先日、『偲フ花』の「波波伎神社」の記事で、このようなコメントをいただきました。
「神社関係者です。
CHIRICO様のおっしゃる通り、もう限界です・・・
なんとか打開策を模索しているのですが空回りばかりです。」
切実である。
僕は、出来たてホヤホヤ金ピカ絢爛豪華な神社よりも、侘びた風情の神社の方が好きなのですが、侘びているというよりも、ただ荒れているだけという神社を見かけることがあります。
全国の神社を訪ねてみると、こういった神社は決して少なくなく、それが実は重大な問題となっています。
ネットで軽く検索してみても、この問題に関する情報が山ほど出て来ます。
神社の社殿や境内施設を維持するのは、たとえ小社であっても莫大な費用がかかります。宮大工も減ってきて、費用も鰻登り。しかし逆に神社は氏子や神主も減っており、費用の工面がかなり厳しいことになっているのだそうです。大きな神社であれば、国や神社本庁から多少の補助が出るのかもしれませんが、小社ではそうもいきません。神社は宗教法人なので、基本的に行政からの助成金は受けられないのです。あの京都の下鴨神社でさえ、境内の糺の森の一部にマンションを建て、その費用を式年遷宮の費用に充てているほどです。
数年のうちに何百という神社が消失し、20年程のうちに4分の1の神社が失われると言われています。
神社は日本人の魂ともいえ、歴史の証人でもあるのです。小社にも歴史の痕跡が刻まれており、簡単に失って良いものではありません。戦後の自虐史を押し付けられて散々な今の日本ではありますが、誇り高い往年の歴史を失えば、我々は本当に惨めな未来を、子孫に残すことになりかねないのです。
過疎地に鎮座する神社は、多くが兼務社になっています。兼務社というのは、一人の宮司が複数の神社の宮司を兼務している状態を指します。兼務社が20ヶ所を超える場合も少なくはなく、50ヶ所の神社を兼務する宮司もいらっしゃるとのことです。
これでは、年に一度の大祭を賄うのも難しいと言えます。
個人的には、大きな神社がやたら商売っ気を出しているのは、人のいやらしさを見るようで好きではありませんが、そうも言っていられない現状があります。
人の興味を惹く御朱印を作成したり、クラウドファンディングで呼びかけたり、ホームページを作成したりSNSを活用したりと、さまざまな努力をされている神社関係者の方々がいらっしゃいます。しかしそれが功を奏するとも言い難く、僕自身、本業の美容室運営でさえ苦悩していますので、そのご苦労が偲ばれるところです。
明治時代には「神社合祀令」が施行され、複数の神社の祭神が一つの神社にまとめられて、神社の数が大幅に減らされました。1906年の勅令によって進められたこの政策で1914年までに、全国に約20万社あった神社の7万社が取り壊されたといいます。
この弊害として、南方熊楠は次のように語っています。(神社支援の基礎知識:石井総合研究所サイトより)
「合祀は村民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する」 神社が抱える広大な森林域は境内を散策することで住民の慰安となっている。
「合祀は土地の治安と利益に大きな害となる」 天災の際には避難地となり、また境内は子供たちの格好の遊び場である。森林を伐採したことで水が涸れたりするなどの事例も報告されている。
「合祀によって史蹟、古伝が滅却されてしまう」 神社を打ち壊すことで、そこに伝わる古い事歴・古文書・民俗学上の古伝・祭儀上重要な資料などが失われ、国宝級の古物珍品も散逸し、学術研究のうえから大いに支障をきたす。
「合祀は天然風景や天然記念物をも亡滅させてしまう」 古来、神社の森にはその土地固有の自然林を千年来残している者が多く、そのうえ、それら自然林には珍種の植物も自生する。
僕は、神社の大元は自然崇拝と先祖崇拝なので、仮に社殿が失われようとも、そこにある神聖さは失われないと思っています。神社という形がなくなったとしても、神にとっては問題のないことです。問題があるのは、私たち人間の方なのです。
神社の存在には、さまざまな価値・機能がありますが、何よりも大切なのは、日本人の「こころ」と「魂」がそこにある、と言うことに尽きると思います。
