
「五条さん、日本各地に平家の落人伝説というのがあるよね。実はあれ、出雲サンカなんだよ。昔は”俺様は富家だー”といっていた人たちがね、”平家だー”っていった方が箔がつくからと言い始めてね。追っ手の源氏の将校と平家の娘の恋物語とかあるよね。彼らは面白い話を作るのが得意だったんだよ」


椎葉はとても良い。
訪ねてみると分かりますが、椎葉には何もありません。それが良い。何もないけれど、何かがある、それが椎葉。
インなんとかさんたちも、さすがにここにはやってきません。
椎葉村(しいばそん)の人たちも、観光名所をうたってはいますが、誘致にそこまで力が入っていない気がします。それでいい。
インさんたちは来ないでいい。いやむしろ、来るべきではない。
わざわざ海を越えてくるのなら、神話テーマパークの高千穂や、もはや古都テーマパークと化しつつある京都のほうが、有意義な時間を過ごせるはず。
だからそう、椎葉村は、椎葉の良さがわかる人だけが、はるばる訪ねて来たら良い。

椎葉の道は、概ね細い。多くの道が1車線で離合場所も少なめです。通行止めも多い。
最寄り空港は熊本空港または宮崎空港で、空港と村内を直接結ぶ公共機関はありません。
村内および周辺市町村ともに鉄道は存在せず、唯一の公共交通路線がJR日向市駅から椎葉村へ向かうバス1路線のみ。
それも旧道の過酷な狭道をひたすら走り、94のバス停を通過して3時間後にようやく辿り着く、そんな行程です。

昭和初期まで車が通行可能な道路は存在しておらず、以後は酷道が通じるのみで、平成8年(1996年)になって五ヶ瀬町との境に国見トンネルが開通、国道の拡幅改良工事が行われ、ようやく車での行き来が普通に行えるようになりました。
それでも2車線の道は椎葉村の玄関口たる椎葉厳島神社前までで、そこまでの道でさえクネった山道が続いており、路肩が崩れていたりする場所も少なくありません。
車(軽自動車)があれば、村内を巡ることはできますが、道は良いとは言えず、未舗装の道もまあまああり、しかも端から端まで移動しようとすれば、2時間以上はゆうにかかります。

椎葉村は、岐阜県の「白川郷」、徳島県の「祖谷」(いや)と並んで「日本三大秘境」と呼ばれますが、ここは他の2箇所とは秘境のレベルが段違いであると言えるでしょう。
とにかく大型観光バスが入りにくく、ツアーがとても組み辛い、そんな場所です。
やっとの思いで辿りついた椎葉村、そこから、椎葉厳島神社・那須家住宅以外の観光スポット(かろうじてそう呼べる場所)へ行くのであれば、もれなく酷道を自らの運転で行き着く必要がある、そんな場所にあなたは行きたいですか?
ええそりゃぁ僕だって、もう行きたい♪

椎葉村には数少ない観光名所のひとつとして近年人気の「マチュピチュ」があるというので、やってきましたが、ここまでの行程も大概な道でした。
雨の日に軽くスリップしようものなら、谷底へ車ごとバンジージャンプが楽しめる、そんな道です。

そうして苦労して来てみたけれど、真っ白やん。
椎葉村の気候は標高が高いことから冷涼で、年間を通して多雨の傾向があり、夏から秋にかけては大雨となることが多く、冬の朝晩は氷点下となり雪景色になります。
つまりあなたが意を決して椎葉村への旅行計画を立てたとしても、その日が天候に恵まれる確率は、決して高くないと言えます。
僕は4回椎葉村に来ましたが、うち3回が雨模様でした。
この日も晴れ予報が出ていたので来てみたのですが、ふ~ん雨じゃん。

けれど、さすがにこんな僕を哀れんだ女神が、そっと息を吹きかけてくれました。

Wow、ラヴリー♪
これぞまさしく、椎葉村のマチュピチュ。
こんなときめきがあるのが、椎葉村。
しかしそれも一瞬のことで、マチュピチュはすぐに、白いヴェールに閉ざされます。

