
長崎のリゾート「伊王島」からさらに船で20分ほど離れた場所にある「端島」(はしま)。
通称「軍艦島」で知られる廃墟の島へ出かけてみました。

長崎港で誓約書などの記入と手続きを終え、船に乗り込みます。
不用意な行動は危険を伴うので、あらかじめ船内でレクチャーを受けます。

一時間弱のクルージングを経て、島へ到着。

島に着くと、いきなり廃墟の世界が広がっています。

奥は小中学校で

丘の上には幹部の住居があります。

上陸時間は約20分。
島の西側の一部、500mほどの敷地を自由に見学できます。

広場が3箇所あり、そこそこでボランティアの方が説明をしてくれました。

「端島」は明治時代から昭和中期にかけて、海底炭鉱の採掘地として賑わった島です。
一般サラリーマンの3倍の収入を得られると、多くの家族が住みこむようになりました。
当時は東京の9倍もの高い人口密度を誇ったと云います。

赤いレンガ造りの建物は島の中枢機関であった「総合事務所」。
生活を便利にする様々な商業施設も増え、小さな島は想像もできないほど賑わったそうです。
パチンコ店や理髪店、レストランから映画館までありました。
家庭の三種の神器と言われた「テレビ、冷蔵庫、洗濯機」も一般には2割程度の普及率だったのに対し、ほぼ100%島内では普及していました。

やがてエネルギー資源が石炭から石油に変わり、炭鉱は閉鎖に。
そこから島は一気に無人の島となります。

僕が生まれた年はまだ活動をしていた「軍艦島」。
人がいなくなり、40年ほどでここまで荒廃するものでしょうか。

プールの跡。
水は海水を利用していました。

7階建ての社宅棟。

ここで日々の生活が営われていました。

空の眩しさとの対比が郷愁をそそります。

世界遺産にも認定された「軍艦島」ですが、建物の風化は止まらないそうです。
たかだか40年でこれほどに荒廃するのなら、「端島」が「軍艦島」で無くなる日もやがて来るのかもしれません。