物心つく頃から子供の遊び場であり、人生の岐路に誓いを行う場であり、子が生まれたら感謝と成長を願う場であるのです。
日本人は無宗教だと勘違いされるほどに、当たり前に生活に溶け込んだ宗教、心の支え、道徳美徳の要、その目印が神社であり、日本人が誇れる「こころ」と「魂」の源としての形なのです。
目に見えて減少する日本人の人口ですが、そこに日本文化に理解を示す外国人の力を借りることも多くなると思います。
祭りを行うには、氏子だけでは足りず、一般の人に参加を呼びかけるところも増えました。
中には女性禁制を解いた祭りもあります。
時代の流れの中で、変えていかねば維持できないものも増えてくることでしょう。
しかしそれと同時に、聖域を侵す者、社殿に火を放つ者なども少なからずいます。やはり日本人の聖域は、日本人によって守られるべきなのです。
政治家や神社本庁も、この問題を無視しているわけではないのでしょうが、おおよそ頼れるものではないのが現状です。
急務が求められる問題ですが、僕らに今すぐ何ができるのか、難しい問題でもあります。
そこで、とりあえず大きな神社ばかりでなく、小さな神社にも足を運ぶことを僕はお願いしたい。
お供物やゴミは残さず、できれば簡単な掃除くらいは心がけて、聖域を穢すことなく少しでも多くの足を運ぶ。
そこで得た経験をSNSなどで発してもらえれば、さらに志を同じくする人が増えてくる。
神社へ通う人が増えれば、草むらにも道ができ、そうすることで、神社は少し息を吹き返すのではないでしょうか。
これまで見過ごされがちだった、小さな社、石祠、石碑などにも、先祖の歴史・こころがあるのだと知る、豊かな旅のご提案。
この『偲フ花』が、そうした”みちしるべ”となるのであれば、幸いです。
五条桐彦
波波伎神社のハハキの由来が気になり始めました。
アラハバキ信仰からのハハキ、古語でハハは蛇のこと、母木、宝木でハハキ。これらは大元出版シリーズでなるほどと思いました。
伯耆、とくに淀江などの鳥取県西部や出雲郷に荒神さんとしてよく残っていますが、御神木に藁蛇がよく巻き付いて祀ってありますよね。波波伎神社にも昔は盛大に祀ってあったらしい。。ハハキ。。この荒神、荒木、アラガミさんのアラが安羅からきてないか、と最近思うようになりました。調べてみると。。
安羅国、アラは安羅(あらき)と称し、荒木、新木(あらき)とも書くそうで。。また、安羅国(安耶)の漢(あや)族は大和国に渡来して、(後の坂上氏?)居住地を母国の今来郡を地名にしたとか。また、出雲国意宇郡出雲郷は、大ノ国の渡来地にて、意宇(おう)郡と地名を付けたという説もあり、出雲口伝とはちよっとこれらは違いますが。。でもこれはコレで面白い記事でした。
揖夜神社にも最近再訪しては感じるのが司馬遼太郎氏も気づいた阿羅伽耶の存在です。
そういえば出雲郷はアダカヤと読むし、安那迦耶とか安羅伽耶なのでは?阿陀加夜努志多伎吉比売命を祭る阿陀加夜社もあるし。タギキヒメは木俣神?これは下照姫と同一神??この女神はなんだか天日槍や新羅と関係しそうだし、比売許曽神社のアカルヒメにも関係しそう。。一説によると安羅(安那)の迦耶人である阿陀族はこの地から、武蔵国へ移住し、そこをを阿陀地(足立)と名付け、領は武蔵国造となったとか。。
また、日吉津にカヤシマ神社があり、蓬莱島のような池に浮かぶ祠があり、祭神はほんとは高照姫なのではないかとか下照姫なのではとか、鳥鳴海神とか、かなり深堀りしたくなります。そして伽耶=カヤがつくところにナルミあり、米子市にもアダカエ神社がナルミ地区にあります。兎にも角にも、朝鮮半島なんです。阿羅伽耶で頭がいっぱいです。
高句麗?新羅、百済からも迫害されて伯伎に逃げ、出雲族はそれを助けたのではないでしょうか。出自も関係しそうですし。。
さらに、ハハキとは、ハフキとも言って、古語でたたら製鉄、鉄、フイゴの由来もある。製鉄をもたらしたのは。。伽耶から渡来した人たちなのでは。。。伽耶は鉄の大量生産地。コレを巡って逃げた伽耶の人たちは受け入れてくれたホウキの国や近くの安来にたたら製鉄を伝授したのでは???
