伊奈久比神社

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上古、八幡尊神を伊豆山に祭る時、大空に奇しき声あり。
白鶴稲穂を銜え来り、これを澤の邊に落し、たちまち大歳神となる。
その霊を祭りて稲作神となし、田を開きて落穂を植え、神饌を得てこれを祭る。
これ本州稲作の始めにして、伊奈の地名は稲に由来 す。
古は大伊奈といふ。
其の稲を落せし所を穂流川といひ、古跡今に存す。

-『式内社調査報告』

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対馬を北上する途中、目の端に巨岩が映り、思わず車を止めました。

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凄っご。
皺の入った巨岩は、老王のような風格で佇んでいました。
もちろんこれは、磐座と呼ばれる類のものではありません。
よくある巨岩で、対馬ではよく見られる光景です。

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しかしこうした風景に出会うと、思います。
人は、人が祀ったかどうかで「認定」したり、どれだけの信者があったかで「位」を付けたりしますが、先祖神ならまだしも、自然神に対するそれは甚だ不敬なことではなかろうか。

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こうして、誰も祀らなかったであろう岩々にも、およそ人に推し量ることのできない神秘性があるのに、人如きが痴がましい。
その程度の浅はかさ故に、容易に自然破壊に手を染められるのだと思います。

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対馬市上対馬町の「伊奈久比神社」(いなくひじんじゃ)にやって来ました。

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伊奈久比神社は、『延喜式神名帳』に記された式内社です。
『式内社調査報告』に準ずる社伝によると、上古に海神神社を伊豆山に祀る時、白鶴が稲穂を咥えて飛来し、榎田に落とした。稲穂は、たちまち大歳神となって、稲の神として祀られた、ということです。

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『式内社調査報告』では「八幡尊神を伊豆山に祭る時」となっていますが、これは八幡社が後に「海神神社」となって海神を祭神としたので、社伝では書き換えられたものと思われます。

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続いて、大歳神は稲作神として田を開いて落穂を植え、神饌を得てこれを祀ったといいます。
伊奈の地名は稲に由来するとされ、これが本州(対洲・対馬)でも稲作の始めであると伝えています。

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面白いのは、下対馬では赤米を神体とする「赤米神事」があったことです。
これに対し、上対馬ではおそらく白米である大歳神の稲を神体として祀ったとあることです。

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大歳神といえば、元は出雲王国の正月祭の神で、特に西王家の郷戸家(神門家)の足跡にて、祀られている印象です。

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その大歳神の御魂の宿った稲穂を運んできたのが、「白鶴」だというのもまた趣深いです。

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1f1e7-2024-05-24-07-56.jpg𝕣𝕦𝕔𝕙𝕠𝕝𝕝𝕖𝕣𝕚𝕖1f637-2024-05-24-07-56.jpgさんによれば、伊奈久比命の系図は、

八束水臣津野命

赤衾伊能意保須美比古佐和気能命

伊佐我命(櫛八玉=伊勢津彦)

建弥己己命(対馬県主=漆嶋=漆部)

伊奈久比命(対馬の伊奈の伊奈久比神社)



阿比留氏

となり、伊奈久比は郷戸家の血筋であるということになります。

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彼は稲作を当地にもたらしたのかもしれませんが、伊奈久比神社近辺は山中であり、稲作が盛んな気配はありません。
伊奈久比神は、阿比留家の本家に隣接した鹿々本神社で祀られているとのことなので、そちらの関係も気になるところです。

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ところで、伊豆山といえば、長野にもありました。
安曇と伊豆という地名は関連があるのか。

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伊奈久比神社を後にしようとして、近くの森の中に、鳥居があるのを見つけました。

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小さな社があります。
対馬では、こうしたひっそりと祀られる社が、多く見られます。

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2件のコメント 追加

  1. 匿名 より:

    narisawa110

    私の住んでいるところは伊那郡であります。昔から物部の関連する領地の様なものが古くからあったそうです。

    天竜川西側から天竜川の方を見下ろすと、今でも果物よりは水田が多いです。

    いいね: 3人

    1. 五条 桐彦 より:

      イナクイと伊那郡が繋がりますか!

      いいね: 1人

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