斐川町にある出雲空港の北方には、徐福とともに渡来した童男童女の集団が住みついたと云います。
そこに社が建っていますが、その名は、「海童神社」となっています。
斐伊川沿いにひっそりと立つ社は、こじんまりとした印象。
出雲地方の海童達は、波に強い構造船を受け継いでいました。
成長した彼らは、漁業を営む者が多かったと云います。
海で仕事をする彼らは「海神」(わだつみ)を信仰していましたが、出雲の「斎の木」に巻きつく竜神も拝むようになります。
やがて、その両方の神が合体して、「竜宮信仰」が生まれたそうです。
海童神社と斐伊川を挟んだ対岸に、「浮洲神社」があります。
鳥居から斐伊川に向かった先に、海童神社があります。
「浮洲」は「蓬莱島」になぞらえられ、道教の理想郷とされたということです。
つまり浮洲神社も徐福の聖地だと云うことです。
海童神社よりも境内も大きく、立派な神社です。
しかし神話の国出雲にあって、少し寂しげな雰囲気が漂っていました。
さらに浮洲神社から少し先の浜ノ場にも海童神社が伝わっています。
こちらは石造りの小さな祠です。
「総荒神」なるものと一緒に祀られていました。
浮洲神社の神紋が剣花菱なんですね。
きっと祭神が変わったか、物部と和解した後の神社なのでしょう。
また、速秋津神は、出典は明らかではありませんが、月神という説もあるようです。
https://genbu.net/saijin/hayaakitu.htm
後裔に、水口宿禰や水沼を思わせるような天之水分神がいますので、やはり九州的というか豊家をほんのり感じます。
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祓戸の四神は何をモデルとしているのか難解ですが、確かに速秋津はじめ、豊の匂いを感じさせますね。
宮崎の都萬神社か一ツ瀬川を上流に向かって遡ると、祓戸の四神を祀る神社が鎮座しており、さらに奥にコノハナサクヤヒメの姉、石長姫を祀る神社があります。その辺りが豊王家の支配域なのが印象的でした。
僕の母方の苗字が白水で、筑後の方になるので、あるいは豊の血も流れているのかもと思っています。
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