国津神社

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あの壱岐島に、謎の生物はいたっ!!

これが桐彦氏が目撃した時の、車載カメラの映像だ!

おわかりいただけただろうか。

もういちど。

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いやぁまさか、壱岐の古代龍「イッキー」に出会うとは思わなかったよね。辰年だけに。

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いつもは壱岐島は日帰りコースの僕ですが、今回は奮発して一泊取ることにしました。
温泉宿も捨てがたかったけど、今回はお魚メインで宿をチョイスしました。

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鮮度の良いお刺身、サイコー♪

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サワラの包み焼きと、

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アナゴの梅肉包み天、サイコー☆

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お腹いっぱい、ごちそうさまでした。

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朝食もまあなんというか、このコメ泥棒め!焼きたての”開き”だけで、三杯はイケてまうやろがい。

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そんな、ダイエット中の僕をリバウンド気味にリセットしてしまう「網元」さんの向かいの沖には、「小島神社」の鳥居が見えます。
ここは干潮でも、渡ることはできなさそうです。

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壱岐の西の玄関口、郷ノ浦港の対岸に、弁天崎公園があります。

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そこには、「市杵島神社」が鎮座しています。

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海に向かって立つ鳥居。

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海側から見た図。

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社殿はハイカラで、

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賽銭箱は斬新なデザインとなっています。

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弁財天としての市杵島姫が祀られているのでしょうね。

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境内に祀られた何かたち。

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境内の外にも、何かお祀りされていました。

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丸みを帯びた石が御神体。

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供えられたお米からは、ほのかな発酵臭が漂っていました。

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さて、この辺に「牛石」なるものがあるそうですが、

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これは違ったか。

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ああ、あったあった。

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確かに、プリケツのお牛さんですね。

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この辺りは、縄文時代の鎌崎遺跡に指定されています。

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Googleマップを眺めていると、郷ノ浦の西の方、渡良浦に「和多津美神社」という名前を見つけたので、ご挨拶に向かうことにしました。
すると、道中立派な鳥居を見かけました。

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扁額には「国津神社」とあります。

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そこから細い道の先に階段があり、

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その先にはシックな境内がありました。

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当社は、旧渡良村の氏神で、壱岐二四座の一つに数えられます。

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元は「荒波加大明神」、「青波加大明神」。または「蓬の宮」(ふつのみや)と呼ばれており、

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この「蓬」を「布都」にかけて、この神社は「物部布都神社」ではないかとも考えられています。

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社殿の屋根には、気になる三つの丸。これは星か。

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本殿を見てみれば、

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ああ、やはり星を示しているようです。ということは、オリオンの三つ星なのでしょうか。

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徳島の天磐戸の石灯籠の三つの丸も、星なのでしょうね。

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社殿の両端には、随神さんがいらっしゃいます。

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本社祭神は、「足名槌命」(あしなづちのみこと)、「手名槌命」(てなづちのみこと)、「奇稻田姫命」(くしいなだひめのみこと)の親娘神。
それになぜかフツヌシではなく、「武甕槌」が配祀されています。

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当地には、13代成務帝が異国を征伐するために、阿倍・鳥海の2氏を派遣した話が伝わります。
彼らは8万余りの船を率いて、渡良の港に到着しました。
このとき、「ニ韓を征伐が成就し、無事帰ることができたら、当地に鹿島神を奉る」と、祈り、誓いを立てたといいます。
そして二韓から無事に帰った阿倍・鳥海の2氏は、鹿の峰に社を建て、鹿島神として「荒波加大明神」を祀ったのだということです。

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しかしなぜか、その後、神社の前を通る船がことごとく破損しました。
そこで、社を船の見えないこの場所に移し、社名を武甕槌の荒御魂である「青波加大明神」と改めることにしました。
それからというもの、渡良浦の近海を航行する船は帆を下げて、神に敬意を表わしました。これをしない船は、神罰が下ったということです。

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本殿の横には

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謎の石が置かれていました。

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これは「甕石大明神」と呼ばれる石です。
むかし、この辺りの浜に、沖から甕が流れつきました。それを拾った男が、甕を沖につき放すと、すぐにまた戻ってきます。
「この甕は、神様に違いない」と考えた男は、社の傍らに埋め、その上に石を置きました。

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江戸時代前期の延宝4年、神道家「橘三喜」(たちばなみつよし)が、この甕を掘らせると、矛、鏡、菊花石等が、甕のなかに入っていたといいます。
三喜はこれを神殿に納め三宝とし、甕は元のところに埋め戻し、再び石を置いたとのことです。

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ただし、橘三喜は、全国の一宮を参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』として著するための巡詣の中で、壱岐島の各式内社の比定を行っていますが、それがかなり強引な付会によるもので、色々と物議を醸し出しているのが現状です。

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国津神社の境内の左手に、庭が設えてありました。

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この木の神々しいこと。

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根元の石は設えたものか、元からあったものか。

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そこにある境内社は、『式内社調査報告』によれば、「天道社」(石祠:素盞嗚尊)、「地神」(石祠:埴安命)、「今社」(三富源三郎)となっているそうですが、

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出雲もある系?

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いろいろ盛り感ある国津神社。

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異国を征伐に阿倍・鳥海の2氏を派遣した13代成務帝は、神功皇后のダンナです。
壱岐は神功皇后の二韓征伐の伝承地であり、2氏は皇后に追従したということでしょうか。
当社創建の由来には、神功皇后の二韓征伐の折、当村の鹿ノ辻に立ち寄った時、霊験があって神殿を造った、というものもあり、明治の神社改制までは祠官二名を置いて隆盛していたとのことです。

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渡良浦の港に着きました。
小崎港という、小さな漁港です。

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ノスタルジックな集落の一角に、

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「和多津美神社」がありました。

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扁額にエビスさんがいらっしゃいます。
このパターンは珍しい。

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祭神はエビスさんではなく、「和多津美命」。まあ当然ですが。
他、「岡象女命」と「速秋津日命」の水神を祀ります。

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そして、これ。オリオンの三つ星、筒の神でしょうか。
ワダツミの神も住吉の神も、元は秦族の神なので、アリといえばアリなのか。

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由緒によれば、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に長戸国から連れてきた人にを軍船の錨を作らせ、帰国後、その労をたたえ小崎浦に住ま わせ壱岐島周辺の地崎、海面の鮑や魚類の専漁権を与えたとのこと。
以後はこの浦を天領として明治時代まで税を免じたということです。

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和多津美神社から次の目的地へ移動していると、気になる石積みが目に止まったので立ち寄ってみました。

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するとそこには神社がありました。

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扁額には、「大神宮神社」とあります。

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森の雰囲気はなかなかですが、至って普通の神社の様子。
しかし壱岐で大神宮神社を検索してみると、ざっと10社ほど鎮座していることが分かりました。

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なんじゃこりゃ。

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