波波伎神社の由来。八重事代主さまの伝承に加えて、本当はもっと深く、その上、古代はこの伯耆の国では最も重要視されていた一の宮だったのではないでしょうか。
また、松江に阿羅波比神社あり、少名彦、大巳貴命が祭神。阿羅でハヒ、ハハ。気になる。ついでに古事記に出てくる波比岐神や阿須波神、全然関係性なさそうな農耕の神様、私には、最近それが時系列的には全く合ってないけれど八重事代主とアジスキタカヒコに思えてくる始末。事代主=ハハキ神なんじゃないのー?なんて思えてきて。でもそうなると。。と、と、渡来系になってしまう。。少名彦が海から渡ってきた光る神様にほんとになってしまう。
ハハキは深い。だから波波伎神社は存続に値する色んな可能性を持った大切なお社だと思います😊
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🐥日本人は無宗教…この台詞は日本人には痛い言葉。実際、日本人には確たる神由来の道徳観も無く、ただ”拝めばいい、祈ればいい、賽銭投げればいい”というような風潮があるのです🐣日本に宗教の”教え”というものが欠けているが故に、外国人から日本人は無宗教だと言われ続けてしまうのです…🐤
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僕は他国から無宗教だといわれるのは良いことだと思っています。日本人にとって神様は、日常の全てに溶け込んでいて、あまりに自然なのです。かといって、無信心なのではなく、むしろ日本人には確たる神由来の道徳観しかないと言えるくらいです。
ただ、近年の欧米主義の思想や教育で、若者の意識は薄らいでいるかもしれません。それでも、本質的には彼らも分かっていると思います。半島あたりから渡って来た人たちの血筋は知りませんよ。
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🐥拝んでいるだけなのに、何処に道徳観があるというのですか🐣
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日本人は至る所に神が在るのを無意識に感じ取っていますので、悪さに対する罪悪感に敏感です。海を渡って来た人達はしりませんが。
なので最早、信仰の対象としての偶像は必要ないのです。偶像を必要としているのは、むしろ偶像崇拝を禁じている国の人たち。
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🐥神道の真髄…それは直ぐなる心。何事も素直に受け取る心があれば、自然と悪い事をしない筈である…だが、日本人が直ぐなる心を持っていたのは、一体いつ頃までの事だったのか🐤正直では無い、素直では無い、心が清らかでも無い日本人に真の道徳観があるかどうかは疑問なのです🐣
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まだありますよ。意外に清らかなものです。
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🐥ど…どんな風に🦑
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青空を流れる雲のように☁️☀️☁️☁️
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CHIRICOさま
私のコメントを早速取り上げて頂きありがとうございます。
なんとか維持させていきたいと考えています。手遅れになる前に・・・
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Xの方にも投稿しているのですが、そちらでも注目を浴びているようです。
あと、神奈川の江ノ電沿線新聞に各月でコラムを掲載させていただいているのですが、次の投稿は今回の問題もふくめ、波波伎神社を紹介したいと思います。
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よせふさん、こんにちは。
先にもお伝えしました、私が各月でコラムを掲載させていただいている神奈川の江ノ電沿線新聞、その4月号に、波波伎神社の記事掲載が決まりました。江ノ電沿線新聞社さんも、とても共感頂いております。
ささやかなものではございますが、ぜひとも聖地をお守り続けて頂けるよう、願っております。
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CHIRICO様
ありがとうございます。
波波伎神社についての情報を整理しておきたいと思い、勉強会を開催しようと目論んでいます。地元の人々に、もっと興味を持って貰いたいですね。
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たくさんの参加者で盛り上がると良いですね。
