒速日 番外
筑紫の国魂「高良大社」(こうらたいしゃ)を訪ねました。 当ブログの「神功皇后紀」でも取り上げましたが、さらに深く、この神社の謎に迫ります。 なお、写真および資料が膨大なため、三部作とさせていただきます。 高良大社は福岡県…
新北神社:筑秦ノ饒速日 07
有明海の海岸からほど近い、小高い丘の上に男はいた。 側には彼の妻だけが寄り添っていた。 深く刻まれた顔のしわには、永い年月の旅の苦労が見て取れる。 その男は、この地で「饒速日」と呼ばれた。 一帯には彼のもたらした、稲作が…
吉野ヶ里遺跡:筑秦ノ饒速日 06
徐福は祖国と見間違うほど似た干潟の大地、佐賀平野に降り立った。 彼はそこを永住の地と定めた。 「肥前国風土記」に「むかし三根の群と神埼の群は、合わせて一つの群であった。…むかし、この群に荒れる神がいて、往来の人が多く殺さ…
海童神社:筑秦ノ饒速日 05
秦の始皇帝を騙した男「徐福」、彼は秦に滅ぼされた母国「斉」の子供達3000人を連れ出し、東シナ海の大海原に船出し、遠く蓬莱の国日本を目指します。 船は100人ほど乗れた構造船だった可能性はありますが、それでも荒海に全員が…
櫛田神社と櫛田宮:筑秦ノ饒速日 04 外伝
【櫛田神社】 博多の街は、夏がやってくるとそわそわします。 それは7月1日から7月15日にかけて「博多祇園山笠」(はかたぎおんやまかさ)があるからです。 博多祇園山笠は「櫛田神社」にまつられる「スサノオ」に対して奉納され…
武雄温泉 / 古湯温泉:筑秦ノ饒速日 外伝
【武雄温泉】 徐福が開いた温泉と伝わる場所が、佐賀に2つあります。 龍宮のような門が印象的な武雄温泉がそのひとつです。 武雄温泉から上方へ目を向けると、尖った岩肌が見えます。 標高330mほどの「蓬莱山」です。 秦の始皇…
金立神社:筑秦ノ饒速日 03
浮盃(ぶばい)にたどり着いた徐福が見上げると、その先には美しい円錐形をした金立山(きんりゅうさん)が見えていました。 徐福はこの山に、不老不死の霊薬を求めるようになります。 標高501.8mの金立山には、山頂から山麓にか…
浮盃:筑秦ノ饒速日 02
「徐福様、陸地が見えて来ました。」 船室で資料を確認する男の元に、伝令がやって来て言う。 「うむ、そうか。」 安堵する男の目の下には隈ができていた。 彼と共に船出したのは数十艘の船と3000人を超える人数だったが、広大な…