
大阪府和泉市仏並町に鎮座する「男乃宇刀神社」(おのうとじんじゃ)を訪ねました。

小高い丘の上に神社があります。

おのうとって、変な名前。

これは「男乃」(おの)が兄、「宇刀」(うと)は弟の意味で、兄・彦五瀬命と弟・神日本磐余彦尊を祀っていることに由来するのだとか。

式内社として記される男乃宇刀神社は二座あり、一座は当社で彦五瀬を、もう一座はかつて下ノ宮があり、神日本磐余彦を祀っていたようです。

趣のある割拝殿の先には、

さらに拝殿が。

当社主祭神は「彦五瀬命」(ひこいつせのみこと)、「神日本磐余彦尊」(かむやまといわれびこのすめらみこと)、「五十瓊敷入彦命」(いにしきいりひこのみこと)。

由緒によると、彦五瀬は東遷の際、生駒山で長随彦との戦いで矢傷を負い、当地の豪族横山彦がここに迎え駐輦したと伝えるとのことです。

五十瓊敷入彦はこの地を領した縁故によって元慶年間(877~)に奉祀されたとのこと。

五十瓊敷入彦は垂仁大君の子で、石上神宮に1000本の刀を奉納したことで有名です。

さて、当社では毒矢を受けたイツセがここに来たことになっており、生駒山山麓には五瀬命負傷碑なるものもあるようです。
しかしイツセは紀伊川河口で毒矢を受けたのでは?

これはイツセの東征とイクメの東征の話をごちゃ混ぜにした、記紀の話をベースにしているものと思われます。

五十瓊敷入彦が当地を治めていたというのなら、祭神はイクメ(垂仁大君)だったのかもしれません。

ただその割には、境内社に出雲系が多いのが、気になるところです。
