
今年もこの季節が来たのか。

河口湖畔の大石公園は、富士山と四季折々の花のコラボレーションが楽しめると話題の場所。

僕が訪れた初夏の河口湖は、ネモフィラが咲いておりました。
風のない日は逆さ富士撮影のスポットでもあります。


山梨県の富士河口湖町には「河口浅間神社」(かわぐちあさまじんじゃ)が鎮座しています。

この浅間神社は、河口湖越しに富士山と対峙する形となっています。

巨木に囲まれた参道が、とても心地よい。

貞観6年(864年)に富士山の貞観大噴火が始まり、八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没するほどの大災害が発生しました。

この噴火は、駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)の祭祀怠慢が原因だとされ、甲斐国でも浅間神を祭祀することになります。

そこで翌年の貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られ官社に列した、それが当社創建の由来となっています。

祭神は「浅間大神」(あさまおおかみ)。この神は「木花開耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)のことであるとされます。

また社記によれば、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)・大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀ると伝えられます。

拝殿の前に、小さな石の祠があります。
これは「美麗石」(ヒイラ石)と呼ばれ、『日本三代実録』にいう、浅間明神を初めて祀った古代祭祀の石閣と伝わっています。

境内はさほど広くありませんが、立派な杉の木が林立しています。

これらの御神木は、「七本杉」と呼ばれ、いずれも樹齢1,200年を数えるといいます。
「御爾」(みしるし)「産射」(うぶや)「齢鶴」(れいかく)「神綿」(しんめん)「父母」(かづいろ)「天壌」(てんじょう)とそれぞれ名が付けられていました。

河口浅間神社前の西川遺跡では、墨書土器や製塩土器が出土しており、古くから当地に中心的施設が存在した可能性が指摘されています。

大変な賑わいを見せていたであろう当地ですが、しかし江戸時代になると、富士講の流行や吉田御師の発展により徐々に衰退していき、19世紀には衰退の一途を辿ることになります。

現在は長閑な風景と、そこそこの参拝客があって、ちょうど良い感じの散策スポットになっている感じでした。

河口浅間神社の例大祭では、木花開耶姫命の御子神夫婦を祀る産屋ヶ崎神社への神幸が行われます。

この祭儀は、御子神夫婦(彦火火出見尊と后の豊玉姫命)の間に生まれた孫神「鸕鶿草葺不合尊」(うがやふきあえずのみこと)を、木花開耶姫命が見舞う体裁を取っているとのこと。
そのため「孫見祭」(まごみさい)とも呼ばれています。

この時、古式に則って、童女による舞「太々御神楽」(だいだいおかぐら)が奉納されるのだそうです。



さて、社務所で御朱印をいただいている時に、「母の白滝」と富士山遥拝の「天空の鳥居」があるとの話を伺いました。
母の白滝は木花開耶姫命の姑神として「栲幡千々姫命」を祭り、かつての禊場だったようです。道が悪く、母の白滝へは辿り着けなかったのですが、天空の鳥居にはなんとか行けました。

が、なんじゃこの列は。
バエラー達の列が、気の遠くなるくらい連なっています。

もういいや、と思い脇から撮った写真がこれ。
暑っつ。

天空の鳥居から少し降って、青空カフェから見た景色の方が、よほどきれいでした。
ああ、もうすっかり夏だなぁ。



なにゆえの首へのこだわり🤣
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🐥美麗石とは美女の生首をうりゃあっと石に乗せた感じの祠なのだろうか昔の雰囲気として🐤
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いやぁ、違うでしょ😄
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