著書『出雲と大和のあけぼの』を求めている方へ ”朗報!”

投稿日:

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さらに朗報!
『出雲王国とヤマト政権』、手元に届きました。
大元出版さま、迅速なご対応誠にありがとうございます♪
そして手にしてびっくり、めちゃ分厚い!!
『出雲と大和のあけぼの』が150p弱の内容に対して、『出雲王国とヤマト政権』はなんと倍以上の370pあります。
当著出版の話をお聞きして2年待ちましたが、その理由がわかりました。

ちらりと中身を拝読した限りでは、全く、完全に『あけぼの』に添いつつ、さらに深く、分かりやすくリライトしてある印象です。
内容がブラッシュアップされているからでしょうか、著者名も変更になっています。
それでも出雲王国時代から大和王国創建、蘇我・大和王国を経て上宮法王(聖徳太子)の飛鳥時代までを知ることのできる貴重な4冊は、今も大元出版さんから「定価」で購入可能です。
くれぐれも、誠意のない古本屋に、法外な値を支払うことのないよう、早めに購入されることをお勧めします。

これから再び、紀元前3世紀の世界に、どっぷり旅してきます!

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朗報です!
ついに出ました!
どれほどこの日を待ちわびたか。
そして早速注文しました。
手元に届く日が待ち遠しいっ!
表紙は神魂神社ですね、さすが!
やったー!!!

誠実さのない古本屋に大金を払うより、大元出版さんにきちんと対価を支払いましょう!

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大元出版「斎木雲州」氏の『出雲と大和のあけぼの』、僕の「八雲ニ散ル花」シリーズのスタートとなり、根幹となる氏の著書ですが、すでに絶版となり、今は非常に入手困難となっています。
では全く入手できないのかというと、方法がないわけでもありません。

Amazonには度々古本が売りに出されています。
が、その金額十数万円。。
別のネット古書店では25万円の値が付けられています。

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元は2000円程度の本です。
本を買うならBOOK-OFFのオンラインサイトに、古本が入荷したら教えてもらえるよう、メール登録をしていましたが、

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なんとメールで連絡もなく、2冊続けてヤフオクに流されていました。
この会社、あてにならんわ。。

僕の価値観で言わせてもらえば、当本の価値は、数万円・十数万円払っても惜しくない、と思っています。
しかしそれは、あくまで著作者である斎木雲州氏に対しての評価であり、古本屋へのそれではありません。
古本屋に、法外な金額をいくら支払っても、著者へは一銭も渡らないのです。

僕は「出雲と大和のあけぼの」を、実は図書館でお借りすることができ、丁寧にコピーさせていただき、それを自炊しました。
これで十数万円の価値ある内容を手に入れたのです。
なんとなくですが、当書の存在を抹殺される可能性もじんわり感じていますので、おおっぴらに伝えたくなかったのですが、図書館探せば、あったりします。
他の著書に関しては、今はまだ大元出版から正値で購入できます。
購入すべきです。
それが次の出版の礎になるからです。

出版社に尋ねたところ、同じ内容でタイトルを変更したものを出版する意向があるとお返事をいただきました。
そのお返事をいただいて、もう2年にはなるのですが、今か今かと出版社HPを覗く日々を続けてます。
お父様のご遺言を受けて、斎木雲州氏は必ずまた、ご出版なされると信じています。
その時には、大いに対価をお支払いして購入させていただきたいと思います。

真の日本史・出雲史が世に広まりますよう、心より願っています。

14件のコメント 追加

  1. 天穂日 より:

    アメノホヒについて調べてます。この本を購入すれば、国譲りの真相らしきものは感じられますでしょうか?

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、天穂日様。
      この本は、出雲王家の子孫と思われる方が、正しい歴史を伝え残すために受け継がれてきたものを書き記された本です。
      似たような本や伝承、偽書と呼ばれるものは多数ありますが、総じてトンデモ本と言われる内容のもので、オカルト本とも言えない代物でした。
      が、私がこちらの大元出版本を推すのは、それら日本の古代史の矛盾、疑問を次々とクリアに解き明かす、その整合性にあります。
      真相にかなり近い内容が記されていると、感じさせるだけのものがあると思います。
      また、それを検証する意味合いでも、当書籍群に由来する神社などを巡っているところです。
      各地を訪ねてみても、大元出版本に書かれているようなことが実際にあったのだと、納得するに至ります。

