和歌山の鳴神にあるという忌部ゆかりの神社は、住宅街の中にぽつりと鎮座していました。
「鳴神社」(なるじんじゃ)です。
『紀伊続風土記』によれば、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による紀州攻めや神仏習合等により衰微していた当社を、江戸中期の享保4年(1719年)に仏色を排除して紀州藩による社殿の再建が成されたとのこと。
鳴神社の祭神は、「速秋津彦命」(はやあきつひこのみこと)、 「速秋津姫命」(はやあきつひめのみこと)、そして 「太玉命」(あめのふとだまのみこと)の3柱となっていますが、これには少々注意が必要です。
『南紀名勝志』には当社祭神は未詳とされており、江戸時代初期まで祭神不明の状態が続いていたのだそうです。
そこへ先の、紀州藩による社殿の再建が成されたとき、「然るに祀る神を定めらるるに至りて速秋津彦命、速秋津比売命となし本殿を両殿に作らしめ給へり」と、2柱の祭神が定められました。
この2柱の神は水戸の神とされ、港の神として崇められる神でした。
また速秋津比売は4柱の神で構成される祓戸の神の1柱でもあります。
その後、『延喜式神名帳』には当社祭神が一座として記されていること、当地が紀伊忌部の支配地であったことから、元来の祭神は忌部氏の祖神である「天太玉命」であったのではないかという説が起こりました。
その結果、平成8年(1996年)に忌部氏の本拠地である奈良県橿原市忌部町の「天太玉命神社」から改めて天太玉命の分霊が勧請され、本殿に合祀されることになったのです。
平成8年というと、ついこの間のことです。
本殿は2つが建ち並び、
向かって左に「天太玉命」、右に「速秋津彦命」「速秋津姫命」が祀られています。
『古語拾遺』によると、紀伊忌部は彦狭知命の後裔であり、名草郡御木郷・麁香郷の2郷に居住して材木の貢納、宮殿・社殿造営を担ったとされています。
天正13年(1585年)に豊臣秀吉による紀州征伐での太田城水攻めに際して、鳴神社含め付近は大いに荒廃しました。
そのため当社の祭神が不明になるという事態に陥ったのでしょう。
あまり広くはない境内に、小社が並びます。
その一角にあるのが「堅真音神社」(かたまおとじんじゃ)と「香都知神社」(かつちじんじゃ)です。
堅真音神社の祭神は「神吾田鹿葦津姫命」(かみあだかあしつひめのみこと)で、木花咲耶姫命の別名とされます。
香都知神社祭神は「軻遇突知命」(かぐつちのみこと)です。
2社とも近隣にあったものを、ここに遷したもののようですが、木花咲耶姫命といえば物部イニエの后、薩摩のアタツ姫のことです。
記紀では山神の娘となっていますので、それで当地に祀られているのかもしれません。
しかし忌部氏は物部氏とともに大和に移住したという話が大元出版の本に記されていました。
忌部氏は東出雲王家・富家の分家であるはずなのに、なぜ物部東征に加わっているのか不思議でした。
それについて富氏に伺ってみると、
「忌部は確かに富家の分家だよ。でも困ったところがあってね、出雲が優勢なときは出雲族として振る舞い、物部が優勢なときは物部の振りをしたんだ」と教えていただきました。
そうとなると、当地の堅真音神社は物部と一緒に移住した忌部氏が、物部のふりをして祀ったものだろうか、などという邪推も湧き起こりました。
それはそうと、境内裏の杜の中で何か石碑のようなもの見つけたのでした。
CHIRICO様のご意見に全面的に賛成します。
なりたい職業のNo.1がユーチューバーなんですか・・・。絶句としか言い様がありません。かつては世界をリードしていた日本の各種産業ですが、今やその面影を見て取ることが出来ません。何事にも成果主義を唱え、目先の結果だけを重んじた政策を進めていけば、日本人の美点とも言える地道な努力といったものは息の根を止められることでしょう。私は真面目に努力して失敗しても、それを許せる社会が未来を開いていけるものと思っています。インバウンドやIRに血道を上げているようでは足元スカスカで脆弱な国になってしまうことは火を見るよりも明らかこと。本当に何とかしなければと歯がゆい思いをしています。
CHIRICO様のように真の歴史を探究なさっている姿勢って本当に素敵だなと、いつも感心しております。かつての美しい国日本、勤勉で素晴らしい日本人を取り戻す意味でCHIRICO様が発信なさっていらっしゃるブログはとても貴重なもののように思えます。
お仕事も大変でしょうが、健康にもご留意なさって、これからもますますご活躍されることをお祈りしております。
asamoyosi
追伸 おかげさまで日ごろの心のモヤモヤを発散させることが出来ました。ありがとうございました。あっ、もしこの返信の順番が違っていたらごめんなさいです。
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asamoyosi様、ありがとうございます。
日本を恐れるものたちは、日本人の精神性を最も恐れているのだと思います。
それはいつの頃からなのか、秦氏の頃か、ザビエルの頃か。
往古から何度も送られて来た使節にも染まることなく、むしろ彼らを取り込み、日本独自の風俗と為してしまう。
戦争で打ち負かしても、バブルで陥れても、毎年のように大災害に見舞われようとも、そこからコツコツとまた隆盛していく不思議な民族。
