岡山県津山市一宮に鎮座の「中山神社」(なかやまじんじゃ)へやってきました。
参道入口に妖怪チックなケヤキの御神木があります。
「ぐへへ、おいてけ~」
津山市指定天然記念物です。
妖怪樹さんは樹齢約800年とされ、尼子の兵火をくぐり抜けた勇者でした。
とはいえ、裏側もがっつりウロになっていて生きているのが不思議です。
根本に祀られる「祝木神社」には、中山の神に国譲りした神とされる祝木神が祀られていますが、この神が大国主だというじゃぁありませんか。
祝木神社の裏には、サイノカミのお○んぽさんもぶら下がっていました、かわいい。
しかしガッツリ伝承してますやん。
国譲ったのが出雲族で、中山の神って吉備の中山の神ってことでしょ。
中山神社は美作国一宮。
社名の別称として「仲山大明神」や「南宮」とも呼ばれます。
南宮とは何に対しての南なのでしょうか。出雲?
祭神は『中山神社縁由』によると主祭神が「鏡作神」(かがみつくりのかみ)で、相殿に「天糠戸神」(あめのぬかどのかみ)と「石凝姥神」(いしこりどめのかみ)を祀るとします。
しかし『延喜式頭注』では大己貴命、『作陽誌』では吉備武彦命、『大日本史』や『神祇志料』には吉備津彦命と記されているのだそうです。
また他に金山彦命とする説もります。
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、当社の祭神は猿神であるとされています。
美作地方は良質な鉄の産地でした。
故に出雲族は当地に製鉄の神「金山彦」を祀ったのだと思われます。
しかしそこへやってきた吉備津彦勢。
彼らは国譲りを迫り、後に自分たちのリーダーを当地に祀ったのでしょう。
それがどういった経緯で鏡作神になったのかは分かりません。
鏡作で思い出されるのは武内大田根です。
武内家も美作に来ていたのでしょうか。
中山神社境内の背後に『今昔物語集』『宇治拾遺物語』で語られる猿神を祀る猿神社が鎮座しています。
美作国の中山に大ザルがいて、年に一度、美作の村人に娘を差し出すよう求めていました。
ある年、若く逞しい猟師が中山にやってくると老夫婦がさめざめと嘆いています。
「どうしたんか」
若者が聞くと
「今夜、娘をおそろしい猿神のところへ生贄にせにゃあならんのじゃ。それで泣きょるんじゃあ」
それを聞いた若者は
「ええ考えがある。わしに任せときられ」
と言って娘を入れるはずだった長持の中に犬と共に自ら入り、蓋をさせたのです。
村人は若い猟師と犬が入った長持を担いで、大ザルの元へ運んで行ったのです。
大ザルと子分の小ザル100匹は生贄の日を祝い、酒盛りをしていました。
そこへ長持が運び込まれます。
宴もたけなわ、さあ今年の生贄の娘を見てみようとサルが長持の蓋を開けた瞬間、セヤッ、猟師と犬は次々と猿を倒したのです。
残るは大ザルのみ、
「刀でおぬしの首を切ったるで」
猟師がそう言うと
「大変悪いことをしました。もうこれからは悪さは絶対しません。今後は村人のためにしっかり働かせてもらうけぇ許しんせ」
「ぬしゃぁ約束を絶対に守れなんな。なら許したらぁ」
猟師は大ザルに約束させて、首は切りませんでした。
それからというもの、美作の村は毎年豊作で栄えていきました。
しばらくして、ありがたいことだと感謝した村人は神社を建てたということです。
それがこの猿神社。
断崖絶壁に建てられた小さな神社。
ここに「中山の猿」の霊を祀るとされ、現在は猿田彦神として祭祀されています。
下の拝殿には赤いぬいぐるみの小猿が多数奉納されています。
大ザルが原住民族で、猟師は侵略勢力という構図でしょうか。
猿神社も古代の磐座信仰を残すものだと思われました。
三輪神社ですが、グーグルマップで検索すると、長野県とは比べ物にならないほど関東は数が多いですね。
鹿の神様の南端である宇都宮(珍彦?)の鹿沼にもあります。
中臣家と一緒にどんどん移住していったのでしょうか?
