2022年9月5日、嵐の前の御許山(おもとやま)はまさに、常世を体現する異界となっていました。
この日は以前から、滋賀の織姫・かわち嬢(人妻)が九州までお出でになるとのことで、僕がエスコートを買って出ていたのでした。
嬢は産土にゆかりのある豊玉姫の霊跡を訪ねたいとのこと。それでは宇佐神宮と大元神社は外せないね、ってことで宇佐で待ち合わせしたまではよかったのですが。。
そう、台風11号がその日の夜に直撃か!というタイミングでした。
幸い5日朝の時点で宇佐周辺は雨も降っていない状況でしたので、宇佐神宮は問題なく参拝できました。
さて、大元神社行きます?大元神社は御許山40分ほどの登山になります。
行けるだけ行ってみますか、ということで霧に包まれる霊山登拝を決行したのです。
しばらく登っていると、今まで見かけなかった案内板がありました。
登山道を外れて少し山側に踏み込むと、ほうほう、確かに奇怪な石があります。
この龍石は樹木の幹や根が龍の手や爪に見えるのでそう呼んでいるそうですが、古代にはもっと小木か、そもそも生えてすらいなかったのではないかと思われます。
ただ石の方は杯状穴などたくさん見受けられるので、何らかの祭祀の対象であったのかもしれません。
もうひとつ、神籠石(かみごもりいし)なるものもありました。
まるでグーのような岩。これは神様の失くし物か。僕は子供の頃、よく超合金のロケットパンチを飛ばして失くしていました。
神様のロケットパンチは祭壇に利用されたのでしょうか。
サイズ感もちょうどテーブルくらいの大きさです。
さて、御許山は標高647m程度の山ではありますが、さすがに山頂付近は風も強く、木立の上部では激しく幹や枝をしならせています。
そしてこの宇佐神宮奥宮・大元神社は、九州はもとより日本国内においてもまこと稀有な聖蹟であると、嵐近づくこの日はことさら認識させられるのです。
勝友彦著『魏志和国の都』(大元出版)によれば、ヤマタイ国のヒミコとは、親魏和王となった宇佐の豊玉姫であると記されています。
邪馬台国論争は非常にセンシティブなテーマですが、各地を細かく調べ歩いた結果、私も勝氏の主張に確信を持って同意いたします。
宇佐神宮の中心である二之御殿に祀られる比売大神こそ正体は豊玉姫であり、この大元神社の先にある禁足地は豊玉姫の御陵となります。
ヒミコ・豊玉姫は大船団を率い大和に向けて東征を開始しますが、志半ばで病のため亡くなり、安芸の宮島で葬儀されました。遺体は宇佐に戻され、神奈備の御許山山頂に埋葬されます。その御霊が比売大神として宇佐神宮に祀られ続けているのです。
御許山に鎮座する大元神社は拝殿のみで本殿がありません。禁足地である豊玉姫の陵墓を直接拝しています。
奥には三つの巨石が鎮座していると伝えられ、姫はそこに埋葬されているのだと考えられます。
この日、僕とかわち嬢が大元神社拝殿に足を運ぶと、
その奥の禁足地から漂う、異様な霊氣に背筋がぞくりと泡立ち、足がすくみます。
まさに異界。
常世(とこよ)とは、かくりよ(隠世・幽世)とも言い、永久に変わらない神域を示します。
死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされます。
常夜とも表記し、永遠に続く夜の世界であり、月のともし火だけがある世界です。
我々の住まう現世(うつしよ)と相対する世界で、「常世とは命が還り、新たな命を生み出すうつろなのだ」と朝日丸姉さんは語っていました。
つまり常世には命の源泉があり、故に不老不死たる源があるのだと考えられます。それが変若水(をちみず)ではないでしょうか。
常世の国には、「時じくの香(かぐ)の木の実という、不老不死の仙薬になる木の実が生えて、そこに住まうものは永遠の若さを得る」と伝えられています。
永遠の若さとは新たな命であり、不死とは節、つまり節(よ)をくりかえす竹のごときものではないか。
そこに変若水の秘密があると、僕は考えます。「よ」とは「代」であり「世」「節」「齢」なのです。
この日僕が立っていた禁域の鳥居は、確かに常世の入口でした。
その先の世界はとてつもなく畏ろしく、また深く美しさを湛えていました。
以来僕の心には、常世への憧れがいっそう強くなっていったのでした。
神籠石はまるで強烈な熱で溶けた後のように見えますね。それにしても大元神社の幽玄とした雰囲気の掘立て小屋拝殿の奥の御陵に向けた鳥居…薄暗い黄泉の国の霊気と冷気を感じます🐥何か出るかも〜🦑
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何か出るかも〜👻
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