大瀧神社:八雲ニ散ル花 番外

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さて、くちびるをつんと尖らせながらやって来ました。
滋賀県犬上郡多賀町鎮座の「大瀧神社」(おおたきじんじゃ)です。

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参道の大鳥居の正面に、枯れた木が祀られています。

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その昔、この渓谷の淵に人々を襲う大蛇がいる事を聞いた稲依別王命(いなよりわけのみこと)は、これを退治すべく、猟犬・小石丸を引き連れ、渓谷を探し歩きました。

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そうして七日七夜を過ぎ、仮眠をとっていると、小石丸が吠えたてるので命は怒り、腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねてしまいました。
すると、小石丸の首は岩影より命に襲い掛からんとする大蛇の喉に咬みつき、大蛇は淵に落ちて死にました。
命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘して祠を建て、小石丸を犬咬明神として祀り、そこに松を植えたのがこの「犬胴松」であるということです。

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ふむふむ、なるほど。って、お前が斬ったんやろがいっ!って突っ込みたくなるよね、忠死て。

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と、まあ、そんな思い出はモノクローム、雨の中をてくてく歩いて行きます。

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おおー、なんか良さげな雰囲気。

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参道にお稲荷さんがありました。

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おコンにちは。

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こちらのお稲荷さん、その名を「冨王稲荷神社」と申します。

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と、冨の王?!いやいや。

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社前には、なぜかお釜が設置されていました。

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こちらが大瀧神社、本社です。

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当社創建は不詳ですが、『淡海落穂草』(おうみおちほぐさ)という書によれば、平安時代初期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勧請したのが始まりと伝えられます。
祭神は水神の「高おかみの神」と「闇おかみの神」とされますが、『近江國輿地志略』には祭神詳ならずとされています。

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大瀧神社は多賀大社の末社、又は奥宮だと云われており、それが今回、僕が興味を持って参拝する経緯となりました。
伝承によると3代将軍・徳川家光が京都に上洛しようと当地に差し掛かった際、病に罹った為、大瀧神社で病平癒の祈願を行うと快癒したと伝えられています。そのため江戸時代に入ると、当社は多賀大社、胡宮神社と共に徳川将軍家の庇護となり、社殿も徳川家によって造営されました。

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と、玉垣内に、何かいらっしゃいます。

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こちらから参拝できそうです。
「犬上神社」だとのこと。

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忠犬小石丸が祀られているようです。

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勇ましいお姿。

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反対側の社は、「大雷神社」と掲げられています。

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この大瀧神社は多賀大社の奥宮とのことですが、多賀社宮司家の車戸家は、「富家」の伝承ではクナト族、つまり出雲族の末裔であるといいます。
多賀大社は、もとはクナトの夫婦神を祭神としていたのだそうです。

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やがて出雲王国の滅亡により、クナト大神の信仰は隠され、記紀の創作により、クナト神はイザナギに、幸姫命はイザナミに変えられました。

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すると、この大瀧神社の祭神も、本来は出雲系の神を祀った神社であった可能性が高くなります。

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出雲系の神の痕跡が当社にあるとすれば、そう小石丸伝説に登場する大蛇、つまり「龍神」です。

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大瀧神社は、犬上川沿いに鎮座しており、境内の先には約10mの落差をもって流れ落ちる「大蛇の淵」があります。
俗称「滝の宮」として知られる所以であり、上流に犬上ダムが建設されるまでは「大瀧」の名に恥じない堂々たる瀑布であったと伝えられます。

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今でも背筋が泡立つほどの恐ろしげな雰囲気ですが、

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対岸に小さな社が建っているのが見えます。
ここに稲依別王が小石丸の首を鎮めたと云われています。
この稻依別王とは、記紀によればヤマトタケルと両道入姫(ふたじいりひめ)との間に生まれた人物のようで、多賀社系ではなく「建部君」(たけべのきみ)系の人でした。
つまり、物部系です。

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そうすると、小石丸伝説の見方も、ちょっと変わって来ます。小石丸も犬ではなく、人だったのかも。忠言した臣下の首を刎ねたのかな。

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我々の知る歴史は、勝者の歴史。
敗者の歴史はモノクローム。なので、消えてしまわないように「色を点けて」いかなければなりません。
ちなみに、大滝詠一の名曲「君は天然色」は、歌詞を松本隆へ依頼したものでしたが、松本は仲の良かった妹を病気で亡くしており、その心境から「想い出はモノクローム」というフレーズを思いついたのだそうです。それに続く「色を点けてくれ」という詞も「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしいとの願いだった」と語っていたのでした。

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2件のコメント 追加

  1. 愛月(manaru) より:

    大滝詠一さん(笑)
    「君は天然色」を口ずさみながら、古典に浸るのも乙なものですね♬

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 より:

      あの頃は青春じゃったのう🎅🏻

      いいね: 1人

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