      ただし、当書には天穂日について、好意的な内容は書かれておりません。
      なぜなら、天穂日、および息子の武夷鳥が、出雲王家の8代主王「八千矛」と8代副王「八重波津身」を孤島の洞穴に幽閉し枯死させた主犯であると、富王家は伝えているからです。
      ただ、歴史的にはこの事件をきっかけに、大和のあけぼのへ繋がっていくのですが。
      他の内容につきましても、いろいろショッキングな内容が含まれており、古事記・日本書紀などの神話ファンであった私も、当時は愕然としたものです。
      私は古代史の専門家ではありませんので、これが絶対だとお勧めすることはできませんし、何をもって信ずるかは個人の自由だと思っておりますが、上記を踏まえてなお興味がおありでしたら、一読の価値はあると思っています。

      これらの本をもとに、私が各地を歩いて検証したブログは、「八雲ニ散ル花」というカテゴリーでまとめております。
      中にはとても興味深いコメントを残してくださっているフォロアーの方もいらっしゃいます。
      まずはそちらをちらっとみていただいて判断をされても良いかと思います。
      ご参考になれば幸いです。

      https://omouhana.com/2020/03/19/出雲と蘇我王国/

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      1. 天穂日 より:

        ありがとうございます。勉強になりました。私には徐福=スサノオ、天照大神=素戔嗚というのは妙にシックリとしました。クナト大神の素性を探ると、日本の祖神といえる神様のことが判るかもしれませんね。名という概念は置いておいて、真の国産みの祖神はイザナギ、イザナミではないと思ってます。2,3千前の話と1万5,6千年前の話は歴史は繰り返してると思います。出雲という場所が出雲の國だけではなく奈良にもあります。そしてその奈良には天穂日の本拠地だった土地とされる場所もあります。国譲りの場所も本当に島根県だったのかも調べたいと思ってます。大神神社の御神体である「山」は現在では三輪山ですが、崇神天皇以前は「ダンノダイラ」でした、ここが本当の参拝地、そして表の歴史から隠されました。天穂日の子孫がずっと守っていたそうです。この磐座に祀る神が龍蛇族の筆頭の国常立尊か、それとも真の天照とよばれる男神か大物主と言われる饒速日か大国主の奇魂か、私には判りませんが歴史ロマンが大好きです。私が神降ろしの友人に聞いた話ではアメノホヒは二男ではなく第1子、ニニギが生まれるまでは皇位(王位)第1位であったと。瓊瓊杵尊は末の御子、アメノホヒとは兄弟。その当時、魔に囚われた大国主と出会い善の心を利用され同じく魔に取り込まれたと。私の妄想では大国主ら出雲勢力と手を取り合い、その当時の荒ぶる神達とよばれる諸豪族を平定したと思ってます。その後は近畿方面で勢力を維持して実家をも敵と思うほど権力の座についたと思ってます、もう一つの妄想は天穂日=天火明=ニギハヤヒなのかな~と言霊的には思ってます。中国語では発音は一緒だそうです。さてさて妄想は置いておいて古事記、日本書紀はヤマト政権によって都合よく改ざんされてると。おとぎ話として聞いてくださいね。

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        1. CHIRICO より:

          富王家の伝承では、三輪山を最初に祀ったのは事代主の息子の一人、天日方奇日方だそうです。
          出雲には形の良い山に昇る朝日を祀る習わしがありましたので、葛城に移った奇日方は三輪山を神奈備としました。
          やがて三輪山は神聖な山なので、遥拝する祀りの場を鳥見山に設けました。
          神武東征になぞらえる、物部族の東征が起きた時、一時的に鳥見山は占拠されてしまい、出雲族である登美家の人々は追い払われてしまいました。
          登美家は三輪山の東側に新たに祀りの場を設けました。
          そこも鳥見山と呼ばれています。

          https://omouhana.com/2018/01/26/鳥見山霊時(等彌神社):八雲ニ散ル花%E3%80%8041/

          ダンノダイラはその時の祀り場として造られたのではないかと推察していますが、現地を訪ねようとした時にコロナ騒ぎとなって未だ叶いません。

          出雲屋敷は登美家の大田田根子が、三輪山の太陽の女神を祭祀する巫女のために屋敷を構えたところと伝わります。
          狭井神社は出雲のサイノカミのサイ神社だそうです。
          やがて三輪山の太陽の女神を大和姫が伊勢に遷したものが天照大神となったと伝わります。

          アメノホヒは徐福が出雲に連れてきた部下の一人でした。
          徐福は出雲でホアカリと名乗り、一度秦国へ戻り、再び佐賀に移ってニギハヤヒと名乗りました。
          そして彼はスサノオとも呼ばれています。

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  2. etiliyle より:

    💗💗💗💗💗

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    1. CHIRICO より:

      thank you♪

      いいね: 1人

  3. asesorlegal 999 より:

    おー!!
    朗報ありがとうございます!

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      待ち焦がれてました!

