古宮八幡宮:秦ノ千々姫 01

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田川郡にある香春岳(かわらだけ)の三ノ岳東麓に鎮座する「古宮八幡宮」(こみやはちまんぐう)は、香春神社の元宮とされているというのが気になり、訪れてみました。

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参道横に蛭子社があります。

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エビスといえば、一般には出雲王朝の副王「事代主」を意味しますが、ここはおそらく物部系の神社になると思われ、その由緒が気になります。

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さらに横に「救童社」という石碑があります。
物部の祖である渡来人「饒速日」は、中華秦国から3000人の童男童女を連れて佐賀へ渡来したと伝わります。
その童らは祖国へ帰ることなく、筑後一帯に住み、亡くなったと云います。
この石碑はその者らを供養する石碑なのではないでしょうか。

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長い階段を上り、本殿を目指します。

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拝殿が見えました。

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この古宮八幡宮の地はかつて、「鷹巣」と呼ばれる森でした。

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香春神社も神紋を鷹羽としていますので、この一帯は「高木神」を信奉する物部族の支配域であると思われます。
秦国渡来系の物部は「秦氏」とも呼ばれ、高い採銅技術を持っていました。
ここは採銅所の跡地といいます。

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御祭神は「豐咩比命」「神功皇后」「應神天皇」です。
神功・應神は後に勧請されたのでしょうから、もとは「豐咩比命」(とよひめ)のみの祭神であったと思われます。

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豐咩比命とは豊前宇佐の王国「豊王国」(邪馬台国)の女王「豊玉姫」のことだと思います。
古宮八幡宮の神は宇佐八幡宮の正体とされる銅鏡の化身であると伝わっています。

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筑紫物部族は中央の大和へ東征を謀りますが、その時に豊王国との結びつきが不可欠であると考えました。
その時、貢物としての銅鏡がこの地で造られたのかもしれません。

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ここの祭神 豐咩比命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻ると云われています。

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