当ブログには、島根鳥取方面の来訪者もいらっしゃいますので、勉強会の情報などもご紹介させていただきますよ。
ただ、私の研究する富家伝承は、もちろん真実の歴史に一番近いと信じるものですが、一般の神社界では容認されにくいものでもあります。その点、ご了承ください。
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お隣の米子に住む者です。波波伎神社へは2回参拝させて頂きました。どのように自分がお役に立てるのか思案中です。私は出雲源氏ルーツらしいので、八重事代主さまと、それを崇めていた大彦が物部の祀り方に恭順しないと覚悟を決めたその波波伎神社だけは守られて欲しいと願っております。
松江の観光協会の方や美保神社の御穂須須美命に光を当てようとされてる方々の動きは素晴らしいです。何かこう、鳥取県西部中部はそういう動きが消極的なような気がしてきました。
何ができるかわかりませんが近くまた参拝させて頂きます。ずっと階段のところとか、手水舎のところとか気になっておりました(T_T)うちの近所もそうですが、高齢化している自治体が多く、こないだ自治体の災害時の緊急避難を考える会に参加したのですが、一人暮らしで一人で避難できないご家族が結構あることに愕然としました。動ける私達が助け合いマップを作ってなんとかしようとやっと福祉協議会の人たちの助けを借りて動き始めました。
それと同時に近所にある、守らなければならないお社。こちらは幸い綺麗に維持してきています。
波波伎神社のことを私も地元で発信していこうと思います。実はずっと気になっていました。能義郡の方のお社もです(T_T)
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お隣り米子から、勉強会なるものあらば、是非とも行かせて頂きます。運営のこと存続についてのことも、私の職場には倉吉方面の方が結構いらっしゃるので、お話しようと思っています。先日は冨家の聖地、冨村の富神社の氏子募集のチラシを見て、出雲方面の同僚に話ししたら行ってみるとのことでした。こんな風に微力ながら小さな発信を続けていきます。
実は私のこの趣味は、職場でカミングアウトはしてこなかったのです。しかし、天之冬衣さまを祀る数少ないお社、能登半島の重蔵神社が被災したことを知り、ニュースで発信の放射線連鎖が繋がり、復興の糸口になることもあるかもしれないと気づいて以来、カミングアウトし始めました。
また、情報お待ちしておりますm(_ _)m
ありがとうございました。
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出芽のSUETSUGUさま
はじめまして、よせふと申します。
暖かいコメントありがとうございます。
実は私は、数年前まで特に信心深いわけではなく、関心も持っていませんでした。ところが数年前、持回り順で神社評議員になり、依頼され今年から理事となりました。
それまでは「神社はそこにあり、永遠に続くもの」「神社の維持管理は地元の住民がやれば?」「費用はどこかから貰えるんでしょ?」くらいにしか考えていませんでした。おそらく多くの住民はその程度にしか考えていないでしょう。
神社護持会の総会に参加して、予算を見てみると、まさにCHIRICO様が本文中に記されているような状況でした。
私は信仰心は相変わらずありませんが(汗)、波波伎神社の事を調べているうちに「歴史的」「考古学的」「地形・地理・地質学的」観点から謎が多いと感じ、興味を持ちました。
近年、近隣では長瀬高浜遺跡から大集落跡が発掘調査されています。また古代山陰道の調査も進んでいるようです。波波伎神社の由来が福庭古墳と大きく関係するようであれば、長瀬高浜遺跡も大いに関係があると思っています。
とりあえず「勉強会」は、私のような新参役員が地元古株役員の方々から「教えて頂く」、そしていろいろな文献を参考に「照らし合わせていく」機会にして、「最新の知見をまとめ」ようと考えています。まだまだ公開開催するレベルではございません・・・。
また何かありましたらよろしくお願いいたしますm(__)m
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よせふさんこんにちは。
出芽のSUETSUGUです。再訪させて頂き、ふと思いついたことがあり投稿いたしました。
琴浦に寳宮神社という、すごく不思議、かつすごい神聖な森の精霊がほんとにいるんじゃないかという神社があるのをご存知でしょうか。↓
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https://ambassador.sanin-mannaka.jp/220515e/&ved=2ahUKEwjCqNunhPGFAxUTrlYBHZrvAoYQFnoECB0QAQ&usg=AOvVaw35zNF6yBzmQY8YBEgWz0N_
こないだ行ってみてすごく驚きました。神社存続のための工夫に感嘆しました。地元では神崎神社とか有名ですけど、こちらはあまり知られていませんが、行ったらなんじゃこらーと思わずにいられません。
