
橋の上におりた 鳥はなん鳥
かわささぎの かわささぎの
ヤーかわささぎ さぎが橋を渡した
さぎが橋を渡した
時雨の雨に ぬれとりとり
ヤーかわささぎ さぎが橋を渡した
さぎが橋を渡した


【鷲原八幡宮】
津和野の西端に「鷲原八幡宮」(わしはらはちまんぐう)があります。

境内に入ると横に長広い敷地があります。
これは流鏑馬(やぶさめ)のための馬場で、全長約270mあるということです。
日本において唯一原形を留めている馬場として、昭和41年に史跡に指定されています。
もちろん、現在も流鏑馬神事がここで行われています。

参道を進むと、立派な楼門が見えます。

楼門と拝殿の間には潔斎橋が掛けられています。

一段高く建てられた本殿と楼門は、永禄11年(1568年)の建築で、室町時代後期の特徴をよく示した造りであると云います。

御祭神は「誉田別尊」「玉依姫命」「息長足姫尊」となっており、宇佐神宮より勧請されたと伝わります。

本殿を左に回ると、小さな社があります。

「稲生社」とあり、手前に竹製の風車がたくさん立ててありました。
風車といえば川倉賽の河原地蔵尊を思い起こします。

さらに左手奥に「淡嶋神社」があります。

拝殿内には人形が多数あり、「雛と婦女の守り神」とあります。

そこから見上げると天然記念物の「鷲原八幡宮の大杉」がありました。


【弥栄神社】
さて、津和野の名物の一つに、重要無形民俗文化財の「鷺舞」(さぎまい)があります。
鷺舞とは、元は京都八坂神社の祇園祭で奉納されたもので、七夕伝説の中で、牽牛と織女のため天の川に桟を渡した「鷺」に扮して行列を組んで舞歩くお祭りです。

津和野の鷺舞は、京都の八坂神社から直接習得を受け、以後四百年間一度も廃絶することなく連綿と奉納され続けているそうです。
やがて本家の八坂神社鷺舞は絢爛豪華な山鉾や傘鉾巡行が祭りの主流となり奉納されなくなっていましたが、昭和31年に逆に津和野の鷺舞の習得を受け、復活しています。

この鷺は冒頭の唄をみると「かわささぎ」と呼ばれています。
これは七夕伝説に於いての「鵲」(かささぎ)のことであったが、京都には鵲は飛来してこないため鵲とは鷺の一種であろうと笠を被った白鷺としたことにあるとされています。
鵲が黒と白の鳥であるのに対し、舞の姿が白いのはそのためだそうです。

津和野の鷺舞は「弥栄神社」(やさかじんじゃ)の例祭「祇園御神事」に奉納されます。

毎年7月20日と7月27日に、舞いを奉納する主役の頭屋(とうや)を先頭に、舞いを演じる舞方他、お囃子のための楽器をかき鳴らす囃方、唄を唄う唄方、行列を守護する警固など20人で行列を成し町を練り歩きます。

弥栄神社の御祭神は「須佐之男命」(すさのおのみこと)となります。

創建時は「滝本祇園社」という社名でしたが、慶応3年(1867年)に弥栄神社と名を改めたとのことです。

境内には立派な大欅(けやき)があり、この場所が古来より、町民にとって神聖な場所だったことが伺えました。
