岡山県赤磐市是里、吉備から美作方面へ向かう途上の吉井川の支流滝山川の深部に、「血洗の滝」(ちあらいのたき)はあります。 ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトがこの滝で血にそまった剣を洗ったというのが名の由来です。 お…
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石上布都魂神社:八雲ニ散ル花 吉備王篇 04
吉備津から美作地方へ向かう途中、岡山県赤磐市の山中にある備前国一宮「石上布都魂神社」(いそのかみふつみたまじんじゃ)を訪ねました。 一ノ鳥居までもずいぶん山道を走ってきましたが、案内板によるとこの先に本社があり、さらに奥…
吉備の中山:八雲ニ散ル花 吉備王篇 03
「吉備の中山の山中には磐座がありますよ」 「どのくらいかかりますか?」 「いえ、距離的には1キロ半くらいでしょうが、なんてったて道が急だからね、がんばって」 地元の方からそう教えられたら行くしかありません。 ええ、がんば…
鯉喰神社・楯築遺跡:八雲ニ散ル花 吉備王篇 番外
吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。 戦を行ったがなかなか勝負がつかない。 その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まっ…
吉備津神社:八雲ニ散ル花 吉備王篇 02
岡山市北区吉備津に鎮座の備中国一宮「吉備津神社」(きびつじんじゃ)にやってきました。 一時期はこちらを「吉備津彦神社」と称したこともあるそうで、少し混乱します。 参道入口に「矢置岩」という磐座があります。 由来には「当社…
吉備津彦神社:八雲ニ散ル花 吉備王篇 01
イサセリ・ワカタケの軍勢は、キビ地方全域と美作地方を占領し、その軍勢は各地に分散して住み着くことになった。 イサセリ彦とワカタケ彦は、キビの中央に当たる「キビの中山」に定住した後、名前を変えた。前者は大キビツ彦となり、後…
岡崎神社:八雲ニ散ル花 番外
豊国軍の一部は占領軍として稲葉国の伏野に残り、月神の信仰を広めようと考えて宇佐社を建てた。 そこには、兎神が祭られた。後で「イナバの素兎」の神話が作られ、白兎神社の名前になった。 稲葉国の別の所に住み着いた豊国兵もいたら…
佐比売山:八雲ニ散ル花 beginning
出雲王国時代は、ヘビのトグロに似た円錐状の山を神名備山と呼び、信仰の対象とした。大山は伯者富士と言われるように先のとがった円錐状の形をしており、元々は火山であったので、出雲王国時代は火神岳と呼ばれた。また大神山とも呼ばれ…
海童神社(龍王社):筑秦ノ饒速日 番外
前回の海童神社群巡りの際、もう一社訪ねた海童社がありました。 佐賀県武雄市北方町志久焼米に鎮座の同名社です。 34号線沿いに建つ一の鳥居から北に向かって参道を登ります。 右手には滔々と水を湛えた焼米溜池(やきごめためいけ…
海童神社群:筑秦ノ饒速日 番外
以前、古代史大好き出雲の高校生さんとやりとりした中で「海童神社」について盛り上がり、その際に有明海沿岸に海童神社が集中して鎮座していることに気がつきました。 そこでぼちぼち参拝してみることにしてみました。 最初に訪れたの…
立花山大クス:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔 安曇番外編03
\(^o^)/ オワタとは、本来両手を上げてバンザイを表す顔文字である。起源は明確にはされていない。 2000年代初期にかけて携帯電話に初めから収録されていた事もあり一般的に使われる。 大手掲示板サイト2ちゃんねるで初め…
高岡神社:八雲ニ散ル花 番外
いよいよイツセひきいる大船団が、東に進む日がきた。 すべての軍勢が笠沙の湾に集結したあと、東へ向かった。佐多岬(鹿児島県)と足櫂岬(高知県)を過ぎ、土佐国の南岸ヘ進んだ。 高知県高岡郡窪川町の高岡神社には、モノノベ王国の…