白蛇権現”小野尊俊傳”:常世ニ降ル花 神門如月篇 番外

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島根隠岐諸島・中ノ島を訪ねた際、「隠岐神社」の向いあたりの店で、美味しそうな牛乳を売ってました。

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念願の隠岐牛はいただきましたが、チチは知らんかったな。
お店の方に聞いてみると、この「まきはた牛乳」は海士町産の牛乳として、2024年12月に販売され始めたばかりだとのこと。
”「近くで作って近くで飲む」をコンセプトに、食料の生産者と消費者の距離の近さを大切にしているため、隠岐にお住いの方から優先的に販売しております”とのことで、この日飲めたのもラッキーでしたね。

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蓋を開けてみると、成分が生クリームになっていました。
お味は”あまくてとろとろ”、キャッチコピーそのままでした。

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あまくてとろとろと一緒に購入したのは、隠岐神社奉納品の「海士乃塩」。
この塩は、名水百選に選ばれた「天川の水」が流れ込む保々見湾の海水を原料に、竹の枝を組んだ「枝条架」(しじょうか)を通して海風の力で濃縮し、ゆっくり平釜で煮詰め、最後に天日干しで仕上げるとのこと。
塩本来の旨味と豊かなミネラルを残した、きりっとした旨味のある塩だと評判です。

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隠岐から隠岐汽船の”しらしま”に乗って本土へ帰ってきた僕は、その足で島根県松江市石橋町にある豊饒山「順光寺」(じゅんこうじ)にやってきました。
浄土真宗・本願寺派の寺院です。
石橋町は松江城の北側にある、城下町の風情を残す町です。

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順光寺は約800年前、松江市上大野町に教音法師が天台宗の草庵をむすんだのが開基とされています。
その後、天正4年(1576年)に、川津村菅田(現松江市菅田町)に、慶長年間に現在の石橋の地に移転しています。
この、当地に移転したばかりの頃、多額の私財を投じて寺基を整えたのが「神谷備後」(神谷源五郎冨次)でした。
神谷備後は20歳で松平直政附家老となり、大坂夏・冬の陣に勲功をあげました。
直政が松江藩主となったのちも家老として務め、藩政の基礎作りに貢献、万治元年(1658年)に高齢のために隠居を申し出るも「出雲のことは富次にかかっている」と却下されたという逸話があります。
寛永8年(1631年)、直政に後継の綱隆が生まれると、神谷備後は幼名”久松”の名付け親となっています。

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万治3年(1660年)7月24日に神谷備後が亡くなると、順光寺に葬られ、以来当寺は神谷家の菩提寺となりました。

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その順光寺の境内の南側一角に、小さな鳥居と小祠があります。

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そこは「白蛇権現」(はくじゃごんげん)といい、神谷備後の娘の化身である”白蛇”と、隠岐へ島流しされた検校・小野尊俊の化身の”鷹”とが逢瀬を楽しんだところとして祀られたものだと説明されていました。

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小野尊俊に関する伝説に、隠岐に配流になったあと彼は白い鷹を操り、手紙を持たせ、彼の妻との間を行き来させたというものがあります。
綱隆はこの白い鷹の姿をみると、白装束を着た小野尊俊のように見え、恐れおののいたといいます。
実際に小野尊俊が鷹になったり、白鷹を自由自在に操ったり、彼の妻が白蛇になって逢瀬を交わしたとは考えられませんので、悲劇の夫婦が御霊となって結ばれて欲しいという松江の人たちの思いが、この小祠を作り上げたのかもしれません。

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僕もさもありなん、と思いたいのですが、この神谷備後に、小野尊俊の妻となった美貌の娘がいた、という痕跡がどこにも、この順光寺の情報としても見えてこないのです。
これは・・・まいった・・・。どんまい。

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順光寺と隣接して境内も同じくする「光徳寺」に、「玄丹お加代の墓」がありました。

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大政奉還により幕府が崩壊する中、佐幕派であった松江藩に新政府から鎮撫使(ちんぶし)が差し向けられるという事件がありました。
玄丹お加代は、これを機転と度胸で藩を救った女傑として知られます。

