三輪山の北東、鬼門の方角に『日本第一』「笠山荒神社」(かさやまこうじんじゃ)が鎮座します。
3000年の歴史ある神社で荒神出自の源と伝えられています。
参道は北側と南側にあり、北側には十分な駐車スペースも設けられています。
普通に案内板に沿ってたどり着くのがこちら側。
石灯籠の続く侘びた参道が心地よい。
南北に走る参道を直角に折れて神域があります。
どことなく神仏習合の名残を感じさせる境内。
祭神は「土祖神」(つちのみおやのかみ)、「奥津彦神」(おきつひこのかみ)、「奥津比賣神」(おきつひめのかみ)の三柱。
この三柱荒神は、陰陽道に由来すると云うことです。
昔は年の暮れになると、どこのうちでも竃のすすをはらい、荒神さまのお札を祀ったそうです。
荒神と竃のむすびつきは、荒神が不浄を忌む神なので、不浄を焼き尽くす炎から、家庭にあっては火を燃やす竃がそれにあたることになったと云います。
「役行者」(役小角)が金剛山で祈っていると艮の方に赤雲が幢のようになびいていたので、そこへ行ってみました。
すると、宝冠をつけた六つの腕の神人がいたそうです。
右の手には独鈷、蓮華、宝塔をもち、左の手には鈴、宝珠、羯磨杵をもって、小角に告げて云うのには、
「われはこれ三宝衛護の神として、世に呼んで荒神という。われつねに淨信修善の者をたすけて不信放逸の者を罰す、ゆえに人は荒乱神といへり…」
そこで小角はその地に祠を作って祀ったと言い伝えられています。
ところで拝殿の瓦屋根を見て「ん?!」と思いました。
これはもしや!
当ブログにコメントをくださるnokananさんの情報によると、三輪山を挟んで南側にある「十二柱神社」付近の家屋にも恵比寿さんの瓦屋根の御宅がちらほらあるのだという話でした。
当社のある笠地区は広大なソバ畑が見られることでも知られています。
北参道の入口の向い側には笠そばが食べられる「笠そば処」があり、いつも昼時は賑わっています。
そのお蕎麦やさんの駐車場の向かい側、丘の中に、これまたひっそりと小さな神社がありました。
「大倭皇女宮」です。
真新しい石の祠は、とある人形師の方が建てたのもだそうです。
社名から大和姫を祀るものかと思われましたが、祭神は「大日孁貴命」(おおひるめのむちのみこと)、「栲幡千千姫命」(たくはたちぢひめのみこと)、「玖邇阿礼比売命」となっています。
大日孁貴はサホ姫のことで、栲幡千千姫は徐福の母親、玖邇阿礼比売は登美家の姫のことです。
奇しくも磯城王家、物部家、登美家の姫神が並び祀られていることになります。
再び笠山荒神社の参道に戻ります。
社殿の手前に曲がる道、今はこの道は立ち入り禁止となっていますが、
かつてはスサノオの墓と言い伝えられる塚に至る参道でした。
以前拝見したそれは、ささやかに盛られた土に、太陽・月・星が象られた、ちょっとチープな剣が刺さっていました。
当然この塚がスサノオの墓であるはずもなく、もし本当にそうならもっと厳重に管理されるべきでしょう。
少々残念な神跡です。
参道に戻り、「閼伽井不動」まで足を伸ばしてみます。
笠山荒神社は、古来、山野辺の道に散在する社寺の奥の院として栄えたそうです。
また笠山荒神社は「元伊勢」の伝承地のひとつであるという主張もあるようで、「大和笠縫邑」(やまとかさぬいのむら)は三輪山山麓ではなく当地であると唱えます。
由緒によると、その昔、笠山鷲峯山に須佐之男命の神孫で竈の神である「奥津彦神・奥津比賣神」と大地の神「土祖神」を奉斎したとされるが、更に古くは土着の信仰が強かった、と伝えています。
当社が出雲的なのかどうか、それを検証するために僕は今回、再び笠山荒神社を訪ねることになりました。
確かに三輪山を囲む一帯は、出雲の痕跡にあふれています。
しかし当地は、出雲的かと言われれば、むしろ物部か海部か、そんな道教的印象を拭いきれないのでした。
笠山荒神社の南側参道入り口に降りてきました。
その横に「閼伽井不動」(あかいふどう)があります。
養老2年(718年)、中天竺の僧「善無畏三蔵」が鷲峯山に笠を留めて、閼伽井の地を拓いたと伝わります。
当地に鎮座するのは「黒龍社」「白龍社」、
それに「弁財天社」になります。