僕の愛する「椎葉村」(しいばそん)は、宮崎県東臼杵郡に属する「日本で最も美しい村」のひとつです。
宮崎県の北部、九州山地中央部に位置し、村としては全国第5位の面積を有します。
北西部の国見岳をはじめ、全体が標高1000mから1700m級の山々に囲まれ、谷間を縫うように幾筋もの河川が流れています。
このように非常に険しい地形であるため、可住地面積は村域の僅か4%に過ぎず、川沿いや、山の中腹に点々と集落があるばかりです。
ここにはそんな風景しかないのですが、日本最後の秘境・椎葉村に、それでもあなたは来たいと思いますか?
そうだとしたら、それはきっと、ドクターも治せないという僕の病と同じなのです。



椎葉厳島神社の境内に、立派な建物があります。

「椎葉民俗芸能博物館」です。

椎葉の自然と歴史,四季の暮らしと祈り,民俗芸能などの書物、写真や伝統品などを多数展示する博物館です。

この日はちょうど、『柳田國男と椎葉村』という企画展が行われていました。

日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男の著書と言えば『遠野物語』が有名ですが、それに先駆けて國男は明治41年7月13日から一週間、椎葉村を訪れており、明治42年に『後狩詞記』(のちのかりことばのき)を著しています。
この書物が「日本民俗学の最初の出版物」とされています。

椎葉村来訪当時、國男は椎葉の民家に宿泊し、「中瀬淳」(なかせすなお)村長と村内を巡り、猪鹿の狩猟習俗などを調査しました。
中瀬氏は後日、同村大河内に所蔵している「狩の儀式」を記した巻物を復元し、柳田國男に送っていますが、これが 『後狩詞記』の元となったことは、あまり知られていません。



椎葉村は住民の半分が ”那須姓”と”椎葉姓”なのだといいます。
源氏ゆかりの人が那須姓を好み、地の人たちや平氏ゆかりの人が那須姓を好んで使うのだとか。
「平家落人伝説はサンカだよ」という富師匠の言葉を、僕が疑うことはありませんが、椎葉民俗芸能博物館には那須家に伝わるという、長い巻物の家系図がありました。
そこにはしっかり、那須大八郎宗久の名前もあります。

鶴富姫という名前も、よりによって”富”なわけですから、本当に実在した姫なのか、サンカがつくった架空の人物なのか、考察が難しいところです。

史料としては、戦国時代には鶴富姫の子孫とされる那須氏が当地を支配しており、永禄2年(1559年)、獺野原の戦いでは東直政の求めに応じ肥後に出兵。大河内城主那須兵部大輔武宗、小崎城主那須下野武晴、向山城主那須左兵衛武綱ら130余人が敗死したことが伝えられます。

慶長6年(1601年)、椎葉山三人衆(小崎城主・那須左近将監、向山城主・那須弾正忠、大河内城主・那須紀伊)は徳川家康より鷹巣山管理を認める朱印状を与えられました。
しかし以後、三人衆と他の那須氏(十二人衆)との間で対立が激化。十二人衆は向山城を攻め、弾正忠の子・久太郎、左近将監の孫・専千代が討たれました。
この騒動を収めるため、元和5年(1619年)、幕府は阿倍正之、大久保忠成を派遣して事態の収拾を図らせ、住民1000人が捕らえられ、うち140人を殺害。20人が自害に及びました。(椎葉山騒動)

椎葉山騒動以降、椎葉は天領となり阿蘇大宮司が支配することになりました。
しかし明暦2年(1656年)、阿蘇氏は椎葉山管理を辞退し、人吉藩の預かり地となります。
人吉藩も椎葉を直接統治はせず、向山、大河内、松尾、下福良の四名の庄屋と大河内、古枝尾の二名の横目に山中支配を担わせました。

那須大八郎宗久はさておき、鶴富姫なる姫君は実在だったようで、そこに出雲サンカは関わっていたのかどうか。
椎葉村では、民俗文化史上の大発見といわれる、村内26地区それぞれに舞も囃子も衣装もまったく異なる個性豊かな「夜神楽」が伝承されています。

神楽の中には、猪鹿の奉納や、稗・粟・大豆等の雑穀を撒く舞など、この村で今もつづく狩猟や焼畑耕作の要素が色濃くみられます。
椎葉村の不土野(ふどの)地区では、「シシツリ」という高千穂神社のシシカケ祭の原型のような風習も残されていました。

