お伊勢参りで楽しみの一つは「おはらい町」と「おかげ横丁」めぐり。
伊勢神宮の門前町でノスタルジックな店々が所狭しと立ち並び、一年を通じて、たくさんの人で賑わいます。
おはらい町通り入り口で最近注目を浴びている「ハートの石」。
地下道出口付近にあります。
「伊勢おはらい町通り」は宇治浦田一丁目から伊勢神宮・内宮の宇治橋手前までに渡る、約800mの商店街です。
通りにある、ほぼすべての建物が切妻・入母屋・妻入の木造建築で統一されていて、ノスタルジックな雰囲気でまとめられています。
おはらい町通りを歩いてすぐ見えてくるのが、名物「へんば餅」屋さん。
今から200余年前、安永4年(1775年)に九代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設けたのが、当店の始まりだそうです。
当時駕籠や三宝荒神(馬上に三つの鞍を置いたもの)で参宮する人達がこの店に憩われて、ここから馬を返し参宮されたため、何時しか「へんば(返馬)餅」と名づけられたということです。
餅は小ぶりで、甘さ控えめ。
もちもちっとした食感が楽しい、幾つでも食べられそうなお餅でした。
さらに歩けば、たくさんの店が並び、目を奪われます。
伊勢神宮の門前町として栄えたおはらい町は、江戸時代には参宮客が年間200 – 400万人も押し寄せたと云います。
日本全国から伊勢神宮に参宮客を集めた「御師」と呼ばれる人々の館がここに建ち連なって、客人をお祓いや神楽でもてなしたことから、いつしか「おはらい町」と呼ばれるようになったそうです。
しかし、昭和40年代後半あたりになると、参拝客は国道23号を利用して、おはらい町通りに立ち寄らず次の目的地に向かうようになりました。
伊勢神宮の参拝客が500万人であるのに対し、おはらい町を訪れた観光客は20万人にまで落ち込んでいたと云います。
その頃は一帯の建物も近代化の波を受けて、おはらい町は伊勢らしさをなくしていたのだそうです。
この状況を危惧し、立ち上がったのがかの「赤福」さんです。
この地に本店を構える「赤福」は、は有志を募り、昭和54年(1979年)に「内宮門前町再開発委員会」を結成し、赤福社長「濱田益嗣」の「洋風化したものが氾濫する時代だからこそ、日本的なこころのふるさとが求められている。」という考えに基づいて伊勢の伝統的な町並みの再生が始まりました。
さて、これが名高い、「赤福」本店です。
入り口はお土産を買い求める人で溢れ、
中では香ばしいお茶の香りもしてきます。
本店の中を覗き込むと、一つ一つ手作業で、赤福を作っている様子を見ることができます。
お土産に赤福を買って帰るのももちろん良いのですが、せっかく本店に来たのなら、中で出来たてをいただきたいものです。
その際、運が良ければ、五十鈴川に面した縁側の席に着くことができます。
伊勢参りの禊に使われる五十鈴川は、とても清らかな水を湛えています。
赤福の正確な創業年は不明だそうですが、1707年(宝永4年)執筆の市中軒の浮世草子『美景蒔絵松』に、伊勢古市の女が「(恋仲になった男が)赤福とやら青福とやら云ふあたゝかな餅屋に聟に入りを見向きもしなくなってしまい、その裏切りがくやしうて泣いております」と嘆いたという話があり、これが「赤福」の屋号の初出であると伝えています。
そのため、現在は1707年を赤福の創業年としているそうです。
砂糖が貴重品だった頃、赤福の餡は塩味だったそうです。
江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗がサトウキビの栽培を奨励すると、砂糖の生産高が増え、赤福も次第に黒砂糖餡を使うようになりました。
明治44年(1911年)、明治天皇皇后「昭憲皇太后」が神宮を参拝された際、赤福餅を注文したそうですが、甘みと灰汁の強い黒砂糖餡では、皇后陛下のお口に合わないのではないかと案じ、白砂糖餡の特製品を献上することにしました。
この時、ほっこり優しい甘さの、今の赤福餅が世に誕生したと云うことです。
赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定めています。
おはらい町は庶民の憧れの地、今では伊勢参拝に欠かせない、名スポットになっています。
店に並ぶ商品もとてもユニークで、「まんぼうの干物」も売っていました。
お値段50万円が、なんと今なら38万円!
まあ、ネタでしょうが。
伊勢といえば「伊勢海老」。
刺身で食べたいところですが、リーズナブルに頂くならお味噌汁も良いです。
伊勢海老のおみくじもありました。
陶器製の、最近よくあるやつですが、海老型はめずらしい。
お土産にも可愛いです。
好みの分かれる、「伊勢うどん」。
たまり醤油に浸かった衝撃的にコシのないうどんです。
寒い日の参拝者に、すぐに温かくいただけるよう工夫した結果、生まれたうどんです。
玉子入りにするとより美味しいです。
「てこね寿司」は赤身のカツオやマグロなどを漬けにして、酢飯に合わせたちらし寿司です。
元は漁師飯だったそうですが、伊勢志摩の郷土食として親しまれています。
意外にさっぱりとしていて、ボリュームのわりにサクッと食べてしまいました。
そして僕的おはらい町のキング・オブ・グルメは「松坂牛のステーキ丼」です。
ふわとろ・肉汁溢れる松坂ブランドのステーキが、どーんと乗っています。
最近オープンした「SNOOPY茶屋」さんもあります。
スイーツや軽食の他、グッズなども買い求められます。
スヌーピーファンには必須の聖地でしょう。
さて、おはらい町通りの中心「赤福」本店へ再び戻って来ました。
そしてその向かいには、
「おかげ横丁」があります。
「おかげ横丁」と「おはらい町通り」の境には、立て看板のほかには仕切りなどないので、混同する人も多いようです。
「おかげ横丁」は平成5年(1993年)の式年遷宮に合わせて、赤福社長の「濱田益嗣」が、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて造った「小さな町」です。
「おかげ参り」と「商いを続けてこられたのは伊勢神宮のおかげ」という2つの意味を込めて名付けられた「おかげ横丁」は、いわば赤福のテーマパークと言えるのかもしれません。
迷路のような路地に、所狭しと並ぶお店は、覗いてまわるだけでもとてもワクワクします。
おかげ横丁にある赤福の店舗では、夏には抹茶氷に赤福餅を入れた「赤福氷」、冬は赤福の餅と餡を使った「ぜんざい」を頂くこともできます。
おかげ横丁でお土産におすすめなのが、例によって陶器製のおみくじ。
しかしここにあるのは「おかげ犬」バージョンです。
「おかげ犬」とはその昔、どうしても伊勢に参拝できない人が、代理でお参りに行ってもらったという愛犬の呼び名です。
主人は、犬の首にしめ縄などでお金を入れた袋をぶら下げて送り出したそうです。
賢い犬は主人のため、まだ見たこともない伊勢神宮を目指し、旅をし、お参りをして、無事に戻ったと云います。
そして首には、お参りの証としてお札がついている、というお話です。
例えば「歌川広重」の浮世絵に描かれていたり、他にも様々な伝承を残しており、どうやら数匹の「おかげ犬」が、実際に存在したようです。
もうひとつ個人的におすすめなのが「宮忠」さんの「盛り塩」の固め器。
三角錐と円錐型の2タイプあります。
この小さなアイテムにも、伊勢神宮のお膝元で七十年余りにわたって神殿・神祭具造りに携わってきた「宮忠」さんのこだわりが伺える逸品です。