由緒では、弘法大師が遣唐使留学から帰朝した後、高野山建立を志し、閼伽井の池で二十一日間の行を修めたと伝えます。
その後、高野山を開基するも火災・疫病に見舞われ、再び閼伽井の池で水行を為し、この地に不動明王を祀りました。
高野山に戻った弘法大師は笠荒神を勧請し、災禍なく開山できたと云うことです。
閼伽井の池は古来から清めの水に用いられているそうで、よってこの南側参道が表参道にあたるようです。
ところでこの池を見て思いました。
豊来入姫(豊姫/豊鍬入姫)が月神を祀った大和笠縫邑は、ここではなかったか、と。
筑後地方の月神信仰の痕跡を見て回った時、池や小川、または干潟などがそばにあったのが印象的でした。
月読の祭祀には、月を映し取る水鏡が必要だったのではないかと思われたのでした。
閼伽井不動を立ち去ろうとした時、奥に続く小道が気になりました。
小さな標識に「大倭姫宮」とあります。
先に進むと祭壇のようなものと
ひらけた場所があります。
案内板を見るとヒメミコ、ヒミコを祀る社のようです。
祭神は「淳名城入姫」(ぬなきいりひめ)、「豊鍬入姫」(とよすきいりひめ)、「倭姫」(やまとひめ)となるようで。
他に「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめのみこと)、「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、大山祇神(おおやまづみのかみ)なども祀られていました。
比較的新しいこれらの小社群をどう捉えるかは人それぞれですが、僕にはやはり出雲らしさを感じさせるに及ばないのでした。
おはようございます。
それは、歳のせいですよ。今にCHIRICOさんも勝手に涙が出てきますよ。待っていてください 笑
山ノ神遺跡の話ですが、地元のおばさんが教えて下さったのですが、昔は大神神社は相当な財政難だったそうです。
三輪山に巨木が無いのは木を売ったからじゃないかと。そして、麓は私有地で、山ノ神遺跡の土地は木が生い茂っていて、あそこにみかん畑を広げようとしたそうです。
木を伐採した時、あの磐座が出て、その色々なモノが出土し“えらいこっちゃ”となったそうです。
今、地元の人が【出雲屋敷】があったとされている所は、月山日本刀捲簾道場記念館だそうです。(お好きな月山ですよ♪♪)
国宝の方がいらっしゃいます。
確か、その手前たったと思いますが、奥垣内遺跡(おくがいと)と云うのも発掘されたそうです。
ここはちょっと階段になっていて物凄く綺麗に整備されていますが、注連縄は無いので気づかないのと、案内板がないのですが、紛れもなく祭祀していた場所らしいです。
月山の手前でした。階段が有るので分かりますよ。
このままで良いのかと宮司さんに聞いたら、いいでしょ…ね、と笑
山辺の道の貴船神社の磐座は後から置かれたモノじゃないかということです。
三輪山の磐座も後から置いたのでは?というものも有るそうです。
本当の出雲屋敷の跡のもう一つの磐座の行き方は、DMを出せるsnsが有れば教えてください。行かれる時にお知らせしたいと思います。1週間前が希望です 笑
私は出雲王朝初心者ですが、古代史にも興味のない時から、物部嫌いなので、物部と出雲を一緒に考えている人には【私の個人的見解】で、行って欲しくないのです。 (ちょっとありましてね。心がとても狭いのです)へへへ笑
余談ですが、シキ(磯城)氏とミワ(三輪)氏の末裔が、大神神社で、禰宜さんとして働いているそうです。
ご祈祷に指名制度が欲しいです。
今の宮司さんは神社庁から10数年前に来て、とても経営上手だそうです。
見習いたいです なんて。 笑
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おはようございます!
いやあ僕もなかなかなお年頃なのですが、更年期らしき症状は出るものの、雫が頰を伝うことはなかなかなくて。
涙は心の洗濯と言いますが、きっと僕の心はずいぶん煤けてしまっているのかと。
ところでひょっとして師匠と叫ばなくてはならないのは僕の方なのではないかと、思い始めている今日この頃です。
nokanannさんの情報量、そして行動力も、っぱないですね!