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神谷家の菩提寺である順光寺に、小野尊俊の妻である神谷備後の娘の墓がないか確認しようと思いましたが、あいにくご住職は不在のようでした。
すると隣の敷地で草刈りをされていた方が、「そこだよ」と教えてくださったのが、境内に一際大きく置かれている、この墓石でした。

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そこには、「真性院殿釋道久居士」「春了院殿釋妙嚴信女」墓と彫ってあるように見えます。
GoogleのAIによる概要では、これらは浄土真宗の「法名」(ほうみょう)で、次のような意味合いが記されていました。

「真性院殿」「春了院殿」は最高位を表す院号で、「釋」は仏弟子(釈迦の弟子)となったことを示す冠称。
「道久」「妙嚴」は故人の人柄や仏道修行の功徳を表す道号。
「居士」「信女」は信仰の厚い男性信者、女性信者につけられる位号なのだと。

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おそらくこのお墓は、順光寺のサイトにて紹介されている”初代神谷備後夫妻”の墓碑ではないかと思われます。
草刈りをされていた方は、”小野尊俊の妻”という点を勘違いして、こちらをご紹介くださったのではないでしょうか。
もちろんこちらが、初代神谷備後夫妻の墓碑であったのなら、手を合わせるだけの十分な意味があります。

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ただ結局、ここに小野尊俊の妻が現実に存在したという確かなものを、見つけることはできませんでした。
もっとも、妻は実家に戻って自害した、とも伝えられますが、小野家に嫁入りした以上は、墓があるなら小野家の方にあるのかもしれません。
そもそも、神谷備後は綱隆の名付け親となるような間柄。備後に美貌の娘がいたなら、綱隆はもっと早く彼女の存在を知り得たはずですし、求めれば小野尊俊よりも先に縁談が決まったことでしょう。
神谷家のご自宅は、現在も松江市北堀町にあるそうで、神谷備後の娘について、御子孫には何らか伝えられてるものがあるのでしょうか。

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同じ松江市内に、「清光院」という寺院があり、松風という芸者の話が伝えられます。
松風には恋人がいましたが、ある若侍に懸想(横恋慕)されつつも、いつも相手にせず避けていた。
ところがある夜、その若侍に偶然出くわして逃げるのたが、清光院の石段で斬られ、位牌堂の入り口で事切れた、と。
その後、位牌堂入り口の階段から血が滲み出て、いくら拭いても現れた、という怪異話は、どこか小野尊俊の妻の話を思わせます。

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小野尊俊にまつわる話は、細部においていく通りかの諸説あり、奇想天外な話も含め、大元を辿っていくと『雲陽秘事記』がベースとなっているように思われます。
『雲陽秘事記』は作者・成立年代とも不詳な実録ものであり、「実録」とはいわば「見てきたような嘘」を多分に含むものです。
登場人物も実名で記したため、公に出版することが憚られ、個人書写や貸本屋の写本、あるいは講釈師の配布によって流布しました。
その過程でさまざまな味付けがなされ、より面白みのある奇想天外な話が作られたと考えられます。
日御碕神社検校・小野尊俊が何かの理由・思惑で隠岐に流され、その御霊を鎮めるために松平家は松江に推恵神社を建てました。
その近くには家老・神谷家の屋敷があり、清光院には芸者・松風の話が伝わっていた。
それで小野尊俊の話に、妻の話が味付けされた、という可能性をみることができます。

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尊俊の妻については正式な名に関する記述はなく、“花子”という名が流布するばかりとなっています。
またその死に関しても大方は自害となっていますが、時期や場所には諸説見受けられます。
尊俊と妻の間には子がいた、となっていますが、その子供についても、全く存在を感じることがありません。
尊俊と、妻である神谷備後の娘の話は、作られた物語なのか。

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ただ、松江と日御碕の推恵神社には、小野尊俊の他に「清操辺命」として彼の妻とされる御霊が祀られています。
小泉八雲が島根で見聞したものを書き留めた『知られぬ日本の面影』には、「花子の実家・神谷家は今も続いており、松江で非常に尊敬を受けている。それで日ノ御崎の宮司は、いつもその凛凛しい家系の娘から花嫁を選ぶのである」と綴られているとのことです。
その微かなしるしをもって僕は、白蛇権現様に手を合わせ、お二人の常世でのあたたかな逢瀬をイメージするのでした。

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