高天原から地上に降り立ったニニギは、笠沙の御崎で、美しい乙女と出逢いました。
「君の名は!」
「コノハナサクヤヒメ」
「君を日本の頂点(富士山)に祀ってあ・げ・る。だから結婚しよう」
ちょっとイタいお年頃のニニギは、彼女の父・オオヤマツミに、ヒメの気持ちが心変わりする前に許可を取ってしまおうと使者を送りました。
「ニニギ様、オオヤマツミ様からたくさんの結納のお品が届いております。あと、コノハナサクヤヒメの姉、イワナガヒメが一緒に娶って欲しいと来ておりますが。」
「ほう、どれどれ、可愛かったらB小町(feat.NINIGI)で一緒にデビューさせるか。。。。。。。。。って、ブサイクか!」
ニニギは姉の容姿がとても醜かったので、オオヤマツミPの元へ彼女を送り返し、妹のコノハナサクヤヒメとだけ、一夜を共にしました。
無下にされた長女を見て、オオヤマツミPは思い嘆きました。
「揺るぎない永遠の命の象徴である、私の可愛いイワナガヒメタソにこのような仕打ちとは、嘆かわしい。天津神の御子のお命は、華やかではあるが、限りあるものとなるだろう、タヒね!」
そしてある日、コノハナサクヤヒメはニニギに言いました。
「あなたの子を身籠りました」
「な・ん・だ・と、、たった1回ヤっただけで身籠るわけないだろう。それは私の子ではなく、どこぞの男(国津神)の子だろうが!」
「まじサイテー、まじサイテー、ドイヒー、くされチ○ポ」
不貞を疑われたコノハナサクヤヒメは散々ニニギを罵倒し、
「私の身籠った子が天津神の子でしたら、無事に生まれてくるはずです」
そう言い放って出入口のない産屋に入り、隙間を泥で埋め、火を放って子を根性で産み落としました。
こうして生まれた推しの子は、ホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三兄弟でした。
…何度聞いても、ひどい話だな。。
不憫かわいい重曹ちゃんは、報われるべき!僕はそう思うよ。
さて、山梨県南都留郡富士河口湖町船津、富士北麓の剣丸尾溶岩流上(標高1050m)に位置する「河口湖フィールドセンター」は、富士成因の謎を探りながら、自然の豊かさを知る自然博物館となっています。
剣丸尾赤松樹海には、250個以上の溶岩樹型洞穴が点在し、その中には43個の国指定天然記念物があるそうです。
溶岩樹型洞穴とは、今からおよそ千年前に、富士山八合目あたりから噴出したマグマが大木を巻き込んで流下し、その後に中の樹木が燃えつき、朽ちて冷え固まってできた洞穴のことで、世界的にも貴重な自然遺産になります。
その河口湖フィールドセンターの敷地に、「無戸室浅間神社」(むつむろせんげんじんじゃ)または「船津胎内神社」と呼ばれる場所があります。
その神社の異様な点は、拝殿の中に入ると、ぽっかりと口を開けた溶岩樹型洞穴の入口があることです。
無戸室浅間神社は、江戸時代に富士講の信者によってこの洞穴が発見され、その上に建てられたものだといいます。
洞穴は、コノハナサクヤヒメが、潔白を証明するために籠った産屋、「無戸室」(うつむろ・むつむろ)に見立てられており、それが社名に冠されています。
ではもうひとつの船津胎内神社の由来は何かというと、
この洞穴の形状が、まるで胎内(体内)を連想させるような、不思議な形状をしているからです。
この富士山の麓にできた「胎内樹型」は、富士山の祭神コノハナサクヤヒメの、いわゆる“母の御胎内”と呼ばれるようになり、多くの富士講信者によって胎内巡りの霊地として位置付けられました。
富士講信者は、富士登拝の前日に母の御胎内を巡ることで生まれ変わり、身を清め、その後、御師住宅に戻って、翌日の登拝に備えたといいます。
ところでこの船津胎内、最初こそ少し身をかがめる程度で歩いて行けましたが、奥に行くに従い、天井が低くなっていきます。
全体像としてはこのような感じで、内部は「父の胎内」と「母の胎内」に分かれています。
団体ツアーなどでは、この「父の胎内」のみを体験するのだそうですが、ここは腰を曲げて進めば通れるくらいの広さがあり、数分で通り抜けることができます。
しかし何と言っても、当地の目玉は「母の胎内」。船津胎内樹型の代名詞と言えるそれを体験してこその胎内巡りなのです。
狭い洞穴内のT字路を折れて、いざ母なる胎内にフェードイン。
その洞穴、
狭し。。
もう、どのくらい狭いかというと、四つん這いになってハイハイしながらようやく進める広さです。その距離は80mほどですが、タヒぬほど長く感じます。
水溜りに木の板が置かれていますが、洞内は昨日降った雨で全体的に濡れていました。つまり僕の体は泥だらけ。もう帰りたい。
六根清浄~っ!
引くに引けず、突き進むほかありません。しかしその最終地点には、子宮口とも言うべき岩の蓋が立ちはだかります。
こんなん通り抜けられるんか?
ンギャ~、う、生まれる~、、ッポン。
岩の蓋を抜けると、確かに広い空間にでました。広いと言っても、膝をついて背を伸ばせるくらいの広さです。
そこにボサツ的なコノハナサクヤタソが小さく祀られています。ママ~っ!
何かが生まれる感じでここまで来ましたが、それは逆で、僕は今、ママサクヤの子宮に還ってきたところなのです。
生まれるのは今からであって、つまり来た道を、もう一度戻らなくてはならないのでした。
帰りの産道を何とか抜け出し、再び「父の胎内」というちょっと意味がわからない系の道を経由して出口へと向かいます。
産道を生まれ来る大変さを疑似体験した思いでしたが、子を産む母は、もっと苦しいのでしょう。
改めて、生命の神秘を感じた気がしなくなくもない感じです。
この舟津胎内はなんと、父の胎内のみではありますが、Googleマップのストリートビューで擬似体験することができます。
たしか富士山も登れるんだっけ、すごいねグーグル。
ところで、ふと疑問なのですが、父の胎内の先が出口ということは、それは父の肛門ということになるのでしょうか。
少々解せぬ面持ちの、しかし確かに泥にまみれた汚物のようなおっさんが、そこに立っていたのでした。
🐥このアトラクションのコンセプト自体が解せぬ🐤
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コンセプトは六根清浄
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🐥…清浄❓
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SYO-JYO!
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🐥しょ〜じょ〜ぉおおお‼️‼️‼️🪨
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