奈伎良比賣神社:常世ニ降ル花 由良朗月篇 05

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日の出とともにチャリを漕ぎ出し、最初にたどり着いた場所が、海士町大字豊田の「奈伎良比賣神社」(なぎらひめじんじゃ)でした。

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鬱蒼とした中にも、穏やかさを感じさせる神社です。

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延喜式の式内社で、祭神の「奈伎良比賣命」(なぎらひめのみこと)は、宇受賀神(うずかのかみ)と比奈麻治比賣(ひなまじひめ)の間に生まれた御子神とされます。

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創建は不詳で、元禄16年(1703年)の『島前村々神名記』には「柳井媛大明神」(やないひめだいみょうじん)と記されていました。
この柳井姫が、例の宇受賀神と比奈麻治比賣の間に授かった姫神であると伝えられています。

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ところが、柳井姫の別名で、社名にある奈伎良比賣には、もう一つの伝承がありました。

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奈伎良比賣は遥か昔、伊予の国(愛媛)から船出し、日本海に入ったところで嵐に遭いました。
そこで、彼方に見える灯し火を頼りにたどり着いた場所が、海士島(あまとう/中ノ島)だったのです。
比賣は海士の住民に温かいもてなしを受け、豊かに稲が実るこの場所を「豊田」(とよだ)と名付け、産土神としてこの地に鎮まることにしたのだということです。

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古びて神々しい社殿。

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美しい鶴の彫刻が、姫の御姿を象徴するかのようです。

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境内には機雷の姿も。
国境の島には、壮絶な歴史もあったことでしょう。

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越智族とゆかり深い伊予国、そこの姫が「海」の島に辿り着き、「豊」と名付けた。なんと意味深いことでしょうか。

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元禄16年(1703年)の『神名記』によれば、「奈伎良媛神社、阿波奈伎、阿波奈美命別號」とあり、天保4年(1833年)の『隠州風土記』にも同様に記載されているとのこと。
阿波奈伎・阿波奈美とは、阿波国のイザナギ・イザナミなのでしょうか。
朝露に濡れる豊田の奈伎良比賣は静かに佇み、鳥たちの求愛の声だけが、辺りに響いていたのでした。

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