大分県別府市に鎮座の「八幡竈門神社」(はちまんかまどじんじゃ)を訪ねてきました。
八幡竈門神社は小高い丘の上にあり、駐車場からすぐアクセスできる境内からは、別府湾が一望できます。
しかし見下ろせば、長い参道が。
そうよね、ズルは良くないよね。
ということで、一旦下までてくてく降りて、一の鳥居から参拝することにしましたよ。
石畳の階段は風情ありますね。
参道の横には、個人宅が所狭しと建っています。
これ大丈夫かなー、っと心配になる歪んだ石段を頑張って昇ります。
この階段は昔、竈門の里に住んでいた悪鬼が作ったものだそうです。
人々を喰い殺す鬼に困り果てた里人は、八幡様に鬼退治を願いました。
そこで八幡様は「一晩のうちに百の石段を造ることが出来たら毎年人間をいけにえにやろう、もし出来なければ今後里に出て来てはならぬ」と鬼と約束しました。
鬼はせっせと石を運び、九十九段まで階段を造ったのですが、あと一段という時に、夜明けを告げる一番鶏が鳴いてしまいました。
夜が明けを恐れた鬼は驚いて逃げて行き、二度と里に現れなくなったということです。
そのためか、石段は下の方は丁寧に造られているが、上の方は雑に造られていると伝えられます。
八幡竈門神社には、狛犬ならぬ狛機雷が参拝者を迎え入れてくれます。
通常の神社では、不届き者が来ると、狛犬が睨みを効かせ牙を向けますが、この神社では機雷が自爆します。
拝殿の前には、恵方を向いてなでると願いが叶うという御神亀(なで亀)の像があります。
承和15年(848年)、豊後国大分郡の寒川で白い亀が捕獲され、仁明天皇に献上したところ、これを吉祥として元号を嘉祥に改めたと『続日本後紀』に記されています。
またこの亀は、Jリーグ大分トリニータのマスコット、ニータンのモデルともいわれています。
八幡竈門神社の主祭神は、お馴染みの「応神天皇」「仲哀天皇」「神功皇后」八幡ファミリーズに加え、
「国常立尊」(クニノトコタチノミコト)
「天照大御神」(アマテラスオオミカミ)
「田心姫命」(タゴコロヒメノミコト)
「湍津姫命」(タギツヒメノミコト)
「市杵嶋姫命」(イチギシマヒメノミコト)
「素戔鳴尊」(スサノオノミコト)
「天忍穂耳命」(アメノオシホミミノミコト)
「天穂日命」(アメノホイノミコト)
「底筒男命」(ソコツツオノミコト)
「中筒男命」(ナカツツオノミコト)
「表筒男命」(ウワツツオノミコト)
「天兒屋根命」(アメノコヤネノミコト)
「活津彦根命」(イキツヒコネノミコト)
「天津彦根命」(アマツヒコネノミコト)
「櫲樟日命」(クスヒノミコト)
「天太玉命」(アメノフトダマノミコト)
「経津主命」(フツヌシノミコト)
「武甕槌命」(タケミカヅチノミコト)
「建御名方命」(タケミナカタノミコト)
「大山祇命」(オオヤマヅミノミコト)
「加茂別雷命」(カモワケイカヅチノミコト)
「大山咋命」(オオヤマクイノミコト)
「高龗神」(タカオカミノミコト)
「倉稲魂命」(ウカノミタマノミコト)
「大物主命」(オオモノヌシノミコト)
「天照大御神荒魂」(アマテラスオオミカミノアラタマ)
「丹生都比賣命」(ニウツヒメノミコト)
「金山彦命」(カナヤマヒコノミコト)
「日本武尊」(ヤマトタケルノミコト)
「宮簀媛命」(ミヤスヒメノミコト)
「豊姫命」(トヨヒメノミコト)
「麛坂皇子」(カゴサカオウジ)
「忍熊皇子」(オシクマノオウジ)
の総勢36柱の神を祀っています。モウワケワカンナイヨー。
社伝では、仁徳天皇の治世(312年 – 399年)、日本武尊と神功皇后が西征した際に豊後国速見郡竈門荘亀山に行宮を営み、国常立尊、天照大御神ら33柱を祀ったことが由来であるということです。
神亀4年(727年)3月15日に仲哀天皇、応神天皇の神霊が御越山に遷座し、竈門宮に奉斎されたといい、この年を神社では創建としています。
色々とツッコミどころもありますが、それはそれとして、なかなかユニークな神社です。
境内のお稲荷さんの手前には、九十九段の石段を作って逃げた鬼が、忘れていった「石草履」(いしぞうり)なるものがありました。
長さは45cmほど。
鬼の足指が三本なのは貪欲、嫉妬、愚痴を現しており知性と慈悲が欠けているからと云われています。
また、境内にはウロになった木が目立ちます。
こちらは中に入れる木。
こちらは龍の通り道だという木。
お金が突き刺さって、痛そう。。
そんで、こちらは龍が見えるという木。
う~ん、、、
イターっ!
また、社名と、朝日に弱い人喰い鬼の伝承から、鬼滅聖地としても有名なんだそうです。