恐ろしいことでしょうね、その者たちにとっては。
国難の時ではありますが、日本人の精神性はまだ死んではいないと思います。
完全趣味で続けている旅のブログですが、ここに何かを見つけてくれる若い人がいれば、幸いですね。
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CHIRICO様
おはようございます。
「鳴神」にまで足を運ばれていらっしゃったのですね。まさに「網羅」と言う言葉がぴったりです。
鳴神は和歌山市へ出かけるときのよく通った道路沿いにある懐かしいところです。職場の先輩にも鳴神の人がいたのですが、そんな話はこれっぽっちも聞いたことがありませんでした。それよりも当時気になっていたのが鳴神貝塚。行ってみなくてはと思っていて完全に忘れていました。CHIRICO様のブログを拝見し、思い出しました。そのうちに行ってみようと思っています。この辺りには鳴神貝塚、岩橋千塚古墳群、それにCHIRICO様のブログにあった日前宮などがあるのですが、勧請されて建てられた神社ではなく、大元の古い神社って貝塚・縄文・弥生・古墳などと有史以前から連綿と栄えていた場所に建てられたのではないのかとふと思ったことでした。もちろん必要十分条件ではありませんが・・・。
鳴神と聞き、懐かしさのあまり、だいぶ悩んだのですが、つまらないコメントをさせて頂きました。ごめんなさい。
asamoyosi
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asamoyosi様、おはようございます♪
鳴神貝塚、とても気になりますね。
それに鳴神という地名も気になっています。雷神が由来だとは思われますが。
「古代日本の先住民は、シジミやサザエ、アワビなどの貝を貴重な食糧と考え、身を取ったあとその魂を天に送るために貝塚で拝んでいた」と大元出版本に記載されています。
食した魂を天に送り崇めるというのは、アイヌ族にも似た風習です。
貝塚は古い民族の聖域だったのですね。
秦国から渡来した一族の物部族らは貝を食べる習慣がなく、大和上陸に際してはこれら貝塚を破壊して回ったとのことでずいぶん嫌われたそうです。
食したものにも敬意を払い、命の循環を大切にした農耕民族と、食い散らかしては次に移住する狩猟民族の感覚の違いですね。
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CHIRICO様
貝塚は土器の破片なども一緒に出てくることから、ゴミ捨て場のような所だったと習ったことを覚えています。でも、聖域とだったとすると、土器の破片などは祭祀を執り行った跡ということになる。諸々のことに感謝して食事を摂るという日本人の食に対する感覚とぴったり合うような気がします。 ありがとうございました。
asamoyosi
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学校の教育は、今思えばいい加減なものも多かったです。
大切に守られて来たからこそ、今遺跡として残っているのでしょう。
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いい加減・・・、そうですね。もしかして今でもそうかも知れません。ゆとり教育がすすめられたと思ったら今は真逆になっているようですし、円周率がそれまでの3.14ではなく3でもいいと教えてみたり、極めつけは道徳教育。前政権が旗振り役になって推し進めたようですが、一体どんな道徳教育をしようとしているのでしょうね。モリ・カケ・サクラなど反道徳の見本のような対応の仕方ですが、こんな対応を道徳として教えているのでしょうか。心配になります。それと一番腹立たしいのが、美しい日本語を破壊したこと。真摯、丁寧、寄り添ってなどというそれらの言葉が本来持っている意味と完全に反対の意味で使われるようになってきていることです。最近はそれらの言葉を聞くだけで虫唾が走るようになってきています。本当に注視していかなければならないと思う昨今です。おっと、この注視はただ手をこまねいて単にずーっと眺めているというのではなく、必要に応じて適切な措置をとるという本来の意味です。さびしい話ですが・・・。こんな時ですからCHIRICO様の「偲フ花」がとても多くの方々の支持を集めているのでしょうね。わかるような気がします。
asamoyosi
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日本人の勤勉さはゆとり教育で壊され、勤労さは働き方改革で壊されましたね。
周りを見れば、本も読まない子供たちや非正規労働者であふれかえっています。
美容師の世界でも、フリーランスという名前だけはかっこいい非正規労働者が増えつつあります。
安易に収入を得ることをのぞみ、なりたい職業No1がユーチューバーなどと、これが今の日本です。
日本人こそ人類最後の良心であるのに、誰ですかね、麗しき人々をこんなに墜落させてしまったのは。
もはや心を売った議員・官僚らは税金で報酬を払うのではなく、償いをさせる時期だと思うのですが。
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