主祭神は八重事代主の息子(記紀には大国主大神の御子とされてますけど)建御名方神です。大国主大神の磐座もあります。
菅原天満宮の天満社もあります。
池に顔を映すと頭が良くなる、とか
お手製の看板をたくさん作っておられました。
結論から言いますと。。
勝手なことを申し上げるようで恐縮なのですが、波波伎神社存続のことを相談したくなるような何かがここにはありました。昨日参拝したときにはここの宮司さんにお会いすることが残念ながらできなかったのですが。。なぜ、地元鳥取県でもあまり知られていないこの神社があれほどの行き届いた管理ができて古来からの雰囲気を保てているのか。一般的には近くの神崎神社に鳥取県民は行きますがこちらにはあまり行かないように思います。なんせかなり行きにくいですし、国道から全く見えませんから。ひっそり感がすごい。でも行けば誰もが驚く。森林浴と自分の魂を浄化しにいくとこだと思いました。正直、誰にも教えたくないと思ったほどです。母木なる樹木だらけです。巨木が30ほど。樹齢も相当です。
説明しようがないのがもどかしいのてすが、なぜ、建御名方神なのかわかりませんが。。とにかく樹木、巨木の保存がすごいのと。。あちこちにこの神社を存続させようという何か念みたいなものを感じました。よせふさん行かれていたらすみません。何かのヒントにならないかとついコメントしました。
波波伎神社と寳宮神社、何か繋がりがあったらよいな、と思いました。
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出芽のSUETSUGUさま
暖かいコメントをありがとうございます。
リンク先のブログを拝見いたしました。
お勧めの寳宮神社ですが、以前近くまで山陰道関係の仕事で訪れたことはあったのですが、存在自体を知りませんでした。きれいに整備されていて、手入れが行き届いている神社ですね。
波波伎神社ですが、とにかく地元住民に興味を持ってもらう事が必要だと思い、神社についての情報をまとめようとしているところです。如何せん、104代続いた神職の船越さんに後継ぎがいなくなり、現在神事は近隣の神主さんにお願いしているような状況なので、なかなか大変そうです・・・
ただ、総代さんにも了解を取りましたので、堂々(?)と「波波伎神社関係者」を名乗って調べていきます(笑)
私個人的には、本殿下の大きな一枚岩が気になっているところです(本職は地質屋なので・・・)
寶宮神社をご紹介頂き、ありがとうございました。ぜひ近いうちに参拝したいと思います。
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104代、すごいですね。今上天皇で126代ですから、創建当時から続く家柄なのかもしれません。後継がいないのは誠に残念です。
本殿下に一枚岩があるというのは、磐座の上に建っているのかもしれませんね。そういった神社をいくつか知っています。
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五条様
いつもお世話になっております。
神職の船越氏は伯耆国造の子孫のようです。波波伎神社の北北東1.2㎞の丘陵地に『日下山城跡』があり、そこの城主が何代目かの神職である船越重敬で、天正7年(1579年)吉川元春によって攻撃されたとのことです。
一枚岩は、本殿下の礎石として使用されていますが、厚さ0.3m以上で縦横3.3m程度に成形されていますので、当初はそれ以上の大きさであったと思われます。福庭古墳の蓋石(?)と言われる方もいらっしゃいます。
他の磐座の上に建っている神社をお教えいただけますでしょうか?探してみたのですがわかりませんでした・・・。
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すぐに思い浮かぶのは、名古屋の物部神社と、大阪摂津の三島鴨神社でしょうか。三島鴨神社は表立ってはアナウンスされていませんが、そう言うことらしいです。
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五条様
早々のお返事ありがとうございます。
名古屋の物部神社と大阪摂津の三島鴨神社、参考にさせて頂きます。
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よせふさん、返信ありがとうございます。
せっかくコメントして頂いていたのに、すみません、今まで気がついておりませんでしたm(_ _)m 実は通信障害で私のが届いてなくて載ってないと思い込んでおりました。
寳宮神社のマップが境内に置いてあって、可愛らしいのと福の木の上のところになんと、木彫りの可愛いフクロウが探したらあったりと。。恐らくお若い方たちの協力の手が入ってるのを感じました。
そうですね、よせふさんの仰るように、まずは地元の人に知ってもらうことからですね。一枚岩が本殿下から!