中央構造線にそって三輪神社も重層しているのに今気づいたんです。
先生のお陰でちょっと発想が飛躍しました。
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三輪と中臣が結託して、という話はありそうですね。大田田根彦は食えない男、という印象です。
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私の山レコに、水無神社の神奈備山の位山の話があります。
そこでオオカミ狛犬が出てくるんですが、基本的に、山住系と中山系があります。
岐阜の中山系神道のオオカミ様がここから来てないかと考えています。
また、(1724)年に神道管領の卜部兼敬により書 き写された神社に古くから伝わる「中山神社文書」には、「左天津彦々火瓊々杵尊中鏡作尊天御中主尊 右大已貴尊」としています。
物部との関係も無視できない神社です。
この辺に詳しい事が出ています。
https://ous.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1956&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1
秩父がオモイカネ系の系図があり、オオカミ狛犬のエリアでヤマトタケル伝承がある。
武甲山神社の社家が物部姓
岐阜にオモイカネが居るかは調べていませんが、物部トオチネが居てオオカミの狛犬があり、基本は中山神社系
この前のコメントの通り飛騨王朝が開化系であり因幡神社もあるという事なら物部の関わりは外せない
景行の徴税戦争の舞台であった事も考えられます
そして南宮神社は諏訪の浜南宮と関わりがあり、製鉄で結ばれている。
岡山にはオオカミ信仰ありませんですかね。
この辺の時系列や豪族の背景などの人の動きが、編集長の得意分野ですよね。
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やはり秩父の三峯神社は三輪系なのでしょうかね。だとすると物部との関わりも分かるような気がします。
吉備から美作も出雲を吉備家が上書きして、さらに物部が上書きしたということでしょうか。
物部王朝は3代で終わったにしては、影響力が大きすぎると思うんですよね、全国的に。
ヤタガラスが絡んでいるんかな?
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南宮に関しては、製鉄用語という考え方と、位置を表す考え方の二つがありますね。
確か、諏訪の有賀の千鹿頭神社は浜南宮の神社額でしたっけ?
それと、岐阜だかのフイゴの祭りのある神社が、諏訪は先に製鉄をやってたみたいな歌だかなんだかを残してた気がします
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製鉄用語ですか、なるほど。
そういえば南宮大社は元敢国神社だとかいう話を聞いた気がします。
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うーむ、繋がってまいりましたね。
事代主の伊豆建国では製鉄用語としての長野県の地名との類似性が書かれています。
私の自宅近くの箕輪町の箕輪も、製鉄用語です。筑摩も同じ。サビヒメを思わせる犀川沿いに、将軍塚古墳があります。
九頭竜ですが、長野県南端部に阿智の祝の拠点があり、北に飯田市
なんとですね、もう少し北の「松川町」あたりにいくと天竜川沿いに九頭竜大権現があります。
更には「豊岡村」にも九頭竜大権現がww
因みに、伊那谷は、中山神社で検索すると見事に空白地帯になっています。
三輪神社は辰野町や諏方湖近辺に散在しますがさほど大きな勢力ではなかったようです。
諏方の現在の宮司は千家本家の北島宮司で、その前もしくはその前は確か三輪宮司です。
三輪宮司の書いた本にかつての御柱に×印の刻印のある御柱の写真が載っています。
伊那谷は稲から来るとも言われるので、沼地を田んぼに変えるのが得意だった越智との関連も想像できなくはない地域なのです。
ミナカタと同じ時代のクシヒカタがヤマトで水稲開発をしたのであれば、ミナカタも水稲を広めることが出来る人物です。
ミシャクジの野菊さんの話ですと、稲はミナカタが持ってきて諏方の住民を懐柔したとあります。
しかし、地名からいくと三島と結びついた安倍氏の話もとても信ぴょう性があると考えられます。
言語圏で行くと、飯田市はバッチリ名古屋弁に近く、東海の影響が強いと思われる地域です
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生け贄を要求した凶暴な暴れ猿を祀り上げるとは本末転倒な🐥亀甲縛りで吊られた小猿達が一体何を意味するのか😨それにしても恐いですねぇ。若い女性を宴のメインディッシュにするとか狂気の沙汰🦑しかし”これ”と猿田彦さんとは全く関係無いと思いますけど🐣
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若い女性…ごくり😋
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若い女性がお好きなんですか〜🐣しかし猿山の猿の大群の中に若い女性…😨思わず生唾を呑む*V鑑賞😭無理〜🦑💦
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なんというアニマル(A)ビデオ!
世界的に見ても、日本人男性は若い女性が好きな生き物です。
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私もアニマル(動物)ビデオは好きです🐥スローロリスとかの。
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