
「極楽いぶかしくは、宇治の御寺をうやまへ」
(もし極楽浄土を疑い信じられないならば、宇治の平等院へ行き、拝んでみなさい。そうすれば、きっと浄土を信じることができますよ。)

夕暮れさし掛かる頃、この世の極楽「平等院」を訪ねてみました。

楼門をくぐります。

境内に一歩足を踏み入れると、そこには龍宮を思わせるような朱色の雅な鳳凰堂があり、心を奪われます。

平等院は「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルとなった「源融」(みなもとのとおる)の別荘跡に建てられました。
平安時代の後期に建立されたこの寺院は、府内でも数少ない、どこの宗派にも属していない単立寺院です。

10円玉のデザインに使用されているというのは有名ですが、
実は2004年(平成16年)にマイナーチェンジした現行の1万円札の裏面にも描かれています。

この阿弥陀堂の上に鳳凰が置かれたので、「鳳凰堂」と呼ばれるようになったそうです。

鳳凰堂は天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂で、明治35年から40年、昭和25年から32年、平成24年から26年と3度にわたり大掛かりな修理が行われています。

鳳凰堂も塗装が剥げ、侘びた風情になっていましたが、近年の大修理で当時の雅な姿に生まれ変わりました。
屋根の上にある鳳凰像も金箔が施され、輝く鳳凰像になっています。

現在、阿弥陀堂の上に立つ鳳凰は複製の像で、本物は国宝に指定されており、境内内の宝物館「鳳翔館」に収蔵されています。
鋭い目やクチバシの凛々しい顔立ちを間近で見ることができます。
ちなみに鳳凰は「正徳の天子の出現を待ってこの世に現れる」と言われている縁起がいい瑞鳥ですが、
雄の「鳳」(ほう)くん、雌の「凰」(おう)ちゃんのカップルで鳳凰なんだとか。

阿弥陀堂の中には有料ですが、入ることができます。
安置されている金色の巨大な阿弥陀如来坐像もまた国宝です。

内部は装飾のほとんどが剥落してしまっていますが、かつての美しい姿を感じ取ることはできます。
迦陵頻伽に囲まれて鎮座する阿弥陀如来の世界は、幽玄です。

鳳凰堂を奥に回っていくと鐘があります。
平等院の鐘は、京都の神護寺や滋賀の園城寺の鐘とともに「天下の三名鐘」に数えられています。

天人・獅子・唐草などの模様が施された希少な鐘なのだそうです。
現在の鐘は復元された物ですが、鳳翔館では本物を見ることができます。

鳳凰堂の屋根の一部だけ、色が違う場所があります。

これは近年の大修理で、まだ使える瓦を一か所に集めたからなのだそうです。
つまり、このまだらな薄い瓦は、経年を経て、侘びた屋根瓦なのです。

飛鳥時代に日本に伝わり平安前期に広まった仏教は、現世での救済を求めるという考えでした。

しかし平安時代後期になると、日本では「末法思想」が広まります。
末法思想とは、お釈迦さまの入滅から2000年目以降は、廃れてしまうだろうという世紀末的思想のことです。
ちょうどその頃、天災や人災が続き、人々の不安は一層深まります。

正にこの世の終わりを感じさせる中、人々は現世での救済をあきらめ、来世での救済を求めるように変わっていきます。
貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀るお堂を建てるようになります。
平等院鳳凰堂は『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土を観想するため、現世の極楽浄土として造られたということです。
そこは、まさしく浄土の如し。
平成の末法にこそ、訪れるべき価値ある場所なのかもしれません。



