白人神社・磐境神明神社

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念願だった剣山登拝を終え、そのままぶらりといくつか散策した僕は、その日の最後の締めくくりとして白人神社を訪ねました。

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「白人神社」(しらひとじんじゃ)は、徳島県美馬市穴吹町口山にある神社です。

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境内に足を踏み入れると、ちょっと気取った風の狛犬がお出迎え。

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白人なだけにスマートな狛犬ですな。

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拝殿の屋根の下、梁を支える蟇股(かえるまた)と呼ばれる部分に「波うさぎ」の彫り物があります。
気になりつつも、お目当ては別にあるのでさくさく参拝します。

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お目当てのものとは、白人神社の奥宮にあたる磐境神明神社のことで、「日猶同祖論」の根拠として知られる聖蹟だと云うことです。

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ただ、ここの社名が「白人」というので、ユダヤに関連してのものではないかという見解を見ましたが、本当のユダヤ人は白人ではありません。どちらかというと、我々黄色系に近い人たちです。

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白人神社の祭神は「伊弉冉神」「瓊瓊杵尊」「天照大神」「豊秋津姫命」「崇徳上皇」「源為朝」。
境内社に「八幡神社」と「天神社」を祀ります。

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伝承によると、仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、当地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされています。
保元の乱の後、讃岐国の崇徳上皇を尋ねた源為朝が、阿波国との境にある相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢は毘沙門獄に当たり、はねかえって矢が落ちますが、そこに社を建てて弓矢を奉納したのが白人神社だと云います。その古来弓は現在も神社の社宝となっており、旧正月14日に行われるお的神事の由来となっています。

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白人神社の向かって左側奥、ちょっと分かりにくい感じで「磐境神明神社」(いわさかしんめいじんじゃ)の参道が佇んでいます。

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垂直か!と思わず突っ込みたくなる急勾配の階段が眼前に迫ります。

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陽もやや陰ってきて、ちょっと怖い。

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杜のトンネル状の階段を抜けると、

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ついにその異形の磐境が姿を現します。

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南北7m、東西22m、高さ約2mの長方形状の石垣に囲まれ、南側に3つの入口、北側に5つの祠が鎮座する聖域。

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この構造が古代ユダヤの祭祀場と似ているそうで、日猶同祖論や剣山のソロモン王の秘宝が眠っていると云う伝承の根拠として度々取り上げられているらしいのです。

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しかしですね、僕はこれに似たものをたぶん九州の、どこかで見た気がするんです、思い出せんけど。

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それに全体の雰囲気で言えば、安曇族の聖地・対馬のアレによく似ています。そう、オソロシドコロです。

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僕は安曇族は親魏和王・豊王家の末裔・分家だと思っていました。しかし最近はどちらかと言えば伊予国の越智家の血が濃いのではと思い始めています。
それはオソロシドコロを始めとした彼らの呪術的な印象が、豊家では少々弱く感じたからです。

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この祠の感じも、いかにも安曇的。いや、安曇が越智的であると言い換えた方が良いのかもしれません。

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安曇族の山誉祭の祝詞が「君が代」そのままである理由、それが長らく謎でしたが、根元が越智ならありうるのではないかと思います。

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白人神社の祭祀は75人の宮人(みょうど)によってなされていたと云われています。この宮人は忌部族の子孫と伝えられていました。
現在も白人神社の神輿かきは宮人に限られており、宮人は世襲制になっています。

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忌部族も確かに呪術的要素がないわけではありませんが、剣山での体験やこの磐境を目の当たりにして、彼らが統治支配したと考えるには弱い気がするのです。

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白人大明神は古来広大な社領を有し、それを確保するために宮人らは武装して防衛に当たったと云います。
藩政時代に入って宮人の武装が解除されるまで、中世を通じて宮人は、神威を背景に社会的・経済的勢力を拡大していったのです。

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そのような権勢を許した、背後の巨大な力。
歴史の中でほとんど姿を見せない影の形が、日本各地の聖地を巡礼していくと、点から線へ、朧げながらその片鱗を浮かび上がらせてきたのです。

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ところで妄想を膨らませながらこの写真のシャッターを切った瞬間、まさにバケツをひっくり返したような大粒の雨がどっと降り注いできました。「この場から立ち去れ」とそう言わんばかりに。
驚いた僕は、防水でない愛機を庇いながら悲鳴をころし、無様にもあの急な階段を転げ落ちながら車へ逃げ帰ったのです。

