
静岡県静岡市葵区弥勒の道の真ん中、弥勒緑地に「由井正雪公之墓址」が建っています。

そばに安倍川が流れており、かつてこのあたりの河原が処刑場で、慶安の変で正雪の首が晒された跡だという話があります。
彼の親類や仲間など、40名以上が処刑されました。

また、正雪が、駿府町奉行所の捕り方に囲まれ自刃した場所だとも伝えられ、梅屋太郎右衛門宅があったのが、ここだったのかもしれません。
石碑は明治期に建てられたもののようです。



静岡市葵区沓谷にある臨済宗「菩提樹院」、

そこに、由比正雪の首塚とされる塔が建っています。

境内には、凛々しい由比正雪の像も建っています。

この像は、さる息子さんがモデルとなっているのだと、正雪紺屋の奥様が話してくださいました。
つまり、由比正雪の人物像を正確に伝えるものではないということですね。

実際彼のことは、不自然なほどに何も伝わっていません。

その奥にあるのが、由比正雪の首塚です。
『由比正雪と薄明の月』を書き始める時と、書き終えての2回、参拝しました。

首塚はかつて、常盤公園の位置にありましたが、大戦の空襲で焼けた菩提樹院の移転に伴って、現在地に移されています。
当院では、由比正雪のさらし首は、縁者の女性が盗み去り、埋葬したと伝わっています。

彼の辞世の句は
「秋はただ 馴れし世にさへ もの憂きに 長き門出の 心とどむな 長き門出の 心とどむな」

秋とはいえ、慣れた世にさえ哀しさを感じるだろうが、君は大丈夫。死の門出に、心を留めないでおくれ、朝近。
