静岡浅間神社

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こんなところからも富士山を眺められるとは、静岡県民が羨ましい。

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居酒屋で、静岡名物いただいてきました。
とりあえず刺身の3点盛りと、

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浜松餃子、

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静岡おでん、

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清水区名物もつカレー、等々。

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そんな静岡でキング・オブ・ジンジャーと言えば、「静岡浅間神社」(しずおかせんげんじんじゃ)!

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か、どうかは分かりませんが、「おせんげんさん」として皆に親しまれ、「駿河国総社」として、静岡の総鎮守、守護神として広く信仰を集めている神社なのは間違いありません。

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静岡浅間神社は静岡市葵区にあり、静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に鎮座しています。

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当社への崇敬は、朝廷をはじめ、鎌倉将軍家、今川、武田、織田、豊臣、徳川などの各戦国武将らにも厚く、ことに徳川家康は幼少の頃、今川氏の人質として当社近辺にある臨済寺に預けられていたこともあって、生涯に渡って当社を篤く崇敬しました。

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実は静岡浅間神社とは、「神部神社・淺間神社・大歳御祖神社」の総称であり、正式名称もこの三社となっています。
つまり静岡浅間神社なる個体の神社は存在していません。
社殿向かって左側に「浅間神社」 (あさまじんじゃ)が鎮座しており、「木之花咲耶姫命」(このはなのさくやひめのみこと)が祀られています。
延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来本宮に対する「冨士新宮」として崇敬されてきました。
静岡浅間神社を代表するに相応しい神社ですが、三社の中では一番歴史が浅い神社となります。

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社殿向かって右側に祀られるのが「神部神社」(かんべじんじゃ)で、祭神は駿河国開拓の祖神にして我らが出雲のヒーロー「大己貴命」(おおなむちのみこと)です。
崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられ、平安時代より駿河国の総社とされた、静岡浅間神社の主体となる神社です。
物部イニエ帝の頃の鎮座とありますので、物部東征前後に東国に移住してきた出雲族が祀ったということでしょうか。

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神部神社の神紋は「輪鋒」ですが、これは八千矛を象徴するものだと思われます。

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ウマ~♪

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さて、三社のうち残る一社、「大歳御祖神社」(おおとしみおやじんじゃ)はどこにあるのかというと、境内図の左側、南の方向に鎮座しています。

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祭神の「大歳御祖命」(おおとしみおやのみこと)は 倉稲魂神と大年神の母神である「神大市比売命」を指すとされます。
鎮座は応神天皇4年(273年)と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神で「奈古屋神社」と称されたとあります。

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一説に、奈吾屋社と大歳御祖神社は、別々の社で、奈吾屋神社は倭文機部の祖先を祀り、最初は賤機山上に鎮座していたが、いつしか両社が結合して一社となったと伝えられています。
倭文機部の先祖ということは、秦氏が祀ったということでしょうか。いやそれは少々不可解なのです。

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『古事記』によれば神大市比売命は大山祇神の娘で、素戔鳴尊と結婚して、大年神・宇迦之御魂神を産んだと伝えられます。
大山祇といえば、伊予国大三島の大山祇神社を彷彿とさせますが、たとえば神大市比売命を宇佐の「豊玉姫」、素戔鳴尊を物部の「イニエ王」だとすると、大年神は「豊彦」、宇迦之御魂は「豊姫」と当てはめることができます。
すると、応神天皇(竹葉瀬ノ君)4年に豊玉姫(ヒミコ)を当地に祀った何某かがいたということになり、それは豊族が越智族か、みたいな背景が見えてくるのです。

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境内全体を見ても、神部神社の右手には「少名彦」(事代主)がいらっしゃって、

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左手には八千戈(大国主)がいらっしゃる。

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これはもう神部神社は、バチコイで”It’s a IZUMO~!”なわけです。

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静岡浅間神社は出雲と豊の姫様が並ぶ形で祀られており、秦族のうち物部が祭祀をした可能性はほぼなく、強いて言えるとすれば海部だろうか、というところです。

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静岡浅間神社の境内から階段を登ると、

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登ると、、

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登るとー、、、

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「麓山神社」(はやまじんじゃ)が見えてきます。

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祭神は「大山祇命」で、「日本武尊」を配祀しています。物部族が祭祀した可能性は、このヤマトタケルくらいのものですが、どう見ても後付けの神です。
麓山神社の由緒は不詳ですが、古来より賎機山山上に鎮座しており、「山宮」とも呼ばれていました。浅間神社の祭神が木之花咲耶姫なので、その父神を祀っていると考えられがちですが、先の説明のように浅間神社がここに祀られたのは後年のことです。なので本来は出雲の大己貴を祀る神部神社と共に、山頂にクナト大神を祀っていたと考える方が正しいでしょう。

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賤機山は古代より神聖な神奈備山であり、6世紀のこの地方の豪族の墳墓であるとされている賤機山古墳もあります。
静岡の地名はこの賤機山に由来しており、廃藩置県の際、徳川家が賤機山の麓にある小高い屋敷に移り住んでいたことから、賤機山の麓の丘(岡)から 「賤岡」(しずおか)となり、賤の字が後に静に変えられたということです。

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弘治元年(1555年)に当時14歳の徳川家康が当社で元服式を行って以降、徳川家ともゆかりの深い聖地。
そこに隠された秘密は、まだまだたくさんあるように思えたのでした。
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2件のコメント 追加

  1. mame58 より:

    富士山、綺麗に撮れていますね。
    お話は、私には難しかった😓

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 より:

      難しいお話をお読みくださり、ありがとうございます😌
      富士山はどこから見ても、美しい山ですね😊

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