
【母也明神】
遠野市に「母也明神」(ぼなりみょうじん)という荒れ果てた祠がひっそりとあります。

目立たない看板の横に、かろうじて道とわかる参道があります。

昔、矢崎の巫女(みこ)がいました。
この巫女は、一人娘とその婿の仲睦まじい様が気に入らず、何とかしたいものだと常々思っていました。
そんな時、猿ヶ石川から田に水を引く堰の止めが、毎年大水の為にやぶられ、困りぬいた村人達は巫女に伺いをたてにきました。
ここぞとばかり巫女は、「神のお告げだ、白い着物を着て白い馬に乗って通る者があるから、その人を堰口に沈め、堰の主になってもらうしか方法がない」と教えます。

一方、巫女は気に入らない婿に白い着物を着せ、白い馬に乗せ隣村に使いに出しました。
村中を通りがかったその婿を見た村人は「堰の主になってくれ」と頼みます。
村人の懇願に、婿は運命とあきらめ快く承知しますが、それを知った巫女の娘である妻も白装束になり、男蝶女蝶の二人揃ってこそ真があると二人で白い馬に乗って、堰口に沈んだのです。

その後大雨が降り、堰口に大きな二つの岩 が現われ、村人はこれを足場に止めを築きました。
巫女は、可愛い娘まで失った事を深く悔み悲しんで毎日泣き暮れ、同じ場所に入水して死んでしまいました。
堰には、主となった夫婦と、白馬を祀る堰神様があり、巫女の屋敷跡に巫女の霊を祀ったのが母也明神であると伝えられており、巫女塚は巫女の墓と伝えられています。



【羽黒岩】
続石の東4km程のところに、「羽黒岩」(はぐろいわ)という巨石があるというので、行ってみました。

入り口のところに、大きな下駄のオブジェがありますが、これは天狗の下駄のようで、天狗にまつわる話がここでは伝えられています。

確かに天狗でもいそうな鬱蒼とした森を20分ほど登っていると、目的地が見えてきます。

山小屋のような拝殿がありますが、出羽神社のようです。

そこに、まるで巨大な石の門のように、それが立っています。

見上げんばかりの巨石。

伝承では、高さ9mのこの巨岩が「矢立て松」と丈くらべをしたところ、石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄で蹴られ、上の部分が欠けたと云います。

「矢立て松」とは、蝦夷討伐で活躍した征夷大将軍「坂上田村麻呂」(さかのうえたむらまろ)が、「エゾの宮武」を射った矢の鏃(やじり)が食い込んだ松のことだそうです。

このような神秘的な磐座は、山を登っていると時折見ることがありますが、ここも太古の祭祀跡だったのかもしれません。
