香川県高松市国分寺町に「國分八幡宮」(こくぶはちまんぐう)が鎮座しています。
この日は、小雨の降る中の参拝でした。
しっとりと濡れた風景の神社というのも、良いものです。
立派な二の鳥居が見えてきましたが、
その扁額には、「岩川八幡神社」と彫られています。
検索してみると、鹿児島県曽於市大隅町の神社が出てきます。「弥五郎どん」という大男の祭りが有名ですが、当社とはあまり関係がなさそう。
國分八幡神社は、国分寺の表鬼門にあたる東北に、国分寺の鎮護のため並びに阿野七郷の産土神として天平勝宝年間に創祀されたと伝えられます。
空海が讃岐巡錫で立ち寄った際に当宮を修復し、讃岐国司も崇敬厚くしたという聖地。
社殿は、天正年間に戦火により焼失、寛永2年(1625年)の地震により損壊、しかしいずれも復興されてきました。
万治年間(1658年から1661年)に炎上し、大禿山(おおかむろやま/標高176.3m)の中腹である岩川山の、古来より祭祀が行われていた霊地に神殿を築いて遷座し、岩川八幡神社また国府八幡とよばれたということです。
祭神は「誉田別天皇」「足仲彦尊」「息長足姫尊」の八幡宮ファミリー、それに「神日本磐余彦火々出見尊」と「白蛇大神」。
拝殿手前には「縁結びの岩」というものがありますが、
社殿横のトトロのトンネルのような場所をくぐり抜けると
「縁切り塚」という、なんとも物騒な塚があります。
案内板によると、道路工事・造成工事などで元の場所に祭ることのできなくなった石祠や石塚を預かり、祭祀を執り行っている場所だそうです。
いつの頃から、縁切り塚と呼ばれるようになったと。
まこと人の身勝手さに付き合わされる神々に、申し訳ない気持ちになります。
僕が國分八幡神社に訪れた目的は、本殿裏にありました。
そこに、こんもりと盛られた磐座があります。
神社のHPを見てみると、この磐座にはいくつかの特徴が紹介されていました。
これは『八岐のウバメガシ』と呼ばれており、木が小さい時に白蛇がいつも木の上に乗っていたので、根元から複数に枝分かれしたと云われているそうです。
これは『方位岩』と呼ばれ、東西の方向にきちんと割れており、神様がお出かけの際、方向を見定める岩と云われているとか。
良く見ると、うっすら石英の白蛇が這っています。
『神の室屋』と呼ばれる場所は、磐座の中で一番、磁場が高く、神様がお休みになられる処と云われているそうです。
いわゆる岩蔭祭祀跡かと思われます。
これら云々の話は後付けのものでしょうが、この磐座群の中でも確かに特別な3ヶ所だと思います。
何より僕自身、HPの内容は知りませんでしたが、何かを感じ取りしっかりフレームに収めて帰ってきていましたので。
更に言うなら、本殿裏に突き出た磐座、
これは頭で、
丸い体を経て、
シッポがある~♪
頭の反対側。
これって、亀の磐座だよね。
これについて御神職にお伺いすると、元は大きな岩があって、それが崩れて今のようになったとご説明をいただきました。
HPにも「宮の磐座は、元来、大きい岩が数個だったようですが、長い年月の間に割れたり風化するなどして、大小交じり合った磐座を形成しています。」とあります。
なるほど、確かに風化はしているのでしょうが、しかしここにはある程度の岩が、今の形状とそう変わらない形であったのではないでしょうか。
そう思う根拠は、二の鳥居にあった「岩川」と言う地名です。この磐座こそ岩川なのではないでしょうか。
また当社祭神に、一柱だけ異質な「白蛇大神」が坐しておられます。
この磐座は、古来より白蛇の生息地とされ、今でも数年に一度は、その姿を現すのだと言う話が、國分八幡神社のHPに書かれていました。
白蛇を棲まわせる亀の磐座、あるいは亀ではなく蛇の磐座かもしれません。
いずれにせよ、白蛇信仰と磐座信仰を併せ持つ神社が、香川にもあったのです。
🐥小汚い磐座やな
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🐍失敬やな
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