さて、神津島(こうずしま)の2日目も、陽が陰ってきました。
この日は午前中は天上山に登り、午後からは盗んだバイクで走りました。
うそです。ちゃんとレンタルしました。
時間がもう少しだけあったので、あのコと眺めた星空の公園へ。
あのコというのは、菊乃屋さんのご主人のことです。
ありま公園に立つ、このモニュメントは、ジュリアさんの記念碑です。
「ジュリア おたあ」は、安土桃山時代の朝鮮人女性とされており、文禄・慶長の役の際に日本に連行され、のちにキリスト教に改宗しました。
彼女を猶子とした小西行長が関ヶ原の戦い(1600年)に敗れて刑死した後、勝者である徳川家康の侍女となりましたが、禁教令が出てもキリシタンとしての信仰を捨てなかったため、伊豆諸島へ流刑となったのでした。
ジュリアは美しく聡明な女性でした。その評判を聞いた徳川家康は大奥に召し上げ、駿府城で隠居する際にも彼女を伴うほどお気に入りだったようです。
伏見教会のロドリゲス・ジラン神父は、1605年『イエズス会年報』の中で、彼女の熱心な信仰の様子を「茨の中の薔薇」と評しています。
家康は岡本大八事件を機に、慶長17年(1612年)にキリシタン禁教令を出しましたが、これに対しジュリアは棄教を拒否し、家康の側室への抜擢にも難色を示しました。
腹を立てた家康は、彼女を駿府から追放し、ジュリアは伊豆大島、新島を経て神津島へと流されていくことになります。
彼女は流刑の身であっても、熱心に信仰を守り、見捨てられた弱者や病人、自暴自棄になった若い流人を救い、島民にも献身的に尽くしました。
1622年2月15日付のフランシスコ・パチェコ神父の書簡には、ジュリアは神津島を出て大坂に移住したのちに長崎に移り住んだと記されており、その後の消息および最期については不明であるとされています。
1950年代に神津島の郷土史家「山下彦一郎」が、島にある由来不明の供養塔がおたあの墓であると主張したことから、神津島で没したとする説が生まれました。
1975年、神津島村長がジュリアの殉教を報告し、教皇の代理が神津島へ礼拝に訪れ、ジュリアを聖人として認定しました。
午後はスクーターで島を1周半くらい走り回りましたが、海沿いのカーブをのんびりと、島風を受けながら走るツーリングは、至福のひとときでした。
レンタルスクーターを返却し、店の方に宿まで車で送っていただきました。
坂道を戻るのは、天上山で疲弊した体にはしんどかったので助かりました。
宿に戻ると湯が沸いていましたので、1日の汗を流させていただき、その後は部屋で寛ぎます。
日が暮れると、ご主人が夕食の案内をされました。
お待ちかねのディナータイムです。
メインディッシュはご主人が釣ってきた「たかべ」の塩焼き。伊豆諸島の名産で、高級魚。
身がパンパンに詰まっていて、ホクホクとしてとてもおいしい魚です。
刺身には金目鯛も入っていました。
神津島最後の夜も快晴でしたが、この日はゆっくりと宿の夜を過ごすことにしました。
窓から吹き込む夜風が、気持ち良い。
翌日の最終日、朝食をいただいた後は、菊乃屋さんに荷物を預かってもらい、午後のセスナ便まで前浜の集落を散策することにしました。
どこか郷愁を感じる風景。
黒曜石の島「恩馳島」(おんばせじま)がくっきりと見えています。
黒曜石は天然ガラスとも呼ばれ、古代人に欠かせないアイテムの一つで、石器時代には日本列島各地に大量に搬送されました。
恩馳島の黒曜石は斑晶鉱物(異物)が少なく、石器石材として良質であることから、選択的に採取されたと考えられています。
道々のサルタ彦さんに挨拶をしながら、町巡りをしていきます。
「ほうそう神社」なるものがありました。
地元信仰を感じるお社です。
中には何か、石が祀られていますね。
猫さん、ちっす。
「与種神社」なるものもありました。
伊豆諸島は流刑の地でもありましたので、島の暮らしぶりは厳しいものがあったとおもわれます。
しかしそこに手を差し伸べる者もいたようですね。
島内唯一のメジャーショップ。島内のJC・JKはみんなここで、ファンシーなアイテムをゲットしているはず。
島の将来を担う、ちびっ子たちがお散歩中です。ほほえましい。
ジャングルの様なところに入ってきました。
こんぴらさんです。
おじゃしゃぁっす。
ほうほう、これが天狗の面ですか。
神津島は、出雲感も強めですね。
こんぴらさんを抜けたところに公園があり、
そこにもジュリアさんの記念碑がありました。
愛されジュリア。
なんだか帰りたくなくなりますね。
猫さん、ちっす。
しかしお別れの時は近し。
前浜に来ました。
尻。
チミはのんきでいいね。
神津島サイダーというものがありました。
約400円と、少々お高いですが、これも島の記念と飲んでみました。
おお、確かに神津島の爽やかな風味が、かすかに感じ取れるような芳醇な味わい。
いえ、神津島成分ゼロでした。現実はこんなもの。(神津島愛を込めたネタとして😊美味しいし映えルヨ)
神津島の浜に転がる黒曜石は、神様のものなので、持ち出し禁止ですが、販売してあるのは島の利益になるからいいよね。
まるで神津島の夜空に広がる星々の様だったので、買っちゃいました。
裏は研磨していない自然石の状態。こんな感じなのね。
菊乃屋のご主人に、前浜で拉致られてピックアップしてもらって、空港まで送ってもらいました。
サラバ神津島、また逢う日まで。
「Dornier 228-212 NG」は僕を乗せて、ブイ~ンと青空へ飛び立ちます。
おお、あれに見えるは、多幸浜の先にある「砂糠崎」(さぬかざき)ではないか。
黒曜石の地層がくっきり。すごいよね。
石器時代に黒潮に乗って「返す浜」にやってきた一族。彼らは伊豆諸島や富士の噴火に畏れを抱きつつも祀り、共に暮らしてきました。
生きるために必要な水と海の幸に恵まれた、幸運の島。
神々の集いし、聖なる島。
僕らの遺伝子の元の元となる古代人は、僕らがイメージするよりも遥かに文明的で、崇高で、特異的な人たちだったのかもしれません。
そんな記憶が残されている特別な島ではなかろうかと、今回の旅で僕は感じました。
福岡からはちょっと遠すぎるけど、また来たいよ、神津島。