佐織さんの調べで、桑野内神楽は高千穂神楽よりも起源が古いことがわかりましたが、椎葉神楽はそれと同等か、さらに古い起源をもつものである可能性があります。
椎葉の歴史には謎が多く、僕は此処こそが、桑野内高天原の奥の院なのではないかとさえ、考えているのです。



椎葉村を流れる主流に「耳川」(みみかわ)があります。
宮崎県と熊本県の県境をなす三方山に源を発し、椎葉村の後は諸塚村、美郷町(旧西郷村)を経て、日向市日向灘に注ぎます。

「美々津川」とも呼ばれるこの川は、翡翠のような美しい緑色をしており、曇天の日でもその美しさは損なわれません。

椎葉村中心部、耳川上流側には日本初の大規模アーチダムである「上椎葉ダム」があり、小説家・吉川英治によって命名された日向椎葉湖を作り出しています。
上椎葉ダムは、日本で初めてとなる100m級の大規模アーチダムで、その後の日本の土木技術に多大な影響を与えました。

数々の難工事を経て、昭和30年(1955年)にダム・発電所は完成。総工費約130億円、建設に従事した労働者延べ500万人、殉職者は105名に及びました。
尊い人命が失われながらも、戦後復興期に急増する九州の電力需要を支える上で大きな役割を果たした上椎葉ダムは「土木学会選奨土木遺産」に選ばれ、やがて日本のダム史に燦然と輝く大プロジェクト「黒部ダム」の築造へとつながっていくことになります。
このようなダムの太祖的存在が、椎葉の山深い場所に、あるのです。

上椎葉ダムに付設する上椎葉発電所は、最大9万kwの電力を北九州工業地帯に送電していますが、その発電所の近くにある滝へ、A氏は僕を案内してくれました。

この滝は三段で、全長は70mに及ぶのだそうですが、滝の名前が「落ち水の滝」であり、祀られる神が「郷さん」と呼ばれます。
郷戸(神門)と変若水(おちみず)の名が見えて興奮します。

案内によれば
「古代、欠けまた満ちる現象から月には死と蘇生を繰り返す水”落ち水”があると信じられており、地区の人々は古くからこの滝の水を正月に汲む若水として大事にしています。谷水が涸れないように「ごうさま」と呼ばれる水神様が祀られ、昭和の初め頃までは「ごうさま鷹」が棲みつきこの一帯を見守るように飛び回っていたといわれています」
とのことで、僕の発想もあながち、といったところです。


椎葉村には、美味しいケーキが並んだ洋菓子店や、おしゃれなレストランはありません。
あなたが彼女を口説こうと椎葉デートに誘っても、下手くそなドライブでドキドキさせるくらいしか、効果はないでしょう。

しかし彼女が本物の味を知る人ならば、椎葉デートは最適と呼べるかもしれません。
この日、僕は、「那須家住宅」(鶴富屋敷)前のつるとみ通り入り口にある「よこい処 しいばや」さんで昼食をいただきました。

椎葉村に来たら、ぜひ食したいもののひとつが「椎葉そば」。

希少な椎葉そば粉を使用した「椎葉手打ちそば」はコシも良く、九州らしい甘めのつゆが特徴です。

運が良いと、とうきびめしと椎葉の郷土料理3品の小鉢が付くお得なセットにありつけます。

これぞ椎葉、大自然の恵みを堪能できる幸せが、ここにあります。

そばには、これまた椎葉で採れた卵がついており、つゆに入れて味変も楽しめます。

濃厚な黄身がそばに絡んで、おいしい。

蕎麦湯で最後まで美味しくいただきました。

椎葉村には、椎葉村交流拠点施設「katerie」(かてりえ)が令和2年(2020年)7月に開館しました。

Katerieは『かてーり(椎葉の伝統的な助け合いのこと)の家』という意味で名付けられ、村人たちはもちろん、遠くからここを訪れる人たちとも優しい交流がたくさん生まれることを願い、未来への巣箱のような交流拠点施設を、という思いが込められています。

1Fはテントがあったり、卓球版があったりと、子供たちが自由に遊べるスペースがあり、2Fには面白い志向の図書館があります。
日本三大秘境の椎葉村に、とてもユニークな施設がありました。