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朝、目が覚めるとのどかな景色が窓の外にはありました。

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磐境神明神社から車まで必死に逃げ帰った僕は、すぐに宿へと向かいました。
宿に着くと、無性に肉が食いたくて、焼肉屋を探し貪り食いました。
宿に戻ってからは湯船に浸かり、そのままベッドイン。夕方の6時くらいでしょうか、そのまま意識を失うように深い眠りについたのです。

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眠り姫ならぬ眠りおっさんが目覚めると、不思議なほど体が軽く、まるで憑き物が落ちたような爽やかさでした。
そして雲が生まれる山を眺めつつ、再び白人神社を目指していたのです。

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理由はこれ、蟇股の「波うさぎ」を撮り忘れていたからです。
それにしても、なぜ波にうさぎなのか。うさぎは水を嫌う生き物です。風呂に入れると病気します。なのに海辺に行きますか、うさぎが。波とたわむれますか?
因幡のうさぎの逸話などをモチーフにした古典的デザインかもしれませんが、そもそも因幡の素兎のシチュエーション自体がおかしいのです。
これは海と深い関係のある月神信仰とうさぎ族を兼ね合わせた、象徴的な古代のデザインなのでしょう。
波にうさぎのデザインには、ご丁寧に月まで描いたものが多いのです。

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するとなんと、灯籠の上にもうさぎが居るのに気がつきました。昨日は分からなかったな。

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伝承によると、うさぎは当社祭神の遣いと云われているそうです。
白人大明神とは、宇佐族が仕える大いなる一族の祖神であろうか。

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仁賢天皇の時代に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したという当社の起源。仁賢帝と言えばオオサザキ王朝の終盤の帝であり、その2代後に富家の彦太殿が大君に就任します。そんな絶妙な時代に姿を現す白き老王とは。

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話は飛びますが、アメリカ先住民族のホピ族に、「白い兄」の予言というものがあります。
今の世界は人類が3度滅んだ後の第4の世界で、始めに聖なる石板をそれぞれ与えられた兄弟がいたと云う話です。
白い兄は神霊の示すままに、太陽の上る東を目指して進むことになります。
赤い弟は全土を歩きまわってすべての土地に足跡を残すように命令されました。
やがて第4の世界が終わりに近づく時、白人が置いた天の住居が大音響と共に落ちてきて、間もなく我が民の儀式が終わると予言は続きます。
天の居住とはなんなのか?
「大いなる清めの日が近づいたとき、遠い世界へ旅だった白い兄が欠けた石板を持って戻り、世界を邪悪から清め、平和に導きいれる」
やがて兄は弟を探しだし、二人の石板を合わせて清めの日を成就させることで、人類は次の第5の世界に移行し、真の平和が訪れるそうです。
ホピは今も聖なる石板を持っており、白い兄の到来を待ち望んでいるのですが、この白い兄は「日が昇る国」からやってくると云われており、その時兄は卍と十字の紋章をもつ2人の従者を従えているということです。

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また別の話ですが、日本人は神の遺伝子である「YAP遺伝子」を持っていると云う話があります。
このYAP遺伝子には「シリウスA(YAP+)」と「シリウスB(YAP-)」のタイプがあるのだそうです。
シリウスAの遺伝子を持つ民族はアイヌ、琉球民族、ケルト、ネイティブアメリカン、ホピであり、シリウスBが日本人だと云われています。
どちらのYAP遺伝子も、友好的で愛に満ちていて平和主義で、神に近い遺伝子なのだということです。

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シリウスという星はおおいぬ座の中で最も明るい恒星で冬の大三角を形成し、太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星となります。
シリウスは肉眼では1つの恒星に見えますが、実際には、シリウスAと呼ばれるA型主系列星と、シリウスBと呼ばれる白色矮星(左下の小さな白い光)から成る連星です。

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白王、白姫、白山、白岳、白川、白水
白をトーテムとする何かしらの存在が、歴史の裏の裏側に、朧げながらに見えています。

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それは開けてはならぬパンドラの箱なのか。
少しずつ辿ってこいという道しるべなのか。

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以前、斎木先生に超古代のことについて感想を尋ねたことがありました。
一笑されるかと思いきや「残念だけど、ユダヤが出雲より古い時代に日本にやってきたという痕跡を否定しきれない部分があるんだ」とおっしゃってあったのが、今も耳に残っています。
真実はまだ朧月のように、淡く闇世を照らすばかりなのでした。