女性の方というのは、地元民に話しかける天才だなと、最近思うようになりました。
僕ら男性はその辺が下手くそで、すんごい勇気を振り絞って、一言二言交わすのが精一杯。
それにしても貴重な情報ありがとうございます。
すぐにでも奈良に出かけたくなりましたが、2月は鎌倉、3月は徳島と既に予約を入れており、4月の第3週あたりで出かけてみたいとスケジュールを見合わせているところです。
4月の第1週は美保神社の青柴垣神事です。
今、これが一番の楽しみで♪
葛城に複数ある蜘蛛塚などは、物部族が出雲族を大量殺戮した跡地であると思っています。
そこの高台には高天原があって、物部系の神が祀ってありました。
当時の葛城・出雲族はさぞ無念なことでしょう。
物部の史跡を巡っていると、血生臭い歴史を垣間見ることがあります。
支那系・朝鮮系渡来人は人を殺して遺体をバラバラに切り刻み、塚を築く傾向があります。
これは死霊が蘇らないようにとの行為みたいですが、業の深さを感じます。
大陸系狩猟民族の特性でしょう。
日本に来て浄化されているとはいえ、深い業は残っているものと思われます。
ただ物部の中でも神魂神社の王邸を守った秋上家のような人もいらっしゃいますね。
シキ氏とミワ氏の末裔さんが禰宜さんとして残っていらっしゃるとは心強い。
今、社寺への一神教の侵食も深刻だと伺っています。
気付けば僕らは、違う神仏を拝まされていたなんてことになってきているそうです。
太宰府天満宮も経営上手なんだそうで、神社が経営上手というのも変な話ですが、しっかり聖域を守っていって欲しいですね。
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鳥見山霊時で出会ったおじさんに奈良にも出雲が有るよ~という事で、地図上で調べ、気になったのが十二柱神社という所でした。昔は拝殿も無くダンノダイラの遥拝場だったそうです。
昨年、日帰りで決行しましたが、どうやら巻向から行った方が早く、時間も無いのでその日は断念しました。
その神社の周りの家の屋根瓦の飾り物が恵比寿さんというお宅がありました。
と言う事は……クンクン( ̄∞ ̄)
そこは穢されたくない聖地でした。
パワースポットという言葉はどうしても好きになれませんし、そういう方々には行って欲しくないなぁ~なんて個人的には思ってしまいます。
その日、三輪山の地元の方から、かの山ノ神遺跡から道が繋がっていた事を聞きました。今は禁足地になっているので、行けませんけどね。何らかの事情でそこで暮らすしかなかったのでしょうね。
山ノ神遺跡の他の磐座にも連れて行って頂きました。さすが地元の方ですね。
軽自動車でしか行けませんよ。そして前日が雨だと、十二柱神社から行った方が良さそうですよ。
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貴重な情報ありがとうございます。
少し調べてみると、奥不動寺まで一応車道が通っているみたいですね。
ただしかなりの酷道のようで。。
レンタカーはいつも軽を借りています。
その方が山道には都合がいい場合が多いので。
僕もパワースポットという言葉は好きではありませんが、便宜上使用する場合はあります。
聖域は僕が独占できるものでもありませんし、誰が訪ねて行っても良いのだと思います。
が、そこは気の遠くなる古い時から、先人たちが祈りを重ねてきた場所であるということを、僕は決して忘れず驕らないよう肝に命じています。
正しい背景も知らないうちは、勝手な祈りもしてはいけないと思っています。
基本的には、そこにあるものを、あるがままに感じさせていただくだけに留めることにしています。
まあ、仮にエセ霊能者が訳のわからない何かをしたとしても、毛ほども影響を受けるような代物でもないと思いますが、日本のそれはね。
ダンノダイラに留まり暮らさなければならなかったとしたら、それはやはり祭祀・巫女系の者たちだったことでしょう。
さらに東の方には第二の鳥見山中霊畤もありますから、そちらとの関連もあったかもしれませんね。
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そうです^_^
笠山荒神へ行く道の途中に、奥不動寺へ行く道が現れます。
よそ見してたら見落とします 笑
お寺まで車で行けますが、途中、2台は止まることの出来るスペースが有るので、自身がないので、そこに止めました笑
でも、それが大正解でした。
なんもいえねぇーって感じです 涙
最近、感情移入しすぎて出雲と大和殿で号泣ですよ 笑笑 年ですね!
奥不動寺に入り、本殿裏に入り、右側の道をという感じです。
物部色が強く主張してますが、師匠には是非、行って頂きたいです笑
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久しぶりに師匠いただきました(笑)
僕は根っからの出雲ファンですが、九州生まれだけに、物部の血もそれなりに混ざっているものと思われます。
でもまあ大彦ほどではないですが、物部好きにはなれないところもあり。
出雲と大和展、それほどでしたか、それは見てみたいですね。
マジレスすると、僕は涙というものをあまり流したことがなく、人として心が枯れているんじゃないかと疑うことがあります。
もちろんちゃんと感動するんですが、泣ける人がちょっと羨ましいです。
なかなか新記事をアップできていないように、ただいまネタ切れを起こしています。
早く次の旅に出かけたいのですが、ね。
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こんばんは。
CHIRICOさん行ったかしらん?と思い検索してみたら、笠山荒神さんへ行かれていたのですね。私は、こちらはモロ出雲を感じました。
この下の閼伽井不動は、ごりごりの龍神信仰でしたよ。狭いながらも素晴らしかったです。チープな感じに 笑 変えられてしまったのではと、読んでいて思いました。
と云うのも、この下の巻向山に【ダンノダイラ】という出雲の方々が暮らした所が在るのはご存じですか?
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こんにちは、nokanannさん。
そうでしたか、閼伽井不動までは足を伸ばさなかったもので。
ダンノダイラの存在は知っていましたが、ちょっとアクセスが大変そうなのでまだ行ったことはありません。
三輪山を挟んで反対側の出雲屋敷跡「山ノ神遺跡」は行きました。
https://omouhana.com/2018/04/21/出雲屋敷・山ノ神遺跡:八雲ニ散ル花%E3%80%80追伸/
ダンノダイラは位置的に、巻向山に、というよりは三輪山の遥拝地という位置関係にある遺跡なのではと思っています。
出雲族が暮らしたというにも山奥すぎるように思われますし、祭祀の跡地なのではないでしょうか。
何れにしても、マップ上での想像に過ぎませんので、やはり一度訪ねてみる必要がありそうですね。
卒業シーズンがひと段落したら閼伽井不動と合わせて計画してみます!
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