
その時、そこには僕だけがいました。

宿坊でぐっすり寝んだ朝、空がうっすら明るくなる頃に僕は出かけます。

地蔵殿まで真っ直ぐに伸びる参道。

脇には地蔵様と風車。

青い扁額の文字が際立ちます。

宿坊裏手に「降魔石」があるというので見に行きました。

二つの溶岩らしき岩があり、多分これの事かと思われます。

確かに魔獣が宿っているかの風貌です。

再び参道へ。

歪な亀の置物がある手水舎。

清らかな水が流れています。

参道の横には卒塔婆が立ち、

遠く小高い丘の上に地蔵尊が立っています。

延命地蔵だそうです。

地蔵殿でお参り。

それでは地獄へ参ります。

荒涼とした世界、漂う硫黄臭。

供えられた硬貨はあっという間に風化します。

「みたま石」

魂が凝縮しているかのようです。

「無間地獄」

奥の岩はたぶん「大王石」。

きゃらきゃらと回る、甲高い風車の音は、はしゃぐ子供の声のように聞こえます。

「慈覚大師堂」

亡き人を、ここで多くの人が偲びます。

大町桂月先生の歌。

ここは慈覚大師が説法をした所のようです。

小さな地蔵様があちこちに置いてあります。

女の子座りをしたお地蔵様。

その見つめる先には宇曽利湖が見えます。

優しい顔の地蔵様。

いろいろな人が、いろいろな思いを抱えて、この地に訪れます。

そしてここで、何かに区切りをつけて、帰っていくのでしょう。

「賽の河原地蔵堂」が見えてきました。

「八角円堂」とも呼ばれます。

中にかかっているものを見て、ぎょっとします。

これは、おそらく、遺品。

この中には、悲しみが充満しているようです。

「水子供養の御本尊」

じっと僕を見つめています。

僕はふと思います。

この降り積もる哀しみの中で、救いが必要なのは誰なのかと。

死は生からの解放です。

死は現世の、あらゆるしがらみ、束縛からの解放だとするなら、死者はもう既に救われているのではないでしょうか。

むしろ救いが必要なのは、残されてしまった人なのではないか、そう思います。

ここに延々と積もる哀しみは、死者のものではなく、生者のもの。

恐山は生きるものが、少しだけ、死に寄り添うことができる、そんな場所だと思います。
残されたものの哀しみを、受け止めてくれる場所。

恐山で行き着く先にあるのが、この宇曽利湖。

ここは極楽浄土であると表現されますが、

確かに美しくはあるけど、哀しい場所だと思いました。

ただただ美しいということが、こんなにも哀しいとは思いませんでした。

ここでも子供達の笑い声のような音が、鳴り響いています。

30分ほど、呆然と立ちすくんでいました。

いつの間にか足は帰路を目指していましたが、ふと気になり湖を振り返ると、光が差しています。

どうやら今日も、日が昇り始めたようです。


はじめまして。私は、NHK BSプレミアムの「新日本風土記」という番組のポスターを制作している者です。
現在、10月5日放送予定の[下北半島]のポスター等の制作を進めています。つきましてはブログで拝見しました恐山の写真のかざぐるま部分をポスターのビジュアルの一部としてお借り出来ないかと思い、連絡させていただいた次第です。このポスターのシリーズは、番組のPRを越え、公共の地域貢献をも目指しています。志として、日本の風土の再発見につながればと考えています。今回の[下北半島]で130作目となります。主旨をご理解いただいたうえで、ご協力いただけましたら幸甚に存じます。メールアドレスまで一度ご連絡いただけますでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。
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池田さま、ご来訪ありがとうございます。
私の写真がお役に立てるのであれば幸いです。
日本の風土の素晴らしさを再発見することは、私の目指すところでもあり、有り難くご協力させていただきたいと思います。
後ほどメールの方にも、改めてご連絡させていただきます。
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