アホな私はサン・ピエトロ大聖堂とか、連想してしまいましたが(ほんとアホ)
一枚岩って、一枚岩の上に建っているってことは、地震に強いってことなんじゃないでしょうか?
あと、参拝を地元の人や観光客にして頂くにはどうしたらいいのかなと、勝手に妄想したのですが。。
美保神社と両参り(いまは出雲大社とですけど)的なことを、今度観光協会のガイドさんにちょっと聞いてみようかな。。と思いました。島根県と鳥取県で難しいかもしれませんけど。。事代主繋がりでパンフレットを置く、くらいならなんとかならないでしょうかね。。。
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出芽のSUETSUGUさま
コメントありがとうございます。
>サン・ピエトロ大聖堂とか、・・・
→私もまずそれを連想しました。無いことはないかと。有れば大発見!とも(笑。
>事代主繋がりでパンフレットを置く、くらいならなんとかならないでしょうかね。。。
→参拝者に対しての施設・設備が何もなく、パンフレットを置いておいても雨ざらしになってしまいます。次の護持会で提案してみます。
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こんにちは よれ と申します。
先日の南宮大社でのコメントでは失礼いたしました。
CHIRICOさんのお仕事の事情を失念しておりました。
確かに平日に旅をすると「ありゃーここ休みなのかー」ということに遭遇しますね。
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>この『偲フ花』が、そうした”みちしるべ”となるのであれば、幸いです。
『はい、全くその通りで、感謝しております』ということをお伝えしたく、再度書込みしました。
3月に「国譲り神話(天の逆手まで)」をテーマに「出雲大社・鰐淵寺・美保神社」を訪ねる旅を計画しています。
が、いろいろオマケが増えて、八上姫/木俣神もテーマに加わったので「倭文神社」や「御井神社」なども訪ねることになりました。
で、そんなことを考えていたタイミングでこの記事がアップされたので「波波伎神社」もぜひ訪ねたいと思います。
これからも楽しみにしております。
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よれ様 はじめまして。波波伎神社の関係者です。
波波伎神社ご参拝をご予定とのこと、ありがとうございます。
なお、神社周辺は生活道路が狭く、専用の駐車場もありません。お車でお越しの際には、福庭公民館にお停めください。神社鳥居から西側200m程度の地点にあります。
それではお気をつけていらしてください。
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よせふ様
ありがとうございます!
google mapを見て「福庭公民館」に車停めてかなー と考えていたところでした。
駐車場所のご公認をいただき感謝です。
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CHIRICO様
「テーマのある旅」は、平成が終わる頃に「元伊勢ツアー」に行ってからハマりました。
最初と最後が大変でしたねー。
(最初:大神神社のお山へ上がる、最後:平成最後の日に伊勢神宮参拝(朝5時下宮到着からスタートしましたが、参拝する人の数がとんでもないことになっていました))
当然ながら「んーどこに車停めたらエェねん?つか、この神社どこやねん?」みたいな場所がたくさんありました。
かつ、現在の住まいである京都の町中のマイナーな寺社仏閣だと、自宅からは近いけど「近くにコインパーキングあるかいな?」と必死に探すわけで。
(自転車で行く、という手もありますが 笑)
都会よりは、郊外の住宅地にある寺社仏閣のほうが車で行くにはありがたいロケーションだなぁ、とつくづく感じております。
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よれさん、コメントありがとうございます。
月曜に休みがかぶるのは、よくあることでして😅
テーマをもつと、旅は深みを増しますね。神社を旅すると、「呼ばれた」という経験をしたという話をよく耳にします。僕もそんなことがありました。
波波伎神社は個人的にはとても心地よい神社でした。木のトンネルの参道や古墳のある森など、少々鬱蒼としていますので、参拝は晴れた日の方が良いかもです。しっとりとした日は少々怖そうですが、激渋な写真が撮れそうではあります。
よせふさんがコメントを寄せてくださっておりますが、おっしゃるように狭い住宅街なので、駐車場所は少々難儀します。お気をつけていってらっしゃいませ。
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あ、神社総代には、まだ相談していないので、了解してもらえるまでは、あまり身バレしないようにしたいと思います・・・m(__)m
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