京都伏見の大岩山にあると言う、「大岩神社」を訪ねてみました。
僕はレンタカーで、Googleナビの指すままに来てしまったので、裏参道にたどり着いたようです。
本来は下から歩いて登ったほうが撮影スポットもあるようで、今回は中途半端な記事であることを申し上げておきます。
ここでもまた、これから多く直面するであろう、神社の問題を垣間見ることになりました。
当神社は公共機関でのアクセスも良く、知る人ぞ知るミステリースポットとして、近年にわかに人気が高まっているようです。
検索をかければ、確かに雰囲気のある写真と共に、たくさんの体験レポートが出てきますので、そちらを参考にされたほうが良いでしょう。
当社の由緒などは、とある火災で消失したそうで、ほとんどわからないのだそうです。
それでも、古くから結核などの難病に霊験あらたかとされ、遠方からも多くの参拝者が訪れていたとのこと。
奇妙な鳥居がありました。
これは日本画家の「堂本印象」が寄進した鳥居だとのことですが、こちらは裏参道ですので、麓から登ったところには、このひとまわり大きく立派な鳥居があるそうです。
そこが大岩神社の最大の見どころとなっています。
なるほど、と思い、僕は表参道側を下ろうとしたのですが、
ご覧のように、ひどい荒れように、心が痛くなり、やめました。
多くの神社が抱える問題として、神職の後継問題があります。
大岩神社もすでに常駐の神職が不在の状況が長く続き、無人の廃神社となっていました。
そこへ台風の被害などもあり、倒壊した鳥居や石碑が、そのまま放置されているのです。
大岩神社を崇敬する有志の方々によって、なんとか境内の維持活動は為されているものの、無惨な状況です。
僕はそれを、ミステリアスだとか、異世界のようだと言って、楽しむ気持ちにはなれませんでした。
城のような石垣は残り、
本殿はなんとか無事に建っています。
社殿は二つあり、大岩・小岩大明神の扁額があったように、背後に大小二つの磐座を祀っています。
伏見にあるということから、伏見稲荷神社と関連して、後世の修験者によって祀られた神社ではないかと思われますが、よくわかりません。
新興宗教的な雰囲気を、感じなくもないところです。稲荷社は難しい。
山頂に大小二つの磐座があるということは、古代にサイノカミが祀られていた可能性はあります。
本来の信仰は自然崇拝であり、人工物は後世に作られた余計なものではあります。
人が聖地をそれらしく見せるため、またはそこが聖地であるという目印のため、社殿を建てるのでしょう。
だから、それがなくなっても構わない、と僕は心のどこかで少し思っている部分があります。
しかし崩壊して放置された人工物というのは、もはや神にとってはゴミでしかない。
勝手に祀ったんだから、祀りやめるんなら片していけよ、と狛犬さんも苦笑い。
壊れたソーラーパネルも放置なら、壊れた神社もそのままというのは、なんとも後味が悪く、古来の神様に対して人間の一人として後ろめたい思いです。
これだけたくさんの神の名を記す石碑が祀られているのですから、それだけ信心する人たちがいたはずなのですが、彼らはどうしてしまったのか。
老いて亡くなったのだとしたら、後継に託すか、それができなければ死ぬ前に撤去すべきではないだろうか。
やりっぱなしになるくらいなら、神など容易に祀るものではない、と僕は思ってしまいます。
再建を望み、頑張っていらっしゃる方々に、僕は卑怯にも委ねることしかしないのです。
ごめんなさい。
元の晴れやかな神社に戻らぬなら、いっそ更地になってしまうことを願うのでした。