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10件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    CHIRICOさん。その不穏なお話は心に留めておいて下さいませ。
    ユダヤ絡みのリアル版は色々と厄介事を呼ぶ事になるので。
    今も、この国の深部に入り込んでる・・・なんてな(笑)
    警察の職質が増える事請け合いです。(爆)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      ですよね〜。。
      そっ閉じで、見なかったことにしますぅ。。。

      いいね

  2. 8まん より:

    剣山登拝お疲れ様でした。
    剣山の某箇所は今も自衛隊の護る場所らしいですね。
    かつて、日本は大東亜戦争の敗戦後、東日本と西日本の分断計画があったそうです。それを防いだのがGHQのマッカーサーだったらしいのですが、これは、戦後、GHQが剣山の某箇所を調査し、また、三種の神器にある八咫鏡の後に書かれていたプペル語(ヘブライ語)に日本人はユダヤに纏わる民でもある可能性がある為に、この民を分断する事には宜しくはない。という事があったとかなかったとか。(笑)
    あくまでオカルト世界の話の一部なので。
    また、君が代はヘブライ語に訳すと、イスラエルのシオン喝采の歌に変化するとかしないとか。
    「にほん。」日本。
    これを、万葉集等があった時代での呼び名であるなら、「におん。」ニ音。二つの音。音読み訓読み、発音で、一つの言葉で色んな意味に変化する日本語。
    駄洒落等の言葉遊びを好む我々日本人には言葉の暗号に我々ルーツを隠してる。ユダヤに纏わるモレヤの民が讃えたミシャグチ→イサクチ・・・イサク神。ニ(シ)ホ(オ)ンとシオン。
    オカルトですねえ。
    駄洒落を言うのはダレジャ・・・お粗末。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      8まんさんが勧めてくれた剣山にようやく登拝が叶ったところですが、でももう一度、今度は行者コースをいってみようと画策中です。鶴岩亀岩も見てみたいし。

      オカルトは好きなのですが、古代史の探求においては横に外しておくのが僕の流儀ですが、実は今、とある一族がユダヤの末裔であるとしたなら、色々なことの辻褄があうなあと思い至っているところです。でもちょっと不穏な話にもなるので、記事にするべきか悩み中です。
      日本って不思議な国ですよね。

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      1. 麻生憲一 より:

          初めまして。私の名字は麻生と申します。先祖は宇佐神宮の神官だった伝わります。俗に、宇佐姓麻生と呼ばれます。中世は、豊後大友氏の家臣に連なります。物部と、豊木入姫の豊国連合で東征のおり、物部族の妬みにより豊国族は関東へと逃散、中世では宇都宮氏を名乗る。源
        平争乱の後、宇都宮信房が豊前守護職で九州に入り、現在に続きます。そこで、私の歴史仲間は、名字から、私の先祖は忌部氏ではないかと強調するのです。

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        1. CHIRICO より:

          麻生様、偲フ花へようこそお越しくださいました♪
          なるほど、麻生氏は里帰りした豊族ということになるのでしょうか。しかしそこに忌部が絡むのはよく分かりませんね。忌部は謎が多いです。
          ただもはや私たちは、多くの氏族が交わって今に至りますので、豊の血筋でありながら忌部でもあると言うこともあるのかもしれません。血に誇りを持つということは大切なことですね。

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  3. 鶴田眞理子 より:

    童の澤口さんが23日に逝去されたそうです。
    本日がお葬式だったという連絡が入りました。
    検索したらこちらへ出会いましたので、私のグログに使わせていただきました。
    ありがとうございます。

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    1. CHIRICO より:

      鶴田様、ありがとうございます。
      とても悲しいですが、大往生だったのだと思います。
      三次は私の人生の大転換となった場所で、第二の故郷だと思っている場所です。そこで澤口さんにお会いして、ああ三次のお母さんだなと感じたものです。たった一晩お話を交わしただけでしたが、大切な思い出となりました。
      あれから色々なことがありまして、またご報告に伺いたいと思っていましたが、それは叶わなくなってしまいました。期を見て再訪させていただきます。

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  4. Nekonekoneko より:

    磐境神明神社を見て何かを思い出した私🐥パ…パチンコ&スロット🦑似ている…

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      その発想はなかった😅

      いいね: 1人

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