近戸神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 05

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赤城山の中腹に御殿と称する処あり。古老の伝えるには往古豊城入彦命東国を鎮定し永く居住し給いし所なるが故に今なお御殿と名付くと言う。
命のこの地に居住せられるや毎年七月一日を以て天地の神事を奉斎し祭事の終わりに濁酒を川に流し祭事終了の合図とせり。
命の長女某姫宮月田字丸山に邸宅を作り住せしが同日この地にても又祭事を営み然る後川流に至り酒粕の流れ来るを見祭事の終了せし、を知ることを常例とせし、依て此川を名付けて粕川という。

~ 近戸神社 由緒記 ~

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群馬県前橋市粕川町に鎮座する「近戸神社」(ちかとじんじゃ)を訪ねました。

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民家の中にぽつんとある印象の神社で、境内は小高く盛られています。

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由緒によると、赤城山の中腹に御殿と称する所があって、古老が伝えるにはその昔、豊城入彦(豊彦)が永く居住した故にその名がついているのだと云います。
そして豊城入彦の長女、某姫宮が邸宅を作り住んだのが当地の「月田」であるとのこと。

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月田、月神信仰の名残でしょうか。
また由緒は、「近戸神社は赤城神社と同一祭神にして某姫宮創祀せる社、なるべく又近戸と称するは赤城神社に近きが故なるべし」と、その社名の由来を伝えています。

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しかし近戸とは諏訪の千鹿頭神のことであると、長野の郷土史家・今井野菊さんはその渾身の調査報告の中で記してあります。
諏訪を追われ、長野松本を追われた洩矢族の本家・千鹿頭神族は上毛野国・下毛野国を移住し、福島の都都古和氣神社の地に至ったとのこと。

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つまり当社は本来、洩矢族の聖地でありミシャクジ神を祀っていたであろうと云うのです。

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しかし上毛野国と下毛野国、特に上毛の群馬県は、豊彦の伝承一色と言って良い状況です。
なにせ、あの赤城山の主が豊彦となっているのですから。

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神社裏手にはたくさんの石塔が立っており、石神(ミシャグジ)っぽさを感じなくもないですが、これはどちらかというと仏教系のものでしょう。

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境内の周りにもずらりと石の祠が並んでおり、

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一種の異様さを放ってはいます。

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当社の祭神は「大己貴命」と「豊城入彦命」となっており、やはりなぜか、豊彦と出雲神が一緒に祭祀されています。

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境内を散策していると

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奥に水神の祠と、

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古い石造の狛犬を見つけました。

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この狛犬は石造狛犬では県内で最も古いものだそうで、以前は拝殿前にあったのですが、一部欠損したのでここに移され保管されているのだそうです。

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後ろ姿も、とても愛らしい狛さんです。

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また当社に今なお伝わる獅子舞の奉納は600年の伝統があり、獅子掛り少年三人、笛掛り青年六人、歌掛り壮年四人の獅子連によって、華麗な万燈を中心に約1時間踊るのだそうです。
その数種類の舞や舞曲は口伝により継承され、今日まで一度も絶えることなく奉納されてきました。

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月田の近戸神社の西方900m、粕川沿いに近戸神社の「外宮」と呼ばれる場所があります。

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公園内にある鳥居から粕川に架かる橋を渡れば外宮に行けるようですが、橋は通行止め。
おそらく老朽化のためでしょう。

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大きく迂回して苦労して対岸に渡りました。
とにかく場所が分かりにくい。

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ここは「別宮」とも呼ばれているようです。

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近戸神社では「お川降り」神事が伝承されており、先の神社から外宮まで、神輿の渡御が奉じられています。

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建物の天井には見事な龍の絵が。
ここに神輿が安置されるのでしょうか。

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「対岸に方一間高さ四尺計りの石垣の上に近戸神社の石のほこらあり。神輿を此処に安置し、神事を執行し、且神前にて獅子舞一庭を舞いし、神酒を供奉者に饗し再び神輿に供奉して帰り来る。此神事を御川降りと称す」

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当地を見渡すと、いくつかの石祠が見受けられます。

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その中で一段高く祀られている祠が外宮でしょうか。

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このお川降り神事の最後に、神官により濁酒が小川に流されます。
それを「濁酒流し」または「酒粕流し」と呼ぶそうです。

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粕川の上流付近に三夜沢の赤城神社が鎮座しています。
その元宮の地が豊彦が住んだとされる「御殿」になります。

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豊彦が毎年7月1日に御殿にて天地の神事を奉斎し、祭事の終わりに濁酒を川に流して祭事終了の合図としました。
豊彦の長女・某姫は月田の邸宅でも祭事を営み、「父の流した酒粕が下流の当地に流れ来るを見て祭事の終了を知った」として、この川を粕川と名付けたと伝えられていました。
それは娘が、粕が川に流れ来るのをみて父の息災を知ったという、実に風情ある神事だったのです。

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月田の近戸神社から西に5kmほど先に「大胡神社」(おおごじんじゃ)が鎮座します。

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夕暮れ間近の参拝もあって、とても厳かな雰囲気に包まれています。

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大胡城の守りとして城の北側に位置し崇敬を浴びた当社。
明治中期まではこちらも「近戸神社」(ちかとじんじゃ)と称していました。

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主祭神は「大己貴命」と「豊城入彦命」。

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社伝によると、大胡城内に玉蔵院という二之宮赤城神社の別当があったことから、その系統の近戸明神として存在してたと云います。

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「一筆致啓上侯 御堅固之段珍重 奉存侯然者其地 赤城大明神当城之 鎮守ニ近戸大明神と 奉祭度侯間其元 父子之中此方江 引越神祭奉 頼侯万事家来 口上申入侯謹言 常陸介 天正十七年十一月九日 奈良原紀伊守殿」

大胡城主「大胡常陸介高繁」が天正17年(1589年)11月9日に、三夜沢赤城神社神官「奈良原紀伊守」に出した手紙が残っています。
それは大胡城の守り神として、赤城大明神を近戸大明神として祭りたいので奈良原父子のどちらか来て祭祀を取り行ってほしいという内容のもの。

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本来、近戸大明神とは千鹿頭神のことであろうと思われるのですが、それを赤城神=豊城入彦の系統として当地に祀っていたのです。

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上毛において、千鹿頭神族は豊族に乗っ取られてしまったのか。
しかし漢字こそ違えど、「チカト」の名前は社名として残されています。

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つまり千鹿頭神族と豊族は習合したと捉えることができるのではないでしょうか。

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さらには出雲神「大己貴命」を「豊城入彦命」と一緒に祭祀しているということは、先に東国に勢力を広げた大彦勢とも習合し、大和に対抗しうる巨大な勢力を東国に展開していたと考えられます。

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出雲系、諏訪系、豊系、それにアイヌも含んだ多民族国家が東国のクナ王国の正体だったのかもしれません。
大和の物部王朝は、これをエミシと呼んで忌み嫌いました。

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一神教の人にはなかなか理解できないことのようですが、日本古来のアニミズム的信仰は他者を排するのではなく、習合することによってより大きな力としたのです。

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