椎葉村には現在、中学校が1校、小学校が5校あります。
椎葉村は村域が広く、全地区から毎朝村営バスを運行することが困難であるため、椎葉中学校には寄宿舎が設置されています。

全校生徒の約8割が寮で生活しており、週末以外は寮生活を送っているのが現状です。

さらに高校は村内に存在せず、寮のある村外の高校へ進学することになります。

A氏によると、これが非常に特殊なことで、つまり椎葉村で暮らす人々は、皆一度は外の世界を見て来ている、ということなのです。
外を知って尚且つ、椎葉の良さを再認識して里帰りをした、そんな人たちで椎葉村は今日に至っているのです。

椎葉の子どもたちはまるで、椎葉の日本みつばちのようだといいます。
お気に入りの巣箱が同じ場所にあるかぎり、花々の蜜を集め、また必ず巣箱へと帰ってくるのです。
Katerieは椎葉にしかない、新しくて懐かしい場所。
椎葉の未来が、ここからはじまる。
ここは、未来への巣箱だという思いが、よく詰まった場所だ、と思いました。

中学生から寄宿舎生活ですか。色々と大変かと思いますが、自分のことは自分でできるようになるのはやはりいことですね。
お蕎麦もはちみつも、贅沢ですねぇー。たどり着いた者しか味わえない一品。
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椎葉のはちみつは日本ミツバチのはちみつですからね、お値段もなかなかですが、とても美味しいんです。
椎葉の学生たちはしっかりしている印象ですね。未来のために、しっかり羽ばたいてほしいです☺️
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椎原ダムと赤い橋、懐かしいです。夢の2尺サイズの平家マスを求めて一時期通いました🐟
夢果たせず仕舞いですが、熱気が冷めると秘境ゆえに足が遠のきました。
豆腐に呼ばれて初めて不土野まで出掛けたときは、進めど進めど辿り着かないので懲りました。秘境は油断してかかると怖いです。
呼ばれないと行かない場所だと思います。何かある場所なんだろうなと思いました。
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椎葉の中心地から不土野まで、1時間半くらい崖沿いの細道を走らなければなりませんもんね。
その先まで3度行きましたが、ほんと秘境は舐めてかかると大変です。
でもそこで暮らしている人が居るんですよね。
宿もあったりします😅
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椎葉行きでは、毎回どこかのタイミングでガソリンの残量にひやひやした思い出があります。
山間部は日曜休みとかザラなので。閉店時間も早いですし。
ガソリンスタンドの情報だけは要下調べ&現地で実際の営業情報を要確認。
これが教訓になりました。秘境おそるべし。
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秘境でガス欠は恐ろしい😱
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全く場違いなコメントで申し訳ありません。私は自分のブログにうんざりした。CHIRIKOさんにもさんざん、冗談半分のコメントを送ってしまい、申し訳なく思っております。今後、誰に対してもコメントを送ることはないでしょう。申し訳ありませんでした。
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あらまあ、突然どうなさいましたか。
季節はずれの風邪でもひかれましたかな?
あまり難しく考えなくとも、良いのではないかと思いますよ😌
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そうですね。風邪を拗らせて肺炎になったような気分です。私、神経質なもので、気にすると何もかも最悪のように思えるので…とてもヒヨコでふざける気にはなりません。病院にでも通って心身を癒そうかと思っております。
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誰しも気持ちが浮いたり沈んだりするものですね。
僕も2週連続で職場の葬儀に参列しまして、少し持っていかれてます。
こんな時はそうですね、柿でも齧りながら、秋の法隆寺を散歩されてみてはいかがでしょうか。
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そうですか。そんな事があったんですね。落ち込んでしまう時はどうしようもない。もう、ブログの世界からは離れて、ただ遠くで見ているだけにしようと思っています。
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それも良いと思います。
小笠原に向かう船で、ネットから完全に切り離された世界も心地よいと思いました。
戻って来たければ戻れば良いし、そうでなくとも良いのではないでしょうか。
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そうすることにします。またいつか、ブログを再開できたらいいですね。再開できたとしても、とても長い時間の後だと思います。ありがとうございます。
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