      いいね: 1人

  4. asesorlegal 999 より:

    偲フ花様
    地震は大丈夫でしたでしょうか??
    ここのところ頻繁に起きていて心配です。
    もしもの時、何かの時には必ずご連絡ください。
    御自愛下さいますよう。

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      ありがとうございます。
      幸い、九州でも福岡は、災害が少ないところで、平穏に暮らしております。
      ここ数年から年を追うごとに、災害が増えているのが気になりますね。
      突発的な災害は、抗えないことが多いですが、お互い、気をつけたいものですね。

      いいね: 1人

  5. 創生塾 より:

    偲フ花様のお考えの中に「古来日本人とは稀で特異な種族であると思います。」とありました…。私も全く同じ見解であります。私の過去記事にも多く書かせて頂いて来ましたし既にご存知かも知れませが、日本の江戸時代、鎖国していたにも拘らず木製とは云え既に下水設備も水道管までもが整い、庶民はいつでも井戸から水を汲めたのです。毎日、風呂に入る習慣もあり識字率は90%以上と云う当時の西欧列強をも遥かに上回る人達が当たり前の様にいたと云う世界一民度の高い民族です。人口もロンドンやパリよりも多く100万人都市でこれも世界一です。「士農工商」とは縦割りの身分序列では無く横に繋がる差別無き平等なものでした。しかしこれを身分制度として変えてしまったのが明治開国以降の権力者達だったのです。そもそも欧米や支那には「平等」と云う概念そのものが無かったため日本人古来の「八紘一宇」の精神が理解出来ず、戦後政策によって徹底して無きものとされてしまったのです。次世代の子や孫達にこの日本精神を伝え広げていけるようにする事が当代を生きる我々の責務であると考えております。人生、半世紀を過ぎた今、強く育ててくれた我が国日本に対しての最後のご奉公としてブログを書き始めました。たいした知識も見解も持ち合わせておりませんが、偲フ花様の記事もじっくり拝読させて頂きまして、これもまた将来の日本を背負っていく世代に伝えていきたいと思います。これからもご指導のほど宜しくお願い致します。
    そして長文大変失礼致しました。

    いいね: 2人

    1. CHIRICO より:

      ありがとうございます。
      私も今年、生まれて半世紀を迎える一人です。
      今、創生塾さんのブログを最初のご投稿から拝読させていただいてます。
      お恥ずかしくも、日本の政治家・マスメディアの偏向に最近気づき始めたところでした。
      が、よもやここまで根が深いとは、ブログの記事を読ませていただいて、驚いているところです。
      気がつけば、恐ろしいほどに、在日・反日系の人や思想が深く周りを取り囲んでいるのですね。
      過度なアレルギー反応も危険だとは思いますが、冷静に、かつ慎重に、状況と判断を行わなければ、本当に日本人のDNAは失われてしまうかもしれない。

      創生塾さんとはアプローチの方向性は違うかもしれませんが、僕なりに情報発信・表現を続けていきたいと思います。

      いいね: 2人

      1. asesorlegal 999 より:

        偲フ花様
        ありがとうございます。
        貴方様の記事は私にとりまして本当に勉強になる事ばかりであり素晴らしいアプローチだと思います。写真も大変美しいものばかりで素晴らしいです。
        本当に美しい…。
        私は大学時代、東京で過ごしました。当時から九州の方達との縁が非常に深く、福岡も数回伺っております。
        太宰府天満宮と小倉城も一度づつ行っており、太宰府天満宮を訪れた時に身体中を駆け巡った何とも云い難い感覚を今なお憶えております。
        私が産まれた土地は関東栃木県足利市で征夷大将軍足利尊氏公のお膝元です。日本最古の大学である足利学校の図書館に所蔵されている書籍は貸し出しこそしていませんが、その場所で読むことが出来ます。吉田松陰、明治天皇、今上天皇、東郷提督など他歴史に名を連ねる方々が訪れ、植林と自筆の署名も現存しています。
        書籍「出雲と大和のあけぼの」もここの図書館にて出会う事が出来ました。
        偲フ花様とこの書籍を通じて出会えた事を日本の神々に感謝している次第です。再度、九州に行きたく考えていた矢先の事で、次は妻と一緒に訪れたいと思っております。

        いいね: 2人

        1. CHIRICO より:

          ただいま全県制覇をめざして(笑)暇を見つけては各地を旅しています。
          どの県にも素敵な場所はあり、日本という国の素晴らしさを再認識しています。
          栃木はまた行ったことがありません。
          でも必ず訪れます!

          休暇の少ない仕事をしておりますが、福岡へ訪れの際は、時間の許す限り福岡近辺をご案内させていただきますよ。
          ぜひお越しください!